万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

SBIホールディイングスが先物取引を再開させた理由

2024年12月19日 11時18分07秒 | 日本政治
 今年8月の大阪堂島商品取引所におけるお米の先物取引の再開につきましては、同取引所の凡そ3割の株を保有するSBIホールディングスの強い働きかけがあったと指摘されています。同取引所と民間の一企業との関係は、市場の運営者と事業者の癒着が生じますので、独占禁止法に抵触する可能性もありましょう。それでは、何故、SBIホールディングスは、お米の先物取引に手を出したのでしょうか。

 お米の先物取引については、既に2011年から試験的に実施されていたのですが、参加事業者が集まらないことを理由に農林水産省が許可を与えず、2023年には一端終了しています。お米の先物取引については、過去においても米価高騰の要因となり、国民生活を苦しめてきた歴史がありますので、農林水産省が二の足を踏むのも当然と言えば当然なことです。ところが、2024年に至って事態は急速に展開し、2024年6月21日には農林水産省は大阪堂島商品取引所におけるお米の先物取引に許可を与えるのです。強引とも言える再開ですので、おそらくその背後には相当の‘お金’が動いたことは容易に推測されます。もっとも、SBI証券は、自らの参加によって米の先物市場が復活したとして恩を着せようとすることでしょう。

 ‘政商’とも揶揄されてきた孫正義氏をトップに頂くSBIホールディングの経営戦略の特徴とは、再生エネ、情報通信あるいは半導体(産業の‘コメ’)といった経済の基幹的な分野への集中投資です。お米もまた、弥生時代より日本人の主食として広く栽培されてきましたので、先物取引を介して価格形成に関与することで、日本国民の食料基盤を押さえようとしたとも考えられます。実際に、昨日の記事で述べたように先物取引が今般の米価高騰を引き起こしているとしますと、お米価格の主導権は、一民間事業者であるソフトバンクに握られてしまったことにもなりましょう。

 さて、SBIの投資傾向が基盤掌握型であり、どこか植民地支配との共通性も伺えるのですが、もう一つ、推理するとすれば、それは、農林中央金庫(農林中金)の巨額損失問題との関連性です。農林中金とは、農業協同組合(JA)、漁業協同組合(JF)、森林組合(JForest)を統括する金融機関であり、純資産100兆円、運用資金の規模は凡そ50兆円ともされます。その農林中金が、今年の5月の決算会見において、外国債権の運用の失敗によって3月期の最終損益で凡そ5000億円の赤字が生じたことを公表しています。翌6月には、2025年3月期の最終赤字が1兆5000億円規模となる見通しを述べたのです。

 同巨額損失については、農協等からの出資による資本増強で対応するとしていますが、この情報が、お米の先物取引において莫大な利益をもたらすチャンスと認識された可能性があります。何故ならば、農林中金とリンケージする農協を中心にお米を高い価格で販売する動機が生まれるからです。農家の所得が増えれば預金額も増えますし、農協が平年よりも高い価格で卸売りをすれば(先物取引の指標となる「現物コメ指数」は相対取引の平均価格・・・)、その増収分を農林中金の増資に充てることもできます。米価上昇が見込まれる状況下にあって買いヘッジを仕掛ければ、相当の収益が期待できるのです。ここに、お米の先物取引市場の復活が急がれた理由があるように思えるのです。

 もちろん、以上に述べてきたことは推測に過ぎませんが、異常なまでの米価高騰は、金融機関や投資家等による投機的動きなくしてはあり得ないようにも思えます。日本国政府は、国民生活を護るためにも、お米の先物取引の問題に真摯に取り組むべきなのではないでしょうか。大阪堂島商品取引所におけるお米の先物取引の許可取り消しも選択肢の一つであると思うのです。

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お米の先物取引が米価を上げる理由

2024年12月18日 11時37分02秒 | 日本政治
 大阪堂島商品取引所で今年の8月から再開されたお米の先物取引は、米価高騰の一因となっているようです。それでは、何故、先物取引がお米の価格を押し上げるのでしょうか。

 この価格上昇のメカニズムは、‘人とは自らの利益を最大化するために行動する’と仮定しますと、容易に理解することができます。先物取引では、現在の取引価格よりも将来の限月における価格が上昇した場合、両者の差額による差益が生まれるのは‘買いヘッジ’です。このため、先物市場で高値が付いている場合には、同市場で取引に参加していない人々までも、大凡の将来における値動きを予測することができるのです。将来的な価格上昇が見込まれるからこそ、‘買いヘッジ’において高値が付くからです。先物市場での高値は、将来における値上がりの‘サイン’とも言えましょう。

 先物市場における価格は公開されていますので、先にも述べましたように、一般の人々も広く知るところとなります。こうした先物市場での価格情報は、売り手側にある人々に様々な反応を引き起こします。先ずもって、直接の生産者であるコメ農家の人々は、将来の値上がりに期待して、現時点で収穫したお米を売却するよりも、より価格が高くなった将来において売り渡そうとするかも知れません。つまり、‘売り渋り’が起きてしまうのです。この結果、お米の供給量が減少し、将来のお話でありながら現在の価格を押し上げる方向に作用します。

 加えて、卸売り業者の行動にも、変化が生じます。農業者の側の基本的な姿勢は‘売り渋り’ですので、お米を売ってもらおうとすれば、当然に、買い取り価格を上げざるを得なくなります。しかも、品薄状態ともなれば、需要と供給との間の均衡も崩れ、供給減少が価格上昇に拍車をかけます。1918年の大正時代の米騒動に際しては、米問屋等の卸売業者がお米の買い占めや売り渋りを理由に焼き討ちに遭うことにもなりました。取引の自由化は、供給量が需要を上回る場合には、価格引き下げ競争が起きますので消費者に恩恵がもたらされますが、需要が上回る場合には、逆に‘値上げ競争’となりますので、一概には消費者にメリットになるとは言えないのです。

 こうした生産者サイドにおける値上がり要因に加え、お米価格の上昇を口実とした便乗値上げも誘引されます。小売店側にとりましても、消費者の間に高いお米価格を当然視する風潮が広がりますと、自らの利益のために価格を上乗せするかも知れません。ましてやお米は日本人の主食ですので消費者は買わざるを得ず、足元を見られがちなのです。また、お米は様々な食品に加工されていますので、値上げラッシュはお米を原材料とする商品にも波及してゆくことでしょう。

 かくして先物取引における高値は、将来を先取りする形で現在のお米の価格にも反影され、消費者は、物価高に苦しむことにもなります。そして、価格上昇による差額の収益期待は、証券会社や商社等の先物市場における参加事業者達にも、高値維持あるいはさらなる価格上昇を望む強い動機ともなるのです。この点、本日Web記事として‘年上げ後にさらなる米価の値上げが予測されている’とする主旨の記事が掲載されていましたが(FBC福井放送)、こうした値上げ予測の記事や情報は、事実を伝えるというよりも、先物市場での値崩れを防ぐことを目的としている可能性もないわけではありません。言い換えますと、‘令和の米騒動’とは、お米市場におけるバブルとも言えるかも知れないのです。

 農業者であれ、卸売業者であれ、証券会社であれ、そして投資家であれ、お米のさらなる価格上昇は、何れに対しましても利益をもたらします。その一方で、負の部分が重くのしかかるのは、高いお米を買わされる一般の国民と言うことになりましょう。先物市場の解禁が人々の利己心をも解放してしまい、多くの人々が生活に苦しむ事態を招いているのが、今日の日本国の現状のようにも思えます。無制限な利己心、あるいは、欲望の追求が社会全体にマイナス影響を及ぼす場合、適切な規制を設けるべきなのですが、大阪堂島商品取引所の大株主となったSBIホールディングスの意向で先物取引が再開されたとなりますと、この問題は、今日、政治とお金との問題にも発展することにもなります。一体、どのような経路や働きかけによって、政府は、お米の先物取引に許可を与えたのでしょうか。米価高騰は、日本国を蝕む様々な問題が絡んでいるように思えるのです(つづく)。

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米価高騰を推理する-先物取引原因説

2024年12月17日 11時28分02秒 | 日本政治
 不思議なことに、主食であるお米の価格が2倍近くにも跳ね上がるという異常事態にありながら、マスメディアのみならずネット上では同問題に関する情報が圧倒的に不足しています。物価高が先の衆議院議員選挙における自公政権の敗因理由の一つでありながら、石破政権もまた、国民生活を護るために対策に乗り出す様子も見られません。‘令和の米騒動’と称されながら、政府は積極的な説明も対策も怠っており、この‘沈黙’には何らかの意図が隠されているようにも思えてきます。余りにも不自然なのです。昨日の記事で述べたように、インバウンド説、猛暑説、肥料価格高騰説、輸送コストアップ説の何れもが説得力に乏しいとしますと、真の原因は、別のところにあるのでしょう。そこで、情報不足の状況にありながら、幾つかの推理を試みてみたいと思います。

