万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

プーチン大統領の対日威嚇は何を示唆するのか

2024年11月29日 09時46分07秒 | 国際政治
 言葉による威嚇をもって阻止しようとするプーチン大統領のパフォーマンスは、ウクライナのみならず、日本国にも向けられています。ロイター通信社が、先日11月27日にロシア外務省のザハロワ報道官が、アメリカがミサイルを日本国内に配備した場合、‘モスクワは報復措置を取るだろう’と述べたと報じているからです。同記事によれば、日米両国による台湾有事に備えた南西諸島へのミサイル部隊配備計画を念頭に置いたものとされております。その一方で、ザハロワ報道官は、ロシアが策定した「核兵器使用に関するドクトリン」に言及していますので、ミサイルとは、核ミサイルを意味すると共に、ロシアがかねてより主張してきた‘核武装に対する核攻撃’の可能性をもって日本国を威嚇したことにもなりましょう。

 このロシアからの威嚇、冷静になって検討してみますと、疑問に満ちています。そもそも、台湾有事が、何故、ロシアが核使用の要件としている国家存亡の危機を与えるのか、全く論理的な説明がありません。中国を対象とした日本国内のミサイル配備は、本来、ロシアとは直接には関係のないお話のはずなのです。ソ連邦時代から盟友関係にあり、2001年にテロ対策を目的に設立された上海協力機構のもとに協定国でありながらも、中ロ間に正式の二国間の軍事同盟が成立しているわけでもありません。仮に、近い将来において中国による台湾侵攻を機とした発生した米中戦争がロシアにも飛び火するとロシアが見なしているとしますと、それは、ロシアが、‘確定済み事項’として、ウクライナ戦争と台湾有事をリンケージし、第三次世界大戦に発展する事態を想定している証ともなりましょう。

 この点、ロシアは、2024年6月19日に北朝鮮と「包括的戦略パートナーシップ条約」を締結し、積極的に極東への戦火の拡大ルートを敷くべく、積極的に動いています。今では、北朝鮮兵士が、ウクライナ軍の占領下にあるクルスク州で戦闘に参加しているのですが、それでは、ウクライナとの戦争に際して兵力が不足するならば、何故、プーチン大統領は、ベラルーシといった近隣に位置するCSTO(集団安全保障機構)の加盟国を頼らなかったのでしょうか。

 因みに、他のCSTO加盟国は、アルメニア(ただし、現在、同機構からの脱退方針を表明・・・)、カザフスタン、キルギス、タジキスタンであり、上述した上海協力機構にも加盟しています(上海協力機構の他の加盟国は、ウズベキスタン、インド、パキスタン、イランであり、アルメニアは対話パートナー)。少なくともウクライナ軍がクルスク州の地域を占領した時点、即ち、2024年8月以降にあっては、ロシアは、‘侵略’に対する防衛戦争と見なしてCSTO諸国に対して集団安全保障条約の第4条に基づく集団的自衛権の発動を求めることもできたはずなのです(ロシアが、戦争ではなく、人道的介入を目的とした特別軍事作戦とする立場を貫くならば、ロシア領へのウクラナ軍の攻撃は‘侵略’となるはず・・・)。もっとも、他の加盟諸国も、その本心においてロシアのためにウクライナとは闘いたくはないのでしょう。

  敢て極東の軍事独裁国家である北朝鮮を自国の戦場に呼び入れた背景として、第三次世界大戦シナリオの存在が想定されるのですが、中国を一心同体の同盟国のように見なす今般のロシアの発言も、第三次世界大戦を強く意識したものとして理解されましょう。今になって振り返ってみますと、1902年1月30日における日英同盟の締結も、グローバル戦略の視点からすれば、日露戦争のみならず‘世界大戦’への布石であったようにも思えてきます。二国間紛争や地域紛争を世界大の戦争へと拡大させるには、飛び火先となる遠方の諸国と軍事同盟条約を結ぶのが常套手段なのです。そして、‘鉄砲玉’として使える‘国家’を準備しておくことも、重要な作業工程なのかもしれません。

