九里 【九里】を探して三千里

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木田・紀田・記田氏が 1452年に近江国 三村庄に関して出てくる。

2020-04-03 | 雑記

戦国大名六角氏の基礎研究 村井祐樹著 思文閣出版

その中に「紀田氏」「紀田孫左衛門」が登場している。
同じ文書だが、東寺の本書では「木田」と書かれている。






ここに登場する木田(紀田孫左衛門)と大和(教賢)は三村荘の代官職をめぐり争っている。
その結果、木田も大和も大官職を失っている…と本にある。

それでも木田氏は後任が決まってからも自分が代官であると(一旦は決まった時もあったため)主張し、後任の河井氏がいるにもかかわらず、その場所に居座っていたそうである。

それを九里が仲介訳となって、木田に五石取らせることで妥協させ、まとまりかけたが、今度は東寺がその妥協案を蹴り、木田が硬化し、横領が十一石に上がってしまった…とある。

===*===

なかなか厄介な三村庄である。

其の仲介をしていた九里とは、種信本人か、父か、兄弟か、親戚と考えて良いのではないかと思う。

しかし、この木田氏もどこにも「蔵人」は見えない。
「木田」を素直にかかず「起太」にしているところを見ると、わからない方が良い事情もあったのかもしれないし、ただの音で書いただけかもしれない。

どこの木田氏なのか、これから深めていこうと思う。









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