 第一の推理は、投機マネーの流入による価格高騰です。お米の先物取引については2011年から試験的な上場が始まり、一端は終了したものの、大阪堂島取引所において先物取引が「コメ指数先物」という名で復活したのは、まさに米価高騰中の今年の8月のことです。日本国には、米の先物取引については、江戸時代から堂島にあって帳合米取引が行なわれていた歴史があります。先物取引とは、長期的な価格安定に寄与する役割を果たす反面(変動リスクのヘッジ)、価格変動の結果としての差額が利益となるために投機の対象ともなり得るのです。

 先物取引にあって投機的な利益を上げる方法としては、買いヘッジと売りヘッジがあります。将来の決済日における価格上昇が予測される場合には先物で買いヘッジを行い、実際に価格が購入価格よりも上がった場合にその差額が収益となります。例えば、お米の先物取引ですと、先物で1俵17000円で購入したお米が、最終決済月である限月には20000万円の価格に上昇していたとしますと、3000円の差額が収益となります。このため、買いヘッジは、将来における値上がりが予測される場合に行なわれます。言い換えますと、将来的に価格が上がるほど、利益も増えてゆくのです。その一方で、価格低下が予測される際に予め高値で売っておく手法が、後者の売りヘッジです。

 こうした先物取引における投機性に注目しますと、堂島取引所の仕組みは、価格調整機能よりも投機的な取引に偏っているようにも見えます。何故ならば、先ずもって同市場への参加事業者は、商社のみならず、金融事業者、即ち、証券会社も参加しているからです(売りヘッジは、価格調整機能を必要とする生産者側にメリットがある・・・)。開始直後は三社程度でしたが、今日では、SBI証券も参加しています。堂島での先物復活にも、SBIホールディングスが暗躍したとされ、同取引所が会員組織から株式会社への衣替えする際に株式の取得により3割を越える議決権を握っているとされます。ここに、投機的なマネーがコメ先物市場に流入する要因を見出すことができましょう。因みに、同取引での米価は、全国の相対取引を平均化した「現物コメ指数」であり、農林水産省が作成して毎月公表されています(正確には公益社団法人米穀安定供給確保支援機構)。

 そして、先物取引と米価高騰との関係を探るに際しては、うるち米ともち米との値動きの違いにも注目すべきかもしれません。何故ならば、農林水産省が公表している東京穀物商品取引所に関する資料に依りますと(同取引所は、2013年に大阪堂島商品取引所と東京商品取引所に移管・・・)、2012年に策定された「米穀の合意基づく早受渡しの特例」における同特例の対象は「水稲うるち玄米」としているからです。また、現在、同省のホームページで公開されている相対取引価格の一覧表を見ましても、同表に掲載されているのはうるち米の銘柄みのようです。昨今の物価を見ますと、もち米の価格はうるち米ほどには値上がっておりません。スーパーでのお餅一袋の小売価格の全国平均は、去年2023年10月では729円でしたが、一年後の激しい米価高騰に見舞われていた今年2024年10月では743円に過ぎません。内外の要因がもたらす稲作に対する影響は同じなのですから、両者の値上がり幅の著しい違いは、全てではないにせよ、先物取引の影響を示しているように思えるのです(つづく)。

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日本国の米価高騰は人災か?

2024年12月16日 11時19分18秒 | 日本政治
 2024年は、異常なまでのお米価格の上昇に見舞われた年でした。夏頃には平年ですと5キロ2000円台程度であったお米の小売り価格があれよあれよという間に3000円台に上昇し、秋の収穫期が過ぎた今日でも、一向に価格が下がる気配はありません。4000円台や5000円台のお米も珍しくはないのです。米価格だけを見れば、50%から100%を越えるインフレ率ともなりましょう。お米は日本人の主食ですので、急激な米価高騰は国民生活を直撃します。ところがこの状態を、日本国政府は、全くと言ってもよいほどに放置しているのです。今般の米価高騰については、様々な理由が挙げられていますが、一体、どこに原因があるのでしょうか。

 米価高騰の原因の一つとされるのは、コロナ禍収束後におけるインバウンドによる需要の増加です。需要増を受けて国内の米供給が逼迫したことから、お米価格が上昇したとする説です。しかしながら、訪日外国人数は、コロナ以前のレベルを回復した9月でも凡そ287万人に過ぎません。仮にこの説が正しければ、既に200万人を越えていた2016年から2020年までの期間にあっても、お米価格の急激な上昇が見られたはずです(統計に依れば、同期間の米価は横ばいのようです・・・)。しかも、お寿司に代表されるように和食にはお米を使う料理が多いものの、観光であれ、ビジネスであれ、来日した外国人が、日本国のお米価格を暴騰させるほど大量のお米を消費したとも思えません。インバウンド説は、どこか説得力に欠けているのです。仮に同説に従うとすれば、日本国政府は、国民の食料確保の観点から、今後、外国人の入国規制を行なわざるを得なくなりましょう。

 第二に米価高騰の要因とされているのは、天候の影響です。過去の事例を見ましても、天候不良による不作が米価の高騰を引き起こしており、歴史上の大飢饉の大半も冷夏や日照不足が原因となっています。この点、天候説の方が上述したインバウンド説よりも説得力がありましょう。しかしながら、今般の不作の原因は、異常な猛暑が続いたところにあり、過去にあって幾度も飢饉を引き起こしてきた冷害ではありません。高温の影響で、「一等米」の率が減少したというのです。全国平均で「一等米」の率が17.6ポイントも下回ったとされます。確かにこの説明を受けると納得しそうにもなるのですが、実のところ、「2等米」や「3等米」であっても食用に適さない、ということではないようです。実際に、ネット上では「2等米」が販売されており、ブランド米ですと「1等米」より僅かに低価格であるに過ぎません。品薄の原因が消費者の「1等米」への拘りにあるのならば、低価格をアピールして「2等米」や「3等米」の販売を促進し、供給量を増やせば、品不足は緩和されるはずです。政府は、何故、「2等米」や「3等米」を活用しようとはしないのでしょうか。

 また、従来の冷害ではなく、‘熱害’が原因であるならば、事前の対策も打てたはずです。ましてや日本国政府は、地球温暖化説に基づいてカーボンニュートラル政策を協力に推進しているのですから、エネルギー政策のみならず、農業政策にあっても温暖化への対策を講じるべき立場にあります。お米とは、熱帯地方では二毛作が行なわれているように、本来、気温が高い地域に適した作物です。これまでの品種改良は、緯度の高い地域でも栽培し得る品種の開発であったのでしょうが、温暖化予測を信じるならば、猛暑にあっても収穫量や品質が落ちない品種を準備しておくべきであったと言えましょう。あるいは、供給量を増やすならば、猛暑を逆手にとった二毛作用の品種の開発や導入も検討すべきであったのかも知れません。

 加えて第3の要因とされるのが、肥料価格の上昇です。確かに、国際市場における状況の変化から、2022年をピークに著しい肥料価格の上昇が起きています(サプライチェーンの寸断リスクやEU、ブラジル、中国、インド、ロシア等の動向が影響・・・)。しかしながら、この点についても、2023年には平年レベルに低下しており、国際価格の影響は薄らいでいます。また、同様に肥料価格の高騰に見舞われた2008年にあって日本国内における米価への影響が全く見られませんので、この説明も説得力に乏しいのです。

 以上に、米価高騰に関する幾つかの主要な説を見てきましたが、何れも、著しい米価の高騰を招く要因としては根拠が弱く、かつ、政府の無策が目立ちます。これらの他にも運送費等の上昇説もありますが、この説も、他の商品価格の高騰率と比較しますと、説得力を失います。そして、さらに要因を突き詰めていきますと、長期に亘る減反政策のみならず、米先物市場の開設、農協並びに農林中金の巨額赤字問題、米製品の輸出促進など、農政全般の問題が浮かび上がってくるように思えるのです(つづく)。

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どうして企業・団体献金は‘だめ’なのか

2024年12月12日 10時11分59秒 | 日本政治
 自民党のパーティー券に端を発した政治資金の問題は、先の衆議院議員選挙にあって自民党の議席激減の一要因として指摘されたように、多くの国民に政治腐敗の元凶として認識されています。今般の一件では、収支報告書の記載における不正が‘裏金’として咎められたものの、企業・団体献金自体は、政治資金規正法等の法律に従っていれば許されています。このため、先の選挙では、立憲民主党や日本維新の会など、公約に団体献金の全面的な禁止を掲げた政党も現れることとなりました。とは申しますものの、企業・団体献金の禁止については、幾つかの側面から反対意見があります。果たして、これらの反論には、合理性や説得力があるのでしょうか。