 何れにしましても、ザハロワ報道官の対日、否、対米威嚇には、中ロ陣営という第三次世界大戦における明確な陣営がその輪郭を表していると言えましょう。そして、次なる疑問は、‘ロシアの安全のために非核保有国の核武装を阻止するために核攻撃を行なう’とするロシアの核ドクトリンです。論理的に考えますと、この理屈が通らないことは明白です。端的に言えば、ロシアには、この主張を正当化し得る法的根拠は何もないからです。NPT条約の成立の趣旨からすれば、矛盾に満ちた主張となりましょう。何故、ロシアは、かくも無理筋の主張を行なうのか、この点についても、第三次世界大戦シナリオが関連しているように思えるのです(つづく)。

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ゼレンスキー大統領の核武装断念の意図

2024年11月28日 10時17分57秒 | 国際政治
 ウクライナのゼレンスキー大統領は、同国と交戦状態にあるロシアのプーチン大統領からの威嚇を受けて、自国の核武装を断念したと報じられています。両大統領のやりとり、すなわち、ゼレンスキー大統領が事実上の‘白旗’を揚げるに至るプロセスは、マスメディアの報道によって国際社会が知るところとなったのですが、ウクライナの核武装断念は、NPT体制を維持するための茶番であった可能性も否定はできないように思えます。

 何故ならば、ウクライナが本気で戦争を遂行しているならば、あくまでも核武装を目指すはずであるからです。自国の主権が危機的な状況にある場合の脱退は、NPTに定められている合法的な行為です。しかも、国連憲章の第51条では、個別的であれ、集団的であれ、全ての諸国に正当防衛権を認めているのですから、抑止力を目的とした核保有は、本来であれば、何れの国に対しても許されるはずです。ましてや締約国の一国に過ぎないロシアの承認を得るべき問題でもなく、無視しても構わなかったはずなのです。因みに、国連憲章に照らしますと、国家の正当防衛権に制限を課しているNPTそのものが、憲章違反であるとの見方もできましょう。

 報じられているように、ゼレンスキー大統領が、実際に過去にあって‘NATOか、核武装か’の選択に悩んだ時期があったとすれば、それは、戦前戦後を問わず、「ブダベスト覚書」が‘空手形’であることが判明した後における、‘NATOの核の傘の下に入るのか’それとも‘独自に核を保有するのか’という二者の内の選択であったのでしょう。何れにしても、核兵器をもって自国を防御し、ロシアの攻撃を抑止することが目的であったはずなのです。戦時中にあっても、核兵器には強力な抑止効果がありますので、ゼレンスキー大統領が、プーチン大統領の脅しに屈したのは、実質的に自国の‘敗北’を認めたに等しいこととなります。核兵器国と非核兵器国との間の戦争は、最終的な破壊力の圧倒的な差によって、はじめから勝負が付いているのですから(NPT体制が成立した時点で、核保有国と非核保有国の間の戦争は、前者の後者に対する一方的な攻撃以外にはあり得なくなった・・・)。

 ゼレンスキー大統領が真の戦争遂行者であるならば、ロシアに屈服する形での核武装の放棄は俄には信じがたい愚行とも言えます。しかしながら、同屈服がNPT体制の維持にあるならば、同大統領には別の目的、否、役割があったこととなります。それは、国際社会に向けて、‘当事国でも核保有国との戦争に際しては核武装を試みることはできない’とする前例を作るためのデモンストレーションなのでしょう。ウクライナが核武装を断念した姿を見せることが、同大統領の役割なのです。

 このお芝居は、恐怖心に関する11月16日付けの本ブログ記事とも関連します。自らが実際に体験しなくとも、他者が威嚇者の要求に従っているのを見て、威嚇効果を信じてしまう場合にも脅迫効果が生じるからです。例えば、‘あの人の言うことを聞かないと、酷い目に遭うらしい’という噂が流されただけでも、実際にはその人物には他者を害する力も権利もないにも拘わらず、周囲の人々が自発的に従ってしまうことがあります。言葉だけのフラグや虚勢であったとしても、それを信じる人が出現しますと、その恐怖心が他の人々にも伝播することで、多くの人々の合理的判断を狂わせ、行動を萎縮させるなどのマイナス影響を与えてしまうのです。

