九里 【九里】を探して三千里

姉妹編【九里一族】に出会う旅に出かけよう!http://blog.goo.ne.jp/kunorikunori2
  

もう一人の『源光行』が、我が系の九里に養子に入った岡田氏とゆるくつながっていた。

2024-10-18 | 美濃源氏
「光る君へ」の源氏物語のその後を追っていて、源氏物語の研究者であった源光行がでてきた。土岐氏ではない方の源光行である。

以前は調べも付かなかったのだが、突然道が開けてきた。
富城常忍の周辺にも源光行という名がみえていたと思う。(これは、誰かが考えた仮定で、土岐光行を想定したものであったと思う。)

源氏物語の研究者の光行の父は源光遠(または光季)で、光行と兄弟の則清は 院政期に京武者として活動した大和守源重時の曾孫にあたる(『尊卑分脈』) という。

Wikipediaによると「源光行は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての政治家・文学者・歌人。源氏物語の研究者であり、河内方の創始者に位置付けられる
…北条泰時の命で和歌所・学問所などを設置した」ともあるので、幕府とは親密であったろうと思われる。

さて、源重時とは‥‥と調べてみると、なんと八島の祖源重宗の息であり、重実の弟であった。

我が系には岡田氏の養子が入っていたのだが、其の祖は重実ー重遠ー重直とある。

また、光行の叔父と言われる季貞は飯富季貞という。

飯富とは千葉の土地 上総国望陀郡飯富荘 、他の地にも何カ所かあるようだが、季貞の息の宗季の姓となったのは袖ヶ浦町飯富 だそうだ。

Wikipediaには飯富宗季の後裔は、世々甲斐に居り、武田氏に仕えた。
…とある。

その部分も、板垣に養子に入った乾氏と同じ家紋(榧之内十文字)であった九里とどこかでのつながりがあるのかもしれないと思う。


これは、新しい展開を予感させる。


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