 今月10日に開かれた衆議院予算員会での石破首相の答弁からしますと、先ずもって、反対論の根拠としては、‘憲法第21条への抵触’が挙げられているようです。石破首相に依れば、企業献金の禁止は、憲法の同条が保障している表現の自由を侵害するというのです。企業による政治献金も、自らの政治的見解を自由に表現したものであるので、これを禁じることは企業の自由の侵害に当たる、とする論理です。

 石破首相の同見解は、「禁止に反対するのは参政権侵害に当たると考えるためか」立憲民主党の米山隆一氏の質問に応えたものです。この米山氏の質問から、第二の禁止反対の論拠として、参政権の侵害も指摘されていることが分かります。こちらの方は、企業・団体による政治献金は政治活動の一環であるので、これを禁じることは、政治に参加する権利を侵害することになる、ということなのでしょう。

 何れも、憲法違反を根拠とする禁止反対論となり、尤もらしくも聞えます。しかしながら、どこか詭弁のようにも思えるのは、人々の心の中に、公権力をお金で動かすことに対する内なる理性の声とも言える拒否感や懐疑心があるからなのでしょう。何故ならば、お金で公権力を買い取ることができるのであれば、公権力は、極少数の資金力のある人々に私物化され、大多数を占める資金力の無い人の声は、政策に反映されなくかってしまうからです。言い換えますと、民意に応えた政治ではなく、マネー・パワーを有する一部の人々の利益を叶えるための政治に堕してしまい、民主主義に反してしまうのです。

 しかも、企業・団体献金の禁止が、これらの表現の自由や参政権を侵害したり、奪ったりするわけでもありません。献金とは、数ある表現手段の一つに過ぎず、請願制度の利用、陳情、要望書の提出など、政府の政策に対する自らの立場や要望を政治の場に届ける手段やルートは他にもあります。否、企業・団体献金の場合には、政治家は、資金を提供する特定の企業や団体の‘声’しか聞かないことになるのですから、むしろ刑罰の対象となる贈収賄に限りなく近い行為ともなりましょう。

 企業の参政権侵害の指摘につきましても、企業・団体献金の容認は、政治参加の手段としての‘お金’の授受を公然と認めることを意味します。国民が個人レベルで参政権を行使する場である選挙制度にあっては、一票の格差が常々問題視され、最高裁判所などでも違憲判決が示されています。その一方で、企業・団体献金を集団レベルでの政治参加の手段と見なすならば、平等原則から著しく逸脱してしまうのです。‘見返り’を前提として献金する一部企業・団体のみに‘参政権’を与えることになるのですから。これこそ、憲法違反ともなりかねないのです。

 因みに、日経新聞の「私の履歴書」欄にて日本政治の研究で知られるジェラルド・カーティス氏が自らの半生を綴っております。この中で、同氏は、資金力に乏しい一般の人が政治家になるためには、ある程度の献金やお金を受けとるのは仕方がない、との主旨の見解を述べておられました。この側面は、民主主義国家である日米とも変わりはないとしています。カーティス氏の見解は、被選挙権における機会の平等に注目した、もう一つの企業献金擁護論となりましょう。しかしながら、資金力のない政治家が献金を介して資金力のある一部の勢力の意のままに動き、政策を決定してゆくとなりますと、結局は、政治家の傀儡化による一部の‘富裕者のため政治’に至ってしまうのではないでしょうか(一方、国民のニーズは無視され、重税のみが課せられる・・・)。同士の両親は、ゼレンスキー大統領と同じくユダヤ系ウクライナ人なそうですが、腐敗大国であるウクライナの政治体質を是認しているようにも思えます。そしてそれは、今日のグローバリストとも‘世界観’を共有しているのかも知れません。

 以上に、企業・団体献金における公権力の私物化問題について述べてきましたが、仮に、政治家自身が、企業の表現の自由や参政権を尊重すべきと考えるならば、政治資金に関する改革のみならず、より公平・平等に企業や国民が意見や要望を表明し得る制度を構築すべきです。政治家がマネー・パワーに取り込まれてしまう現状こそ改善すべきであり、資金力の如何に拘わらずに誰もが政治家となり得、また、政治と企業を含めた国民をむすぶための制度的な工夫が凝らされた、真の意味での民主的な国家を目指すべきではないかと思うのです。

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グローバリズムの‘模範回答’を語る東大総長

2024年11月25日 11時54分23秒 | 日本政治
 昨日11月24日付けの日経新聞朝刊の2面は、藤井輝夫東大総長のインタヴュー記事で占められていました。同記事を読んで驚かされたのは、日本国の大学の最高峰とされる東大が、グローバリズムに乗っ取られてしまっている現実です。その理由は、藤井総長の返答が、悉くグローバリズムの‘模範回答’となっているからです。

 仮にグローバリストが東大総長のポストの採用試験を実施したとすれば、藤井総長は、100点満点のトップの成績を収めたかも知れません。この場合、まさしく‘模範解答’となるのでしょうが、既に受け答えの内容が想定問答として出来上がっていたのではないかと疑われるほどに、採用者側と目されるグローバリストが理想として描く大学像をそのままそっくり言葉として表現しているのです。

 同記事を読みますと、藤井総長が目指す大学改革とは、大学の一種のグローバル営利企業化に他ならないことが分かります。先ずもって紙面をめくりますと「「稼ぐ力」なくして自立なし」とするメインタイトルが目に飛び込んできます。サブタイトルにも「授業料上げ、もう待てず」、「入試、定員削減より多様性」とあり、改革に際しての同総長の決意が示されています。記事の本文にも「ファイナンをマネジメントできる組織になることも欠かせない」として、「最高投資責任者(CIO)職や最高財務責任者(CFO)を新設した」とありますので、同総長の改革は、経営者視点からの営利団体としての機構改革にまで及んでいるのです。

 それでは、何故、かくも東大のグローバル営利企業化への改革が急がれたのでしょうか。その主たる理由として述べられているのが、グローバル競争における劣位です。東大は、世界大学ランキングでは28位に留まり、中国の精華大学や北京大学のみならず、シンガポールの国立大学といったアジアの大学よりも下位にあるというのです。つまり、ランキングの上位を目指すには、さらなるグローバル化に向けた改革が不可欠であると認識されているのです。しかしながら、ここに、‘秀才型の東大生’の弱点が見えるように思えます。

 まずもって第1の弱点として挙げられるのが、激しい受験戦争に勝ち抜いてきた負けず嫌いのメンタリティーに由来してか、常にランキングに敏感に反応してしまう傾向です。このため、世界大学ランキングの順位を上げるために改革を行なうという、本末転倒が起きてしまうのです。改革の必要があるとすれば、それは、学生が良質の教育を受け、かつ、研究者が研究に集中して打ち込める環境を整えるなど、学生並びに研究者本位であるべきなのではないでしょうか。

 第二に、‘秀才型の東大生’は、与えられた問題や課題を、既存の解法通りに解くことは得意です。想定問題の繰り返しにより条件反射的な回答もありましょうし、暗記力に頼ることもありましょう。今般の東大改革のように、グローバル営利企業化という課題が課せられた場合にも、グローバリズムの手法をそのままなぞって手際よく実行しているように見えるのです。。

 第二の弱点と関連して第三に挙げられるのは、出題の方が間違っている可能性を考えないことです。今日、グローバリズムには形を変えた植民地主義とする批判もあり、各国にあって既に国民からの抵抗も見られるようになりました。グローバリズム=理想=善とする構図は崩壊過程にあり、既に見直しの時期に入っていると言えましょう。当然に、東大もグローバリズムに対して懐疑的な方向に転じて然るべきなのですが、藤井総長は、グローバル原理主義者の如くに自らの改革方針を疑おうとはしないのです。この側面は、ランキングの評価基準にも言えることです。設定されている評価そのものが無意味である可能性については初めから排除されているのです。

 そして、弱点の第4点目は、テストの回答を提出したり、設定された課題を達成した時点で満足してしまう点です。これは、大学生の多くに5月病が見られる要因でもあるのですが、東大改革が何を意味するのか、あるいは、後に何が起きるかについては、深くは考えていないのかも知れません。東大の自立とは、日本国から東大を切り離し、優秀な学生や研究者、並びに、研究施設等を丸ごと世界権力に献上することを意味するかも知れませんし、グローバル企業が圧倒的に有利となるグローバル市場では、東大で養成されたグローバル人材が海外のグローバル企業に勤め、やがて日本企業を駆逐しないとも限りません(現地人の取り込みは植民地支配の常套手段・・・)。また、ランキングに拘るばかりにグローバル・スタンダードの評価基準に従えば大学の多様性が失われ、金太郎飴のように全世界の大学が画一化してしまいます。こうしたリスクについては、全く眼中にないようなのです。

 同改革方針が、藤井総長の個人的な発案であるとは思えませんし、仮に、そうであるとすれば、東大の私物化ともなりましょう。そもそも、学長への権限集中化こそグローバリストの意に添った文科省による大学改革であったのかも知れないのですが、おそらく同総長は、‘秀才型の東大生’、否、‘秀才型の東大総長’であって、グローバリストにとりましては、最も忠実に自らの期待に応え、大学の営利団体化を実行させるには最適人材なのでしょう。

 東大改革については、それが国立大学でる以上、国民的な議論に付すべきですし、国民の多くは、‘部下’としては有能な秀才型ではなく、‘天才型の東大総長’の登場を求めているのではないでしょうか。世界大学ランキングには参加せず、営利ではなく学問の追求によって、世界のどこにもないようなユニークな大学を目指す方が、余程、国民の賛同を得るのではないかと思うのです。

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国民民主躍進は小泉政権誕生の代替シナリオ?