 今般のゼレンスキー大統領の対応も、それを見た他の諸国や人々は、戦時にあってさえ核兵器は保有できないものと見なすことでしょう。冷静かつ合理的に判断すれば不条理なことであっても、恐怖心の共有が目に見えない同調圧力となり、皆が揃って核武装という選択を封印し、自らに不利益な方向に動いてしまうのです。つまり、核兵器をめぐるプーチン大統領とゼレンスキー大統領との言葉のやりとりは、NPT体制を維持したい勢力、すなわち、二度の世界大戦を引き起こしてきた世界権力が同調圧力効果を狙って演出したとも推測されるのです(その一方で、兵器の‘消費’となる通常兵器による戦闘は激化・・・)。

 このように考えますと、ウクライナ戦争そのものが茶番であった可能性も浮上してきます。否、おそらく、ほぼ100%近い確率で茶番なのでしょう。日本国民も含め、人類は、人命軽視の果てに第三次世界大戦を誘導しかねない危険極まりない同茶番劇に対して、早急なる幕引きを迫るべきなのではないでしょうか(つづく)。

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核の恫喝を認めるゼレンスキー大統領のお芝居?

2024年11月27日 12時03分54秒 | 国際政治
 ウクライナのゼレンスキー大統領が語った‘NATOか、核武装か’の二者択一、すなわち、‘NATOを選択すればヨーロッパは平和であり、核武装を選択すれば戦争になる’とする見解は、選択とその結果との因果関係に論理性が欠けており、この言葉を聴く人々を困惑させます。常識的に考えれば、ウクライナがNATOを選択すればヨーロッパに戦火が広がり、核武装を選択すれば、ヨーロッパは平和でいられるものと予測されるからです。つまり、同大統領は、全く逆のことを言っているのです。

 戦争という極限の緊張状態にあって耐えがたいストレスに押しつぶされ、ゼレンスキー大統領は、正常な判断力や思考力を失ってしまったのでしょうか。戦争は、多くの人々の精神を病ませてしまうものです。その一方で、ゼレンスキー大統領の口から同発言が語られた理由は、ある一つの仮説を置きますと、自ずと理解されてくることとなります。その仮説とは、ロシアのプーチン大統領との‘共演’です。

 ゼレンスキー大統領の発言の日付は、2024年10月17日です。その翌日、10月18日には、プーチン大統領が同発言に対して俊敏な反応を見せています。この反応の早さにも驚かされるのですが、報道に依りますと、プーチン大統領は、ゼレンスキー大統領に言い返す形で、‘そのような脅迫は、ロシアから相応の反応を引き出すだろう’と述べたそうです。‘脅迫’の具体的な内容は詳らかではないものの、同発言から、プーチン大統領が、ゼレンスキー大統領の上記の発言を自国に対する‘脅迫’として理解したことが分かるのです。マスメディアの編集によって省略されてしまったのかも知れないのですが、このプーチン大統領発言の意味は、ゼレンスキー大統領の言い訳じみた返答によって明らかとなります。

 それでは、ゼレンスキー大統領がプーチン大統領に対してどのように応じたかと申しますと、‘核兵器製造の準備をしているとは言っていない’と弁明しているのです。ここに、プーチン大統領の‘脅迫’の対象が、ウクライナの核武装であることが判明するのです。マスメディアは、‘いかなる状況でも許さない’とするプーチン大統領の決意まで伝えています。

 ウクライナ核武装を断じて許さないとするプーチン大統領の発言の時期が、ゼレンスキー大統領による弁解の後であったのか、それ以前であったのかは、報道された記事だけでは分かりません。しかしながら、少なくとも、戦争当事国の両大統領同士が、あたかも直接に対面して会話しているかの如くに、メディアは、両者の間の核をめぐる応酬をリアルタイム風に報じているのです。

 プーチン大統領は、死亡説や引きこもり説が流布されるほど、その所在のみならず動向を正確に掴むことも難しいとされているにもかかわらず、核問題については、かくも迅速な反応を示しています。そして、何よりも不自然であるのが、ゼレンスキー大統領の対応なのです。プーチン大統領の‘脅し’に全面的に屈服しているのですから。戦争相手国のトップによる言葉の威嚇に素直に屈するなど、本来であればあり得ないことです(戦争も、恫喝で終わるはず・・・)。

