富木常忍の周辺に再び来ている。
土岐氏と千葉氏(東氏)の繋がりの他にもいろいろと再考したい箇所が出てきているので、復習!を兼ねながら深めていこうと思う。
千葉胤正の息 成胤の母は上総介広常の娘
成胤の妻は千葉尼聖光
千葉尼聖光の娘に播磨局了阿
播磨局了阿は結城朝光の妻
結城朝光の子、寒河時光・山川重光の母親は「千葉介業胤女」
業胤=成胤であるので、千葉成胤の娘であったことがわかる。
千葉成胤と千葉尼聖光の娘=播磨局了阿=結城朝光妻
結城朝光 1168-1254年
播磨局了阿は寒河時光・山川重光の母
その聖光尼の父親は…と調べると、行方景幹(結城市史 第4巻 古代中世通史)という。
行方景幹は鹿島政幹の従兄弟と言われ、行方郡を支配する鹿島社惣検校なのだそうだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E5%B3%B6%E6%94%BF%E5%B9%B9
因みに鹿島政幹の娘は千葉常胤に嫁いでいる。
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千葉成胤ー胤綱ー時胤ー頼胤
諸説あるが一応このように仮定する。
時胤は胤綱の弟かもしれないという説もある。
さて、この千葉介頼胤の娘が 土岐光行の妻という系図がある。
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他に、胤綱の妹が土岐七郎左衛門尉に嫁いでいるという系図もあったはずである。
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佐々木信綱の娘が千葉胤綱の妻になっている。
此処は大きい。
胤綱の息カ孫の頼胤の周辺に土岐氏と佐々木氏がいるのである。