2024年11月04日 11時52分30秒 | 日本政治
 先月10月27日に投開票が行なわれた衆議院議員選挙の結果は、与党側の敗北という結果に終わりました。自公政権に対する国民の不満が募っていただけに、予測通りの結果とはなったとですが、同選挙結果で特に注目を浴びているのが国民民主党です。解散前の7議席から28議席へと議席数を4倍にしたのですから驚くべき躍進です。

 同党の勝因については、様々な指摘があります。かつての民主党政権に懲りた無党派層が、野田佳彦代表率いる立憲民主党への投票を避け、より‘悪夢の民主党政権時代’のイメージの薄い国民民主党を選択したとする説、保守政党としての自民党の‘偽りの看板’に気付き、浮動票となった保守層の票が立憲民主党よりも自民党に近い国民民主党に流れ込んだとする説、物価高や所得の相対的低下に苦しく国民の多くが、‘みんなの手取りを増やす’政策を公約に掲げた国民民主党に期待したとする説、政治に無関心であった若者層が国民民主党の若々しい斬新なイメージに共感したとする説などなど。今日の日本国の政治状況からしますと、何れも説にもそれなりの説明力がありますので、同党の勝因は複合的な要因が絡むものなのでしょう。

 何れにしましても、同結果を受けて与党側の議席が過半数を下回り、少数与党となったことから、11月11日に行なわれる臨時国会での首相指名をめぐって混乱が生じています。自公両党は、国民民主党との「部分連合」を模索しているとされ、この構想が実現しますと、基本的には自公政権が継続されます。国民民主党を‘野党側’と信じて投票したものの、蓋を開けてみれば与党側に投票したことにもなり、落胆する有権者も少なくないことでしょう。もっとも、とりわけ同党が掲げる‘全て’の公約、すなわち基礎控除の178万円への引き上げをはじめとした所得税減税や消費税減税、社会保障負担の軽減、電気・ガソリン代の値下げ、円安効果の国民への還元等が全て実現すれば、それで満足する向きもあるかも知れません。従来の自公民路線が増税・負担増でしたので、財政に関する政府の基本方針が逆方向に転じるからです。

 その一方で、野党側が首相指名で候補者を一本化し(決選投票・・・)、国民民主党が野党側候補者に投票する展開もあり得ますので(あるいは、国民民主党が投票用紙に代表の玉木雄一郎氏の氏名を記載するならば、立憲民主党その他の政党が足並みを揃えて玉木氏を指名すれば、玉木政権による政権交代の可能性も・・・)、何れにしましても、国民民主党がキャスティングボートを握っている観があります。しかしながら、首相指名、あるいは、連立政権の組み合わせが固まるのを前にして、国民民主党を取り巻く空気に変化が生じてきているように思えます。否、‘変化’と言うよりは、水面下で構想されてきた何かが表面化してきていると表現する方が適切であるのかもしれません。

 その‘何か’とは、彗星の如くに登場した若手政治家をリーダーとする、世界権力が進めるグローバル政策をより忠実に実行する政府の樹立です。いわば、日本国におけるマクロン方式の試みとも言えましょう(‘小が大を飲む’・・・)。おそらく、自民党総裁選挙にあっては、小泉進次郎氏を首班とする新内閣の発足を期待していたのでしょうが(それ以前は河野太郎氏であり、東京都知事選では石丸伸二氏?)、同計画は、同氏の‘正体’が国民の前に露わになるにつれて萎んでゆきます。そこで、次なるチャンスとして再チャレンジしたのが、今般の早期解散と衆議院議員選挙であったのかも知れません。つまり、玉木政権成立とまではいかないにしても、‘小泉政権の代替シナリオ’、あるいは、事後的な対応としての‘玉木代表の小泉化’とする見方もできないわけではないのです。

 実際に、マスメディアの論調は、小泉候補を思わせるほどに国民民主党に好意的です。その一方で、11月7日には駐日米大使のラーム・エマニュエル氏との会談が予定されていると報じられています。アメリカとイスラエルの両国籍を有するユダヤ人である同氏は、日本国に対する政治介入においてその強引さがとかくに批判もされてきましたが、リベラルなグローバリストでもあります。同会談は、グローバリストによる国民民主党の取り込み、あるいは、事実上の‘審査手続き’であるのかもしれません(アメリカ大統領選挙の日程は無視されているので、この場合、エマニュエル氏の立場は、アメリカではなくなく世界権力の‘駐日大使’・・・)。また、玉木代表は、唐突にXにて石破茂首相のブレーンとして起用された川上高司内閣官房参与について、‘ディープ・ステート論者’として批判し始めてもいます。同発言も、日本国民に向けられているというよりも、陰謀否定の姿勢を世界権力に対してアピールしているようにも見えてきます(陰謀の多くは事実ですので、陰謀を暴くのではなくそれを実行する側に与するというアピールに・・)。因みに、アジア版NATO設立構想は、第三次世界大戦への導火線ともなり得ますので、‘ディープ・ステート’には有利となります。

 果たしては国民民主党は、日本国民のための政治を目指すのでしょうか。それとも、自公政権と同様にグローバル勢力の駒の一つとなるのでしょうか。アメリカ大統領選挙も間近に控え、ここ暫く、国民が目を離すことが出来ない状況が続くように思えるのです。

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‘裏金選挙’であれば自公政権の政策は変わらない-矮小化された争点

2024年10月29日 12時28分28秒 | 日本政治
 今般の衆議院選挙は‘裏金選挙’とも称されるほどに、自民党の裏金問題を争点とした選挙とするイメージが振りまかれています。マスメディアも総出で同イメージの刷り込みに協力しているようにも見えます。配信記事のみならずコメンテーター等も含め、同選挙結果と自公政権の政策運営との関連性について言及するメディアが殆どないからです。全ての国民が裏金問題だけを判断材料として投票したのではないにも拘わらず・・・。あまりの徹底ぶりに情報統制も疑われるのですが、仮に政界やメディアが報じるように今般の選挙が‘裏金選挙’であるならば、国民にとりましては、由々しき事態が発生することになりましょう。

 由々しき事態とは、‘政策が全く変わらない’、というものです。今般の選挙に際しては、左右を問わずに自民党以外の政党の多くも、裏金問題’を強く意識し、自らの公約に政治改革や政治浄化を掲げて選挙戦に臨んでいます。立憲民主党、社民党、共産党は何れも公約のトップに置いていますし、日本維新の会も、政治改革を‘四大改革’の第一改革に位置づけています。このことは、同選挙にあっては最初から‘裏金路線’が敷かれており、与党側の敗北が高い確率で予測される選挙の結果については、裏金問題をもって説明し得るように準備していたとも考えられましょう。‘有権者は、自民党の裏金問題を最優先課題として投票した’とする説明が成り立つための、一種の‘アリバイ造り’であったのかもしれません。

 当の自民党も、与党側の過半数割れの選挙結果を受けて、茂木敏充前幹事長が最大の敗因は‘裏金問題’にある旨の発言をしています。この‘自己分析’も、的確に民意を分析した結果ではなく、‘裏金路線’に沿ったものなのでしょう。確かに、パーティ券収入をめぐる‘裏金問題’は自民党にとりましてはある程度のマイナス要因とはなるものの、自公両党の主観的な立場からすれば、必ずしも自らが行なってきた数々の政策に対する国民からの拒絶や退陣要求を意味しないからです。

 同解釈によれば、悪代官による国民虐めの如きものであっても、自公政権が進めてきた政策には問題がないということにもなりかねません。今後の連立の組み合わせ、あるいは、誰が内閣総理大臣に指名されるのか、といった新政権の如何に拘わらず、少なくとも政策については、方針の転換や見直し、あるいは、中止や中断を国民から求められていない、と主張することができるのです。たとえそれが、野党側による‘新政権’であったとしても・・・。