 仮に、プーチン大統領の言う‘相応の反応’が、ウクライナに対するロシアの核攻撃を意味するならば、ゼレンスキー大統領は、むしろ、ロシアによる核兵器の使用を根拠として、NPTの第10条に基づいて脱退を表明するか、NPTの終了を主張することもできるはずです。核保有国がその使用をもって非核保有国を威嚇しているのですから、最低限、国際社会に対してNPT体制の不条理を訴えることはできるはずです。あるいは、‘相応の反応’が通常兵器による攻撃の強化であるとすれば、ロシア軍には余力があり(北朝鮮からの援軍は不要?)、全力でウクライナと戦争を行なっているわけではないことを示すことにもなります。一方のゼレンスキー大統領も、既に通常兵器による激戦状態にあるのですから、核武装を諦めるほどの威嚇ではないはずなのです。

 ゼレンスキー大統領の対応を見る限り、同大統領は、自国と自国民を護るために最善を尽くしているとは言えないようです。そして、この不自然極まりない両大統領間の言葉の‘やりとり’こそ、それが予め台詞の用意された茶番である可能性を強く示唆しているように思えるのです(つづく)。

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ロシアとウクライナの核をめぐる茶番?

2024年11月26日 13時00分02秒 | 国際政治
 他者に恐怖を与えることは、相手を自らの意思に従わせる手段の一つです。個人間、集団間を問わず、社会にあってはしばしば見られるのですが、時代と共に法整備が進み、今日では、利己的な悪意があって実害が生じるような場合には、恐喝や脅迫行為として刑罰の対象となりました。その一方で、国際社会では、国内よりも遥かに司法制度が低レベルな状況にあるため、今なお恐喝がまかり通っています。その最たるものが、核兵器保有国による核による威嚇と言えましょう。因みに、この意味においてNPT体制は、一部の軍事大国並びに‘無法国’家のみに独占的に恐喝手段を持ち、かつ、それを実際に‘使用’することを許しているとも言えます。

 いささか前置きが長くなってしまったのですが、ウクライナ戦争が泥沼化する中、ロシアのプーチン大統領が、積極的に核兵器の使用に言及する場面も増えてきました。これまでも、通常兵器戦で劣勢となった場合、同大統領は、躊躇なく自国の核戦略に従って核を使用するのではないか、とする憶測がありました。しかしながら、少なくとも表面上は、核兵器使用を示唆する目的は、エスカレーションを見せているアメリカを含むウクライナ側の攻撃に対する牽制であると解されます。何故ならば、核使用の可能性を最大限に高めつつ、相手を脅すのが最も効果的であるからです。プーチン大統領の発言から、核兵器保有国が、それを保有していない国よりもその恐喝効果をより深く理解し、有効に活用しようとしている様子が伺えるのです。もっとも、こうした核保有国による核の脅しには、一つの疑問があります。

 この一つの疑問とは、他者に対して恐怖心を与える威嚇効果に関するものです。威嚇効果が発揮されるには、先ずもって他者の心の中に恐怖心が生じている必要があります。そして、恐怖心は、自らが直接に被害を受けたことによるよりも、間接的なケースもないわけではありません。例えば、(1)実際に他者が威嚇者の要求を拒んだ故に実行に移され、酷い目にあったのを見た場合(見せしめによる恐怖心・・・)や(2)他者が威嚇者の要求に従っているのを見て、威嚇効果を信じてしまう場合などにも効果が生じます。核兵器に当てはめれば、第1のパターンは、第二次世界大戦末期における日本国の広島並びに長崎に対する核爆弾の投下ということになりましょう。被爆地の悲惨を極めた惨状が核兵器そのものに対する恐怖心を人類に植え付けたのですからです。そして、この恐怖心がNPT体制を成立させたとしますと、今日のロシアの威嚇手段としての核兵器の‘使用’は、皮肉な結果とも言えましょう。

 それでは、第2のパターン、すなわち、恐喝効果の自発的承認はどうなのでしょうか。過去にもゼレンスキー大統領は、自国の核武装を主張した時期があったのですが、今年2024年10月17日に、同大統領は、‘ウクライナは自国の防衛のため核兵器を保有するか、NATOに加盟しなければならない’と語った後で、「NATO諸国は戦争をしておらず、人々はみな生きている。これが私たちが核ではなく、NATOを選ぶ理由だ」と述べています。ところが、この発言、どこか奇妙なのです。

