中原有安の養子であった「景安」は「文机談」に詳しいブログ様によると藤原孝時入道が景安の家の前をちょうど通りかかった際に呼止め…とあり、その時に東国へ旅立つことの決心を語ったそうである。
http://houteki.blog106.fc2.com/?mode=m&no=926
この藤原孝時とは、以下のブログに記載があった。
https://www.mikumano.net/setsuwa/geido.html
「 法深房(藤原孝時。孝道の子。孝道は琵琶の名手で、木工権頭として琵琶の製作にも長じていた)は二十歳の年から熊野へ詣でて、「我が芸がもし父の芸に及ばなければ、ただちに命を召しあげてください」と申された。祈請の旨が神慮にかなって、琵琶の道における第一人者となった。」
西園寺実宗(実明の兄)からみると、曾孫の西園寺公相の妻が中原師朝の娘であり、実兼の母となった人になる。
藤原孝道のコトバンクより
1166-1237 平安後期-鎌倉時代の雅楽家。
仁安(にんあん)元年生まれ。琵琶(びわ)の家に生まれ,父孝定および藤原師長(もろなが)にまなび,演奏,製作,修理にすぐれる。長じて師長につかえ,木工頭(もくのかみ),楽所預。西流の当主となり,琵琶の秘事や口伝を「知国秘鈔」「残夜抄」にのこした。嘉禎(かてい)3年10月22日死去。72歳。
琵琶の製作からという処がすごい!
さすがに【琵琶の家】である。
更に木工頭という職務が、琵琶などの楽器分野も範疇に入っていたという事も驚きである。
因みに西園寺実兼の家司が中原章任である。
中原章任(のりとう)のコトバンク
鎌倉後期の 明法家。章継の子(『職原抄』は章職の子とする)。明法博士,検非違使,左衛門尉。院北面,西園寺家家司をも勤める。法書『金玉掌中抄』を著し,花園上皇に律令を進講するなど,当代有数の明法家であった。
(上杉和彦)
?-1321 鎌倉時代の官吏。
大判事,明法(みょうぼう)博士,明法侍読,修理権(ごんの)大夫をつとめる。中原家につたわる説をまとめ律令注釈集「金玉掌中抄(きんぎょくしょうちゅうしょう)」をかいた。元亨(げんこう)元年6月死去。
横道にそれるが
和歌山の九里のいた場所 と 琵琶がキーワードとなる。
但し、雅楽琵琶 と 平家琵琶は系統が別だそうである。
和歌山 熊野の話である。↓
『平家物語』は、盲目僧形の芸人、琵琶法師によって琵琶に合わせて語られましたが、熊野本宮大社の近くにある今は無住の大智庵というお寺が、かつて全国の琵琶法師の総本山とされていたと伝えられます(中世以後、幕府公認で、盲人により組織された団体「当道(とうどう)」の根本史料『当道要集』を後に考証した『当道秘訣』巻下に記載された「熊野本宮光神山天夜尊御旧跡縁起」による)。…
https://www.mikumano.net/setsuwa/mojin.html
てつ様のブログです。
小堀遠州も平家琵琶を学んでいたそうで、益々もって九里との関係が感じられる。
小堀と九里は枝分かれしたもともとは兄弟である。
琵琶には、ネックが直角に折れているもの、斜めに折れているものの二種類があります。
弾き方も印の線の上を押さえる奏法と線の間を押さえる奏法があります。
平家琵琶は、大原の唱名琵琶から発展しました。
平家物語の作者は色々取沙汰されれていますが、作曲者は?と言う疑問があります。
大原、琵琶と言えば、鴨長明が浮かんで来ました。
明日は、義経の最後?と言う事で、河越の郷御前の関連でも散策しよう?
慌てても梅雨の走りは止まず降る
琵琶の世界に誘ってくださり、大変ありがとうございます。
いろいろと探しに探して、気に入った演奏を見つけました!!
Jikan様にも、ちょっと聴いていただけますとうれしいです。
https://www.youtube.com/watch?v=TJ2NpHZ_kDk&list=RDEMUSXG66BYfZ5m4I9du4o3Sw&index=6
琵琶の演奏も、お声も、素敵です。
ハマりました。