 今般の衆議院選挙を‘裏金選挙’と見なすことは、結局、今後の国政が問われるべきにも拘わらず、一つの政党における腐敗問題に矮小化してしまう結果を招いてしまいます。言い換えますと、党内にあって裏金問題が解消されさえすれば、国政選挙で示された‘民意に政治サイドが応えた’ことにされてしまうのです。何れの政権であっても、世界権力が推進するグローバリスト政策は継承されてゆき、今後とも、何らの反省も検証もなく、如何なる健康被害が生じようともワクチン接種政策は粛々と遂行され、国民のデジタル管理体制も強化されてゆくことでしょう。急速に増加している移民の問題等も放置されるものと予測されます。裏金問題は、本丸あるいは本陣であるグローバル政策を護るための陽動作戦、あるいは、囮作戦であったとする見方も強ち否定はできないのです。しかも、大敗を喫した自民党が、政権維持あるいは党勢維持のために裏金問題で離党した当選議員達を自党に呼び戻すとすれば、一体、この選挙は何であったのか、わけがわからなくなります。

 目下、自民党は、今般の選挙にて28議席を獲得して躍進を遂げた国民民主党に対して「部分連合」を呼びかけていると報じられています。閣僚ポストを提供することなく、政策ごとに協力できる部分のみ連携する、すなわち、国民民主党が掲げる政策を取り入れるとする提案のようですが(見返りに特別国家での首相指名の議決に際して石破首相を支持・・・)、この方式は、グローバル政策のみが協力分野としてピックアップするには好都合です。また、国民民主党のみならず、他の政党との同様の「部分連合」もあり得ることでしょう。裏金問題に国民の関心を集めている間に、○△□●▲■を公約として掲げた与党側政党と◎●▽▲◇■を公約とした野党側政党との間の協力により、国民が望んでいない●▲■のみが実現させる可能性もあるからです。このように考えますと、裏金問題の目眩ましに惑わされることなく、自公政権下において遂行されてきた“悪名高き”政策の行方こそ注視すべきではないかと思うのです。

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自公与党の敗因は‘裏金問題’ではないのでは?

2024年10月28日 11時51分45秒 | 日本政治
 昨日10月27日に実施された衆議院選挙の結果は、連立を組む自民公明両党の大敗という結果に終わったようです。加えて、同選挙結果には、戦後三番目の低投票率を記録しています(推定53.84%)。与党側の敗因は、マスメディアでは自民党の裏金体質が影響したと決めつけていますが、自民党の金権体質は今に始まったことではなく、また、同時に公明党も議席数を減らしています。この点に注目しますと、真の敗因は、自民党の実態がグローバリスト勢力の‘悪代官’であったことが、国民の前に明らかとなったところにあるのではないでしょうか。

 自公政権の政策の大半は、アメリカをも自らのコントロール下に置く世界権力の意向に沿ったものであったことは、日本国民を後回しにし、時には犠牲に供する政策の数々に現れています。その最たる政策は、コロナ・ワクチン接種事業や早急なデジタル化政策であり、既に1兆円を超えるとされるウクライナ支援もその一つと言えましょう。利権まみれの再生エネ推進政策や、保守政党でありながら事実上の移民受け入れ政策に転換したことも、自公政権に対する不評の要因となっています。この他にも、電力や米価を含む物価高は国民生活を直撃するわけですから、国民の多くが自公政権の継続を望まないのは当然の結果となりましょう。

 実際に、真の敗因が裏金問題ではないことは、ワクチン接種推進担当相並びにデジタル相を務めた河野太郎氏の選挙結果が示唆しています。同氏には裏金問題はなく、むしろ、自民党総裁選挙にあって‘裏金議員’に国家への返還を求めるなど、同問題に対して厳しい対処を主張してきました。しかしながら、神奈川15区にて当選確実とはなったものの、前回の衆議院選挙で獲得した21万票から13万票に減らしており、凡そ8万票という大幅な得票数の減少が見られたのです。同氏に対して吹いた逆風は、ワクチンやデジタル等の問題が有権者の投票行動に大きな影響を与えたことを示していると言えましょう。

 その一方で、裏金議員の全員が議席を失ったわけでもありません。裏金事件で処分を受け、自民党を離党した世耕弘成氏は和歌山2区で当選し、兵庫二区でも西村康稔氏が議席を維持しています。しかも、元統一教会問題に加え、自民党非公認の立候補となったものの、同党から2000万円の‘裏支援’を受けていたとされる萩生田光一氏まで東京24区で当選を果たしているのです。自民党全体としては、裏金議員の当落は18勝28敗となるそうですが、全体としては65議席も減らしおり、裏金問題のみでは説明が付きません。

 これらの当落の結果からしますと、必ずしも裏金問題が自民党の議席数を激減させるほどの原因であったとは考え難く、主因とは言えないはずです。本当のところは、上述したように自公政権による国民を踏みにじるような‘グローバル政策’が批判を受けた推測されるのです。しかしながら、おそらく自民党も公明党も、あくまでも裏金問題主因説を固守しようとすることでしょう。これを認めれば、自らが世界権力の傀儡政権であり、‘悪代官’の役割を担っていたことを自白するに等しいからです。自民党の茂木敏充前幹事長は、出演したNHKの番組にあって「政治資金の問題について厳しい声が寄せられたのが大きかった。景気をどうするか、物価高にどう対応するか党として明確な訴えが十分できなかった。反省しなければいけない」と述べ、敗北要因は裏金問題にあるとアピールしています。日本国のマスメディアの大半も、グローバリストの強い影響下にあり、かつ、情報統制や世論誘導役として自公政権の片棒を担ぎましたので、真の敗因を報じるわけもありません。

 そして、ここに日本国の最大の政治問題が浮かび上がることとなります。国民が現政権の政策、即ち、世界政府が推進するグローバル政策に対する不支持の意思を込めて与党側への投票を控えたとしても、その国民世論が無視されてしまうと言う問題です。否、二頭作戦や多頭作戦の存在を考慮すれば、野党もまた無視を決め込むかも知れません。実のところ、世界権力は、立憲民主党を中心とする政権への交代、首相交代、あるいは、政界再編等を意図して裏から早期解散を指示、あるいは、誘導したかも知れないのですから。次期政権がどのような組み合わせとなるのかは、現時点では判然とはしませんが、今般の衆議院議員選挙は、日本国政府あるいは政界そのものを、多くの国民が自らにも直接に関わる重大リスクとして実感する転機となったのではないかと思うのです(つづく)。



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国民の関心事が‘公約除外’とされる問題

2024年10月25日 12時23分05秒 | 日本政治
 各政党が公約を掲げて選挙戦を闘うスタイルは、一見、公約の比較により国民が政策を選べるという意味において民主的制度を進化させたように見えます。国民による単なる人事権の行使ではなく、間接的であれ、国民が政策形成過程に関与する形となるからです。しかしながら、これまでの記事でも述べてきたように、公約には様々な問題が潜んでいます。本日提起するもう一つの問題は、国民の関心が高い重要問題が‘公約除外’とされる問題です。

 各党の公約の要旨を読み比べてみますと、あたかも示し合わせたかのように特定の政策領域に公約が集中しています。もちろん、これらの公約を編集したメディア側が予め恣意的に取捨選択している可能性もあり、詳細な政策綱領にあってはより幅広い政策領域について記載されているかも知れません。しかしながら、投票に際して多くの有権者が判断材料とする比例代表区の選挙公報を読みましても、何れの政党も、自民党の裏金問題に端を発した政治改革、減税案を含む税制、社会保障政策、教育無償化等の子育て・教育支援、日米同盟の在り方を問う安全保障政策などに集中しているのです。しかも、その殆どが箇条書きであり、詳しい説明が付されているわけでもありません。

 それでは、国民の政治的関心は、政治サイドが設定した政策領域に限定されているのでしょうか。紙面や文字数が限られているため、重要な問題しかピックアップできなかったとする理由付けもあるかもしれません。しかしながら、昨今の社会状況や世論の動向からしましても、公約に掲げるべき重要問題は山積しています。例えば、近年の急増を受けて治安の悪化も懸念される移民問題は、既にアメリカやヨーロッパ諸国のみの政治課題ではなくなっています。川口市のクルド人問題のみならず、外国人や中国系マフィア等による犯罪事件が頻繁に報じられるようにもなりました。本来であれば、欧米諸国と同様に、日本国にあっても活発に議論し、選挙を介して国民が判断すべき問題と言えましょう。