 何故ならば、仮にウクライナがNATOを選択、すなわち、NATO加盟が実現すれば、既にウクライナとロシアは戦争状態にありますので、即、北大西洋条約の第5条が定める集団的自衛権が働いて、NATO諸国は戦場と化してしまうからです。NATO加盟により核の抑止力がウクライナにも拡大するとする見方もありましょうが、通常兵器による戦争は継続されましょうし、最悪の場合には、双方の核使用による核戦争を招きかねない事態に陥ります。ウクライナがNATOに加盟しないからこそ、‘NATO諸国は戦争をしておらず、人々はみな生きている’のではないでしょうか。

 加えて、‘逆は必ずしも真ならず’と申しますように、ウクライナがNATOではなく核を選択したからといって‘NATO諸国が戦争をし、人々はみな死に絶える’というわけではありません。むしろ、ウクライナが独自に核武装し、戦争が同国とロシアとの間の二国間に限定されれば、NATOとは無関係となります。つまり、NATO諸国は戦費や兵器を同国に提供する必要もなくなり、戦争に巻き込まれることも、命の危険に晒されることもなく、人々もみな生きることができるのです。

 論理的に考えれば、ゼレンスキー大統領の発言は支離滅裂です。それでは、この発言の裏には何があるのでしょうか(つづく)。

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グローバリズムの‘模範回答’を語る東大総長

2024年11月25日 11時54分23秒 | 日本政治
 昨日11月24日付けの日経新聞朝刊の2面は、藤井輝夫東大総長のインタヴュー記事で占められていました。同記事を読んで驚かされたのは、日本国の大学の最高峰とされる東大が、グローバリズムに乗っ取られてしまっている現実です。その理由は、藤井総長の返答が、悉くグローバリズムの‘模範回答’となっているからです。

 仮にグローバリストが東大総長のポストの採用試験を実施したとすれば、藤井総長は、100点満点のトップの成績を収めたかも知れません。この場合、まさしく‘模範解答’となるのでしょうが、既に受け答えの内容が想定問答として出来上がっていたのではないかと疑われるほどに、採用者側と目されるグローバリストが理想として描く大学像をそのままそっくり言葉として表現しているのです。

 同記事を読みますと、藤井総長が目指す大学改革とは、大学の一種のグローバル営利企業化に他ならないことが分かります。先ずもって紙面をめくりますと「「稼ぐ力」なくして自立なし」とするメインタイトルが目に飛び込んできます。サブタイトルにも「授業料上げ、もう待てず」、「入試、定員削減より多様性」とあり、改革に際しての同総長の決意が示されています。記事の本文にも「ファイナンをマネジメントできる組織になることも欠かせない」として、「最高投資責任者(CIO)職や最高財務責任者(CFO)を新設した」とありますので、同総長の改革は、経営者視点からの営利団体としての機構改革にまで及んでいるのです。

 それでは、何故、かくも東大のグローバル営利企業化への改革が急がれたのでしょうか。その主たる理由として述べられているのが、グローバル競争における劣位です。東大は、世界大学ランキングでは28位に留まり、中国の精華大学や北京大学のみならず、シンガポールの国立大学といったアジアの大学よりも下位にあるというのです。つまり、ランキングの上位を目指すには、さらなるグローバル化に向けた改革が不可欠であると認識されているのです。しかしながら、ここに、‘秀才型の東大生’の弱点が見えるように思えます。

 まずもって第1の弱点として挙げられるのが、激しい受験戦争に勝ち抜いてきた負けず嫌いのメンタリティーに由来してか、常にランキングに敏感に反応してしまう傾向です。このため、世界大学ランキングの順位を上げるために改革を行なうという、本末転倒が起きてしまうのです。改革の必要があるとすれば、それは、学生が良質の教育を受け、かつ、研究者が研究に集中して打ち込める環境を整えるなど、学生並びに研究者本位であるべきなのではないでしょうか。

 第二に、‘秀才型の東大生’は、与えられた問題や課題を、既存の解法通りに解くことは得意です。想定問題の繰り返しにより条件反射的な回答もありましょうし、暗記力に頼ることもありましょう。今般の東大改革のように、グローバル営利企業化という課題が課せられた場合にも、グローバリズムの手法をそのままなぞって手際よく実行しているように見えるのです。。

