戦国大名六角氏の基礎研究 村井祐樹著 思文閣出版
その中に「紀田氏」「紀田孫左衛門」が登場している。
同じ文書だが、東寺の本書では「木田」と書かれている。
ここに登場する木田(紀田孫左衛門)と大和(教賢)は三村荘の代官職をめぐり争っている。
その結果、木田も大和も大官職を失っている…と本にある。
それでも木田氏は後任が決まってからも自分が代官であると(一旦は決まった時もあったため)主張し、後任の河井氏がいるにもかかわらず、その場所に居座っていたそうである。
それを九里が仲介訳となって、木田に五石取らせることで妥協させ、まとまりかけたが、今度は東寺がその妥協案を蹴り、木田が硬化し、横領が十一石に上がってしまった…とある。
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なかなか厄介な三村庄である。
其の仲介をしていた九里とは、種信本人か、父か、兄弟か、親戚と考えて良いのではないかと思う。
しかし、この木田氏もどこにも「蔵人」は見えない。
「木田」を素直にかかず「起太」にしているところを見ると、わからない方が良い事情もあったのかもしれないし、ただの音で書いただけかもしれない。
どこの木田氏なのか、これから深めていこうと思う。