 また、移民問題に劣らず、政府によるコロナ・ワクチンの接種事業に対しても、国民の間から疑問や反対の声が上がっています。厚生労働省が認定しただけでも、800名を超える人々が命を落としており、その健康被害は甚大です。安全性が疑問視されているレプリコン型ワクチンの接種も始まってもおり、国民の不安は募る一方です。マスメディアは、‘反ワクチン’については、あたかも極端な思想の持ち主が集まった‘陰謀論者’の集団であるかのように報じていますが、自公政権によるワクチン接種推進政策については、多くの国民が、抜本的な見直しと時間をかけた客観的かつ科学的な検証を望んでいるのではないでしょうか。

 さらには、現政権が積極的に推進しているマイナンバー制度をはじめとしたデジタル化やカーボンニュートラル政策も、国民監視の強化やデジタル全体主義化、並びに、環境破壊やエネルギー価格の高騰等の危惧もあり、国民から積極的な支持を受けているわけでもありません。これらの他にも、東京メトロの政府保有分の売却やNTT法の見直しを含む民営化政策やその他の新自由主義政策、国民の生活水準の低下を意味する物価高、矛盾に満ちた農政への懸念、さらには、憲法改正に際しての緊急事態条項の扱いなど、国民は、自らに直接に関わる政治問題を多数抱えています。あるいは、曲がり角を迎えている象徴天皇や皇族の問題も、その存在意義を含めた既に国民的な議論を要する時期に差し掛かっているように思えます。

 これらの重要課題については、公約にあって積極的に自らの党の立場や方針を明らかにしている政党は皆無に近く、むしろ、申し合わせたかのように議論を回避しているようにも見えます。何れの政党も、当たり障りのない一般受けするような公約ばかりを並べており、政策選択としての争点らしい争点も見当たらないのです(敢て言えば、自公政権存続の是非をめぐる選挙・・・)。国民の負担減を訴えるという意味では評価されるのでしょうが、上述したような国民の関心が高い重大な問題については議論を避けるという、一種の‘談合’が政党間に成立しているとも言えましょう。

 こうした政党間に観察される画一的な公約対象の事前選択は、有権者の選択を無意味にする多頭作戦を採用してきた世界権力が、日本国の主要政党を外部からコントロールしている証でもあるのかも知れません。単独であれ、連立であれ、選挙の結果として何れの政党が政権与党となろうとも、同勢力の基本方針から大きく外れることはなく、各政党の公約にちりばめられている自らの政策を実行させれば、日本国をグローバルレベルでの自らの支配体制によりしっかりと組み込むことが出来るからです。しかもそれは、誰からの命令や指示でもなく、民主的選挙を介して日本国民が‘自らの自由意志で選択した結果’と見なされるのです。

 以上に述べてきた公約の問題は、結局、国民の発案権が弱いという現状の制度的欠陥にも行き着きます。選挙における公約とは、政策決定手続きの入り口である提案の権限を政党や政治家が独占していることを意味するからです(しかも、公約に掲載されていない部分は白紙委任になりかねない・・・)。このように考えますと、グローバリストのコントロールの外にあり、独立的かつ広く民意を代表する政党の出現、否、政党に拘わらず、より民意を反映し得る政治システムの構築こそ、今日の日本国民は必要としているのではないかと思うのです。

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現政権への批判票と公約の問題

2024年10月24日 11時49分18秒 | 日本政治
 世の中では、しばしば自らが原因となって敗北してしまう‘自滅’という現象が起きるものです。選挙にあっても、有権者は、選挙に勝利した側を積極的に支持したわけではなく、選挙の結果が、勝者側の得点ではなく敗者側の失点によって決まってしまうケースがあります。10月27日に投票日を迎える今般の衆議院選挙にあっても、同現象を見出すことができましょう。連立政権を組んでいる自民党並びに公明党の苦戦が報じられており、その主たる原因は、自公政権の失政、否、悪政にあるからです。相当数の国民から怒りを買ってしまったのですから。

 与党の過半数割れが起きるとすれば、それはまさしく自らへの不評に起因する自滅なのですが、ここに、公約に関するもう一つの問題が持ち上がります。それは、現政権に対する批判票をもって勝利はしたものの、野党に一票を投じた国民の多くは、必ずしも投票先の政党が掲げる政策を支持しているわけではなく、ましてや公約についてもその実現を切望しているわけではない、という乖離の問題です。現政権の退陣を求める批判票は、投票先政党の政策支持を意味しないのです。

 実際に、野党の中には、極めて非現実的な政策を掲げている政党も見受けられます。過去にあって唯一の政権交代となった2009年における民主党政権の誕生に際しても、同様の現象が問題となりました。この時も、有権者の多くが長期に及ぶ自民党政権に愛想を尽かし、漠然とした期待感から民主党に投票はしたものの、その期待は悉く裏切られています。民主党政権では、公約の遵守どころか、菅直人首相に至っては「議会制民主主義は期限を切った独裁」と述べたのですから、その後の政策運営は推して知るべし、ということになりましょう。政権与党になれば、公約の範囲をも超えて何でも好き勝手に出来ると考えていたとしますと、そら恐ろしいと言わざるを得ません。「悪夢の民主党」という評された所以は、まさに「批判票≢政策支持」の問題にあったと考えられるのです。

 大量に発生した批判票が野党政党に流れ込むことが予測されている今般の衆議院選挙では、何れの連立の組み合わせであれ、現状の自公の枠組みが維持される可能性は極めて低いと言えましょう。そして、この予測は、前回の政権交代の悪夢を繰り返すリスクを暗示してもいます。勝利した側の野党は、自らの公約が国民からの支持を得たとして、政権発足後に、独善的な立場から国民の望まぬ方向に政策方針の舵を切るかもしれません。自公政権にありましても、国民の声に頑なに耳を塞ぎ、国民の命をも世界権力の犠牲に供してきましたが、政権交代が実現したとしましても、民意に添った政治が実現する保障はないのです。

 それでは、「批判票≢政策支持」の問題に対して、どのように対処すればよいのでしょうか。少なくとも、投票日は27日に迫っていますので、制度を変えることは不可能です。そこで、せめて同問題を緩和させるためには、‘批判票と政策支持はイコールではない’とする認識を、政治家並びに国民が共有する必要がありましょう。批判票が流入した政党の側は、それが、自らの公約に対する全面的な支持を意味しないことを自覚すべきですし、その一方で、批判を受けた側の与党政党は、自らの政策に国民の多くが反対している現実を直視すべきと言えましょう。否、今般の選挙結果は、与野党を問わず日本国の政界自体が、国民が何に反対し、どのような政策を望んでいるのか、民意を的確に分析し、理解する機会とすべきなのではないでしょうか。

民主主義の本旨は、選挙での公約実現を盾にして、政党が自らが掲げる政策を国民に押しつけるものではないはずです。逆に、民意を適切に政策化することこそ、民主主義国家に相応しい政治の在り方と言えましょう。今日の政治は主客が逆転しており、この逆転が、日本国の政界がグローバリスト、即ち、世界権力の代理機関に堕してしまった要因の一つでもあると思うのです(つづく)。

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不可解な衆議院解散の謎

2024年10月22日 11時45分48秒 | 日本政治
 今月10月9日、就任間もない石破茂首相は、突然にして衆議院解散を表明しました。就任後僅か8日での解散であり、戦後最短記録を更新することともなりました。解散に当たって、石破首相は同解散を「日本創生解散」と位置づけており、その目的については、日本国民に自らの政権への信託を問うと説明しています。慣例を破って岸田文雄前首相が自民党の総裁選挙に立候補せずに途中交代の形で就任したことから、国民に対して事後承認を求めたとも言えましょう。しかしながら、この解散、どこか不自然なのです。

 日本国は議院内閣制を採用していますので、首相を選ぶ権限は、事実上、政党に握られています。このため、岸田前首相その他歴代首相の何れも、国民からの信託を受けたわけではありません。否、メディアの世論調査では常にトップレベルの人気を維持してきた石破氏以上に不人気な首相も多々おり(同人気も謎ではある・・・)、ここで敢て信を問う必要性があったのかどうか、疑問なところでもあります。先の自民党総裁選挙では、マスメディアがグローバリストの秘蔵子である小泉進次郎氏を強力に推していましたので、石破氏の選出にむしろ安堵した国民も少なくはなかったはずなのです。

 しかも、自民党総裁選挙にあっては、石破氏は、早期解散、否、即刻解散を‘公約’にしていたわけではなく、「野党と国会論戦を行なった上で」として慎重姿勢を示していました。安定性を自らのセールス・ポイントとしており、自民党の議員や党員を含めて国民の多くも、来年に予定されている衆議院議員の任期満了を待つものと予測していたことでしょう。ところが、就任後、即、‘七条解散’という伝家の宝刀をいきなり抜いたのですから、その豹変ぶりに驚かされたのです。