 第二の弱点と関連して第三に挙げられるのは、出題の方が間違っている可能性を考えないことです。今日、グローバリズムには形を変えた植民地主義とする批判もあり、各国にあって既に国民からの抵抗も見られるようになりました。グローバリズム=理想=善とする構図は崩壊過程にあり、既に見直しの時期に入っていると言えましょう。当然に、東大もグローバリズムに対して懐疑的な方向に転じて然るべきなのですが、藤井総長は、グローバル原理主義者の如くに自らの改革方針を疑おうとはしないのです。この側面は、ランキングの評価基準にも言えることです。設定されている評価そのものが無意味である可能性については初めから排除されているのです。

 そして、弱点の第4点目は、テストの回答を提出したり、設定された課題を達成した時点で満足してしまう点です。これは、大学生の多くに5月病が見られる要因でもあるのですが、東大改革が何を意味するのか、あるいは、後に何が起きるかについては、深くは考えていないのかも知れません。東大の自立とは、日本国から東大を切り離し、優秀な学生や研究者、並びに、研究施設等を丸ごと世界権力に献上することを意味するかも知れませんし、グローバル企業が圧倒的に有利となるグローバル市場では、東大で養成されたグローバル人材が海外のグローバル企業に勤め、やがて日本企業を駆逐しないとも限りません(現地人の取り込みは植民地支配の常套手段・・・)。また、ランキングに拘るばかりにグローバル・スタンダードの評価基準に従えば大学の多様性が失われ、金太郎飴のように全世界の大学が画一化してしまいます。こうしたリスクについては、全く眼中にないようなのです。

 同改革方針が、藤井総長の個人的な発案であるとは思えませんし、仮に、そうであるとすれば、東大の私物化ともなりましょう。そもそも、学長への権限集中化こそグローバリストの意に添った文科省による大学改革であったのかも知れないのですが、おそらく同総長は、‘秀才型の東大生’、否、‘秀才型の東大総長’であって、グローバリストにとりましては、最も忠実に自らの期待に応え、大学の営利団体化を実行させるには最適人材なのでしょう。

 東大改革については、それが国立大学でる以上、国民的な議論に付すべきですし、国民の多くは、‘部下’としては有能な秀才型ではなく、‘天才型の東大総長’の登場を求めているのではないでしょうか。世界大学ランキングには参加せず、営利ではなく学問の追求によって、世界のどこにもないようなユニークな大学を目指す方が、余程、国民の賛同を得るのではないかと思うのです。

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第三次世界大戦シナリオにおけるプーチン大統領

2024年11月22日 10時45分42秒 | 国際政治
 先日、兵庫県で実施された県知事選は、マスメディアによる大方の予測に反して齋藤元彦知事が当選し、‘どんでん返し’のような結果に終わりました。マスメディアによるネガティブ・キャンペーンに抗って齋藤知事が勝利した要因は、SNSの活用にあったとも指摘されています。多くの有権者が、SNSを介してマスメディアの報道とは真逆に近い情報に接することとなったからです。もっとも、これで一件落着とはならず、目下、そのSNSの情報もデマやフェイクであったとする説も流されており、兵庫県民のみならず、多くの人々の頭が混乱した状態になりました。

 同現象は、情報によって人々の判断が180度ひっくり返ってしまう事例ともなったのですが、政治の世界で情報が最重要視されるのは、それが判断や評価の基礎なるからです。しばしば、判断や評価を二転三転させますと、一貫性がないとして批判を受けたり、最悪の場合には人格を疑われてしまうこともあるのですが、新たに別のルートから違う情報を入手したり、情報が更新されるような場合には、致し方がないことと言えましょう。

 そして、政治の世界では、意図的に相手に判断や評価を誤らせたり、自らの望む方向、否、利益となるように人々を誘導するために偽情報を流布することがあります。政府が必ずしも‘正直者’ではないことは、昨今、コロナワクチンの接種推進事業などの経験によって多くの国民も気がついているはずです。それでは、国際社会はどうなのでしょうか。各国にあってCIA等の情報機関が設置されているように、国際社会は激しい情報戦の舞台でもあります。二重スパイや三重スパイも珍しくはないのですが、誰が誰のために働いているのか、それを見極めることは極めて困難な作業となります。そして、世界権力が情報を操りながら第三次世界大戦シナリオを密かに遂行している可能性が高い今日、事実を突き止めませんと、人類は、滅亡の淵に立たされてしまうことにもなりましょう。