 また、裏金問題により自民党には逆風が吹いていますので、現時点で解散すれば、自民党が議席を大幅に減らす事態も大いにあり得ます。つまり、安定性の観点からすれば、解散時期をできる限り先延しにするとする選択もあったはずです。与党に選挙準備期間を与えないための奇襲解散とする説もありますが、コロナワクチン禍やマイナ保険証をめぐる国民の政治不信を考えれば、自民党の立場からすれば解散時期が適切であったかどうかは疑問なところなのです。また、国民にとりましても、不意打ちのようなイメージを受けますので、石破政権が政府としての実績や安定感を示した後での解散のほうが有利であったとも考えられましょう。

 ここに、衆議院解散の謎なるものがあります。上述した公式の説明は説得力に乏しく、同解散には、別の目的があったものと推測されるからです。そして、今日における世界権力の隠然たるパワーを考慮しますと、今般の解散は、日本国内の政治状況に基づく判断によるものではなく、海外からの圧力や指令であった可能性が俄然高まるのです。それでは、何故、今、日本国は、衆議院を解散しなければならないのでしょうか。

 仮に、世界権力の意向を受けたものであるとしますと、第一に推測されるのが、石破政権を短命政権として終わらせてしまうという目的です。マスメディアを総動員した小泉政権樹立路線には失敗していますので、同シナリオでは、野党への政権交代が織り込まれているのでしょう。おそらく、白羽の矢が立てられているのは立憲民主党の野田佳彦代表であり、早々に野田政権を誕生させれば、日本国をより操りやすくなると考えているのかもしれません。野田代表と言えば、国際公約の形で消費税10%路線を敷いた‘実績’がありますので、世界権力からは覚えがめでたいのでしょう。

 第二に推測されるのは、何らかの重大事項から国民の関心を逸らすという目的です。しばしば、マスメディアは、国家の命運や国民の生命、身体、財産等に関わる重大事項を反対や抵抗なく隠密に遂行するために、大々的に有名人等のスキャンダルなどを報じるとされます。今般の解散も、その裏では何らかの重大事項が密かに進行している可能性がありましょう。最も強く懸念されるのは戦争への準備作業であり、第三次世界大戦シナリオの発動であるのかも知れません(南海トラフ地震といった災害を人為的に起こす可能性も・・・)。あるいは、世界権力が抱く‘グレート・リセット構想’に基づくデジタル全体主義体制への移行作業であるとも推測されましょう。なお、石破首相は、親中派とも指摘されてきましたので、台湾有事⇒世界大戦のシナリオにとりましては、不都合であるとの見方もできます。

 そして、第三の推測としては、来月11月5日に予定されているアメリカ大統領選挙に日本国の政治も合わせる、というものです。もっとも、日本国の投票日は10月27日ですので、日程的にはアメリカの大統領選挙の投票日より先んじています。このため、仮に同推測が正しいとすれば、世界権力は、前回の大統領選挙において疑惑が持たれたように、アメリカの大統領選挙をもコントロールしていることとなりましょう。もしくは、アメリカでの‘政権交代’の予測を前にして、世界権力あるいは米民主党政権が、日本国内にあって権力基盤を保持しようとしたとも推測されます。

 以上に主たる推測を述べてきましたが、何れにしましても、今般の衆議院解散には謎が残されているように思えます。政治に無関心でいれば、この謎が解き明かされた時には既に手遅れの状態にもなりかねません。そして、この危機を回避するためには、解散総選挙に隠れた背後の動きやグローバリストの思惑こそ、深く洞察すべきではないかと思うのです。

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尾を引く自民党総裁選挙-迷える国民

2024年10月21日 12時24分38秒 | 日本政治
 10月27日に衆議院選挙の投票日を控え、選挙区では、立候補者達が熱心に自らへの支持を訴えています。終日、選挙カーから立候補者の名前が連呼される週末となったのですが、今般の総選挙ほど、日本国の政治の混迷が露呈した選挙は他にはなかったかもしれません。この混迷は、日本国民にとりましては、民主主義の深刻な危機でもあります。日本国の政界自体がグローバリスト、即ち、世界権力のコントロール下にあることが、日に日に明瞭に認識されてきているからです。

 そして、この世界権力の支配力は、先の自民党総裁選挙にあってまざまざと見せつけられることともなりました。国民世論の強い反発を受けて頓挫はしたものの、マスコミを牛耳る同勢力が小泉進次郎候補を本命と見なしてことは否定しがたく(本当のところは、第一候補は河野太郎氏であったかも知れない・・・)、露骨なまでの‘小泉推し’がむしろ逆効果となってしまった感さえあります。実際の選挙にあって石破茂氏が同党の総裁に選出されたため、国民にも‘最悪の事態は避けられた’とする安堵感が広がったのですが、問題は同総裁選挙をもって終わったわけではありません。同選挙がもたらした自民党に対する国民の不信感は、今般の総選挙にも尾を引いているように思えるのです。

 一先ずは、グローバル色の比較的薄い石破政権が誕生したものの、いつ何時、世界権力の支部としての顔が現れるか、国民には予測がつきません。石破首相自身も、これまで主張してきた自らの持論を封印し始めたことから、首相就任後に‘豹変’したとも評されています。同豹変の背後には、国内のみならず国際的な圧力があったことは想像に難くありません(歴代の首相のみに‘一子相伝’で伝えられている‘密約’等が存在している可能性も・・・)。保守層の自民党離れが著しい中、国民からの警戒心を薄めるために石破首相を‘選挙の顔’として選んだものの、それはあくまでも一時しのぎであり、総選挙の結果によっては、むしろグローバル色、つまり、雇用形態やDX・GXを含めた新自由主義的な政策傾向が強まる可能性もないわけではないのです。

 例えば、衆議院選挙の比例代表名簿は拘束名簿式ですので、名簿の掲載順位、すなわち、当選者の決定は党内の決定事項となります。この点に注目しますと、党三役ではないものの、総裁選挙で敗れた小泉進次郎氏は、‘党四役’とされる選挙対策委員長に就いています。選挙に際しての人選や公認等については幹事長の影響力が強いとはされていますが、選挙対策委員長は、実務面での実権を握るとされています。実際に、比例代表名簿の顔ぶれをみますと、同総裁選挙にあって小泉候補の推薦人となった議員の名も多く見られますので(名簿順位のトップとしては、東京、東海、近畿・・・)、党内にあって‘親小泉勢力’は温存されているのでしょう。このため、小泉氏、否、その背後勢力にとりましては、総裁選挙では‘後退’しても、総選挙では‘前進’するという可能性もないわけではないのです。自民党内に深く根を下ろしているグローバル勢力は、自らの‘配下の者達’が政治の表舞台に出られるように常にスタンバイしているのでしょう。

 こうした政界の惨状を前にして、国民は戸惑うばかりです。保守層であれば、自民党に一票を投じたとしても‘保守政党’に投票したことにはなりませんし、総選挙後にあってどのような政権が誕生するのか、皆目見当が付かないからです。先の自民党総裁選挙にあって、図らずもグローバル勢力の動きが‘ガラス越し’ではあれ可視化されたことが、国民の政治不信に拍車がかかり、今般の総選挙において、保守層のみならず、多くの国民が投票先に迷う要因となったのではないでしょうか。

 そしてこの問題は、自民党に限定されているわけではなく、自公政権の継続であれ、野党による政権交代であれ、結局は、‘岸田政権’の後継者、すなわち、グローバリストの傀儡政権であるのかも知れません。マスメディアがしきりに与野党伯仲を報じていますが、二頭作戦あるいは多頭作戦の存在を考慮すれば、国民は、政党も政治家も選びようがなく困惑するばかりなのです。日本国民が真に求める政治改革とは、国民本位の民主的政治の仕組みの再構築、あるいは、作り直しなのではないかと思うのです(つづく)。

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AI不況もあり得る?-失業による消費の縮小

2024年10月11日 10時18分12秒 | 日本政治
 生成AIの登場もあり、日本国政府は、近未来の日本国をデジタル社会として描いているようです。率先してDXやGXを推進すると共に、‘成長産業’への集中投資や人材の移動をも積極的に訴えており、デジタル化に成功すれば、日本国の未来は安泰であるかのような夢を振りまいているのです。しかしながらその一方で、デジタル全体主義の懸念に加え、生成AIは、人々から職を奪うのではないか、とする危惧の声も上がっています。とりわけ、失業の危機に立たされるのは‘ホワイトカラー’とも称されてきた事務処理や管理等に携わる職種です。全く正反対とも言える未来像が示されているのですが、果たして、どちらがより可能性が高いのでしょうか。

 未来を予測する場合、通常、過去の事例が参考になることが少なくありません。少なくとも信頼性に関しては、過去の言動にそれを失わせるものがあれば、将来にあっても信頼を裏切られるような結果となるのではないか、と疑うものです。この信頼性の観点からしますと、政府の異論を許さないデジタル礼賛一辺倒の姿勢につきましては、自ずと疑問符が付いてしまいます。日本国政府の過去の言動を見ましても、現実が理想と真逆となるケースが多々見られるからです。

 第二次世界大戦中の大本営の発表については‘あの時代’という言葉が言い訳となっても、同時代の出来事については、‘時代’をもって言い逃れをすることは困難です。その際たる事例が、新型コロナ感染症対策として接種事業が大規模に展開されたmRNAワクチンと言えましょう。当初、同ワクチンについて、政府は、安全性を言葉で‘保障する’と共に、科学的な知見に基づく根拠のあるリスク指摘であっても、これらを‘デマ’と決めつけた上で言論統制まで踏み込んでいました。mRNAワクチンは、最先端のテクノロジーが使われており、これを国民が接種さえすれば、コロナ禍は程なく収束し、日常の生活に戻れると説明していたのです。ところが、現実には多数の死亡者を含む健康被害が広がり、後に、この説明は誤りであったことが判明するのです。

 国民からしますと、‘政府に騙された’とする感情がふつふつと湧いてくることにもなるのですが、政府は、明らかに治験不足とされるレプリコン型ワクチンを平然と承認しており、全く反省の色もありません。結局、Covid19は、インフルエンザのように変異し続けるため、国民は、コロナワクチンを永遠に打ち続けるように奨励されているようなものであり、同事業に費やされる費用も莫大な額に上っているのです。

 政府の性急で強圧的な態度、一切の異論を排そうとする頑迷さ、計画性、巨大利権、そして、背後に潜む‘司令塔’の存在などからしますと、コロナ禍とデジタル化には幾つかの共通点が見られます。国民を自発的に参加させる、即ち、動員するためのプロパガンダに勤しみ、あらゆる反対や批判を押しのけて粛々とスケジュール通りに実行してゆく姿は、あたかも上部からの命令を受けた‘部隊’のようです。言い換えますと、そこには、‘国民を騙してでも目的を達成すべし’とする、第二次世界大戦時の大本営にも通じる強固な‘意思’さえ感知されるのです。

 過去の前例を見る限り、政府が描くデジタル社会の理想は逆方向に向かう可能性は否定できなくなります。既に日本国政府は生成AIの普及を前提として、原子力発電所の再稼働をはじめ必要とされる膨大な電力の確保に走り出してもいます。

 おそらく、経営者や投資家の多くは、AIの導入により人件費の削減を試みることでしょう。AIであれば、24時間、疲労することもなく仕事をしてくれますし、交通費や様々な手当を支給する必要もありません。仕事上のヒューマン・エラーも激減することでしょうまた、給与に関して不満を漏らすことも、賃上げを要求することもありませんので、人を雇用するよりもAIを使った方が利益となりますし、合理的な経営判断のようにも思えます。

 しかしながら、経済は‘生きもの’とも称されますように、一種の生態系ですので、部分的な利益が必ずしも全体的に利益を齎すわけではありません。仮に、AIの導入によって大量失業が生じるとしますと、失業とは、人々が所得を得る機会を失うことでもありますので、購買力、即ち、消費をも減少させてしまうからです。購入者やユーザーがいなくなってしまいますと、製品やサービス等を提供する事業者側も自ずと経営が行き詰まってしまいます。経済にあって消費部門が縮小することは、致命的な意味を持ちます。デジタル分野にあって失業者を全て吸収し得るとは考えられませんので、国民の多くは、行き場のない絶望的な状況に陥ることとなりましょう。

 新型コロナワクチンと同様にマイナンバーを含むデジタル化についても、政府は、そのリスクやマイナス影響を直視しようとはしませんし、国民の声には耳を塞いでいます。メディアの大半も政府のプロパガンダの片棒を担いでいるのですが、ここは、国民生活を含めた経済全体をメカニズムとして捉える必要がありましょう。一端、DXやGXを導入しますと、システム更新やセキュリティー対策等に追われ、永続的なコスト負担も生じます(巨大なデジタル利権・・・)。デジタル全体主義のみならず、AI不況も想定される中、政府に踊らされてデジタル化やAIの導入を急ぐ必要があるのか、今一度、考えてみるべきではないかと思うのです。

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選択的夫婦別姓から考える家族制度の‘進化?’

2024年10月10日 12時05分23秒 | 日本政治
 選択的夫婦別姓は、先の自民党総裁選挙にあって小泉進次郎候補が不意を突くかのように公約に掲げたことから、俄に国民の関心を集めることともなりました。序盤戦にあって同候補が最有力候補と目されていただけに、選択的夫婦別姓の導入も現実味を帯びてきたのですが、同制度の導入に関しては、賛否両論が渦巻いています。中には、選択的夫婦別姓を、人類が到達した先端的な家族制度と見なす導入支持者も見受けられます。それでは、従来の夫婦別姓は古びた制度であって、夫婦別姓こそ、より進化した制度なのでしょうか。同論争を機に、人類の家族の在り方について考えてみるのも、無駄ではないように思えます。

 他の動物と違う人間のみが有する特徴の一つに、成人するまでの期間が長い、というものがあります。例えば、キリンでも、シマウマでも、生まれたばかりの赤ちゃんであっても、直ぐに立ち上がって歩き始めます。ライオンやヒョウなどの獰猛な肉食動物が跋扈する草原では、生まれながらにして歩行や走行の能力を備えていなければ、直ぐにでも猛獣の餌食になってしまうからなのでしょう。もっとも、草食動物を狙う肉食動物の赤ちゃんも独力の歩行能力がありますので、同能力は、厳しい自然環境が動物たちに齎しているのでしょう。

 この両者の違いに注目しますと、人類は、動物たちと同じく弱肉強食の自然環境にありながらも、より高い知的能力を備えたことによって、集住による防御・保護機能の下で自らの生命を守りつつ長期的な育児を可能としたとも推測されます。否、安全に子育てが出来る長期的な育児期間を確保できたからこそ、知能を発達させることができたとも言えるかも知れません(相乗効果?)。子育て期間の長さは、それだけ様々な生存や生活に必要な知恵や経験知等を次世代に伝えることができることをも意味するからです。そしてもう一つの人間の特徴である言語も、数世代に亘る親子、兄弟、夫婦関係等によって成り立つ安定的な家族といった血縁集団が基盤となったとも推測されましょう。また、文明の基礎ともなる他者を思いやる気持ちや道徳心、さらには、愛情や喜怒哀楽の感情なども、基本的には家族という血縁的集団生活の中から培われてきたものと考えられるのです。

 人類誕生まで歴史を遡りますと、ホモサピエンスと称される人類を人類たらしめているのは、知性や感性を育む環境や条件にも行き着くのですが、婚姻につきましては、民族や部族、地域、時代、によって多種多様な慣習や制度を見ることが出来ます。しかしながら、少なくとも優れた知性や豊かな感性の育成、すなわち、人々が幸せな人生を歩む上で望ましい環境という観点から見ますと、夫婦同姓が‘古く’、夫婦別姓が‘新しい’とする評価は必ずしも正しいとは言えないようにも思えます。前者は、夫婦の横関係を中心とした家族の枠組みを重視し、後者は、父系母系それぞれの親子の縦関係を中心軸としているからです。家族という枠組みを、生活を共にし、子の養育の場と見なすならば、むしろ、前者の方が‘現代的’であるとする見方もあり得るのです。

 その一方で、一夫一婦制と一夫多妻制との間については、圧倒的に前者に対する評価が高いのは、一夫一婦制の方が上述した条件を備えているからなのでしょう。イスラム教徒やユダヤ教徒、あるいは、富裕層や新興宗教の教祖の間では今でも一夫多妻制を支持する人も少なくないのでしょうが、一夫多妻制が動物の世界に近いという側面は否めません。人類に最も近いとされるチンパンジーをはじめ類人猿の多くは、ボスの地位にある一匹の雄が群れの全ての雌を独占する形態が多々見られるからです。この形態では、安定した家族や家庭を営むことが難しいのです。人類が進化を遂げる一方で、チンパンジーが文明なき動物に留まったのも、婚姻形態もその一因であるのかも知れません。

 選択的夫婦別姓の議論にあっては、そもそも婚姻制度自体を‘前時代的’なものと見なし、一夫多妻制や多夫多妻性を将来的な消滅をもって近未来の先端的な人類を描く急進的な人々もおります。しかしながら、上述した生物進化や人類史的な観点に照らしますと、同方向性は、進化ではなく退行なのではないでしょうか。限りなく動物の世界に近づいているのですから。先に進んでいるように見えながら逆戻りさせられてしまうのは、メビウスの輪作戦とも言えますので、家族の在り方につきましては、より慎重な考察を要するように思えるのです。

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