 第三次世界大戦シナリオの実在性を見極めるに際しての重要ポイントの一つは、ロシアのプーチン大統領の立場です。各国政府もマスメディアも、今日の国際社会をアメリカを中心とする自由主義国対ロシア・中国を核とする全体主義国という二項対立の構図として描いています。全世界を二分する二項対立の構図こそ、世界大戦に追い込むには好都合なのですが、自由主義国では、プーチン大統領は、内戦に便乗してウクライナを侵略した‘国際犯罪者’としてのイメージがすり込まれています。

 しかしながら、第三次世界大戦シナリオを想定しますと、ロシアのウラジミール・プーチン大統領も、世界権力側の‘操り人形’の一人に過ぎないこととなります。戦争を起こすには、戦争当事国となる双方を操る必要があるからです。もちろん、ウクライナ側のゼレンスキー大統領も例外ではないのでしょう(同大統領はユダヤ系ですし、ウクライナは‘隠れユダヤ教徒’を広めたフランク主義など、近代ユダヤ思想の発祥の地でもある・・・)。

 世界権力とプーチン大統領との繋がりについては、同大統領には、世界経済フォーラムが毎年選出しているヤング・グローバル・リーダースの一人に選ばれた過去があります。自由主義国のグローバル企業が参加する同団体が、旧共産主義国家の情報機関、即ち、KGBの勤めていた経歴を持つ人物を選んだ背景には、それなりの思惑があったことは想像に難くありません。おそらく、若きプーチン氏からKGB時代に収集されたロシア国内の情報を得る、あるいは、自らの組織の一員としてロシアを内部から“グローバル化”することが目的であったとも推測されます。

 もっとも、その後のプーチン大統領は、グローバリズムに背を向け、むしろ自由主義国との対立姿勢を見せるようなります。この態度の豹変については、内部にあってグローバリズムの本質を知った上での決別‘、あるいは、抵抗勢力への転向を決意した顕れとの解釈もあります。ネット上では、プーチン大統領を、強欲にして冷酷なグローバリストもしくはディープ・ステートと果敢に闘う英雄とする見立ても見受けられます。その一方で、フランキストの教えのように、’隠れグローバリスト‘としてロシアに潜伏し、世界を二分させるという’ミッション‘を誠実に遂行しているとの見方もあり得ましょう(ロシア革命がロスチャイルド家の支援を受けていたとすれば、ソ連邦への回帰も’ミッション‘の一つであるかも知れない・・・)。

 これまでのプーチン大統領の言動を見ておりますと、後者である可能性も否定はできないように思えます。ロシア・ウクライナ戦争そのものが両国の大統領が申し合わせたかのように起きていますし、紛争のエスカレーションを招くべく、相互に相手方に口実を与えているようにも見えます。今年6月のロシアと北朝鮮との軍事同盟の締結も、ウクライナから東アジアに火の粉を飛ばすための策略であるのかも知れません。度重なる核兵器使用の示唆に加え、本日も、ウクライナがロシア領内に対して米国製の長距離ミサイルを使用したことへの報復として、中距離ミサイルによる攻撃を加えたと報じられています。プーチン大統領がさらなるエスカレーションを望んでいるとしか思えないのです。

 その一方で、プーチン大統領については、健康不安説に留まらず死亡説や‘替え玉説’も頻繁に登場しており、その‘実在性’についても疑問が持たれています。‘ロシア大統領’が一つのシナリオ上の‘役’の一つであるならば、外観の同一性さえ保たれていれば誰でも構わないことになりましょう(姿が目撃されていないため、‘引きこもり説’もある・・・)。情報が統制されている今日、プーチン大統領の正体を見極めることは難しいのですが、その言動と結果から推測することはできます。そして、この‘正体’の問題が人類の危機に直結するからこそ、ロシアに限らず、アメリカのイーロン・マスク氏、さらにはディープ・ステートとの闘いを表明しているドナルド・トランプ次期大統領についてもあらゆる可能性を排除してはならないのではないかと思うのです。

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第三次世界大戦シナリオにおける北朝鮮の役割

2024年11月21日 09時53分09秒 | 国際政治
 2024年10月末、NATOのマルク・ルッテ事務総長は、ロシア西部のクルスク州にて北朝鮮兵士が戦闘に加わっている事実を確認したと公表しています。クルスク州は、8月以降、ウクライナ軍の越境攻撃により占領されており、ロシア側は同地域を奪回すべく、目下、5万人規模の兵を結集させているとされます。ウクライナのゼレンスキー大統領に因れば、同ロシア軍のうち、北朝鮮兵は凡そ1万1千人程度であり、既にウクライナ軍との交戦による戦死者も報告されているそうです。頓に北朝鮮の動きが目立ってきたのですが、その背景には、第三次世界大戦シナリオが透けて見えるようにも思えます。

 北朝鮮によるロシアへの援軍の派兵は、両国間の軍事同盟に基づいています。両国の間では2024年6月19日に締結された「包括的戦略パートナーシップ条約」では、ソ連邦崩壊の際に失効したソ朝友好協力相互援助条約と同様に、一方が攻撃を受けた際の集団的自衛権の発動が定められているからです。軍事同盟とは、平時には抑止効果が期待されて締結されるものですが、同条約の場合、当事者となるロシアがウクライナと戦争状態にあるために有事における軍事同盟となり、これは、北朝鮮による事実上の参戦を意味することとなります。戦争状態が存在する状態における軍事同盟の成立が、戦火の拡大を招くのは、第二次世界大戦の前例を見ても明らかです。仮に第三次世界大戦計画が存在するとすれば、ロシアと北朝鮮との間の軍事同盟は、同シナリオに沿っているとする見方も成り立つのです。

 しかも、ロシアが自国領として併合した地域での軍事活動が見られるものの、北朝鮮兵の主たる戦場がクルスク州であることは重要です。何故ならば、現在、ウクライナ軍がロシア領を軍事占領しているため、ロシア側から見れば、ウクライナ軍の‘侵攻’が自国に対する国際法上の‘侵略行為’に当たるからです。これまで、ロシア側は自らの軍事介入を‘特別軍事作戦’と見なし、戦争という表現を避けてきました。しかしながら、ウクライナ軍が国境を越えた以後は、正当防衛権の行使としての防衛戦争を主張し得ることになります。つまり、それが主観に依るものであれ、ロシア側は、国連憲章にあって合法行為とされる集団的自衛権の行使を主張し得る立場を得たことにもなりましょう。同時に、北朝鮮側も、自国の派兵を条約に基づくものとして正当化できるのです。

 北朝鮮兵の戦闘参加については、フランスのマクロン大統領が注目すべき発言を行なっています。今月18日、ブラジルのリオデジャネイロで開催されたG20の首脳会議において、マクロン大統領は、バイデン米大統領がロシア本土を攻撃する長距離ミサイルの使用を認めた件に関連して、「過小評価してはならないこの紛争の重大な変化、すなわち北朝鮮軍の戦争参加によって触発されたものと理解している」と述べたのですから。マクロン仏大統領と言えば、ロスチャイルド銀行に勤めた経歴の持ち主ですが、同発言は、現状を分析したと言うよりも、作成済みのエスカレーションのシナリオを説明したのかもしれません。マクロン仏大統領の発言の他にも、スウェーデン、フィンランド、ノルウェーといった北欧諸国では、戦争等の危機に対する‘準備’を促すパンプレットが相次いで国民に配布されております。懐疑的に見れば、あたかもヨーロッパを戦場と化すことが合意済み事項のような対応は、人々が戦争へと流されてゆく‘時代の空気’を醸し出すための、第三次世界大戦に向けた‘戦争モード’の演出であるかのようなのです。

 北朝鮮と言えば朝鮮戦争の当事国であり、同戦争は終結しておらず休戦状態にあります。今日に至るまで同国が軍事独裁体制を敷いている理由も、隣国韓国、並びに、国連軍の主力となったアメリカとの間に続く敵対関係にあるのですが、このことは、ロシア・ウクライナ戦争が東アジアに飛び火する可能性をも示しています。政情不安定が報告されている中国を動かして台湾侵攻をもって個別の戦争をリンケージさせるよりも、北朝鮮を利用する方が容易に第三次世界大戦を引き起こせるものと判断し、第三次世界大戦のシナリオの遂行者が路線を変更したとの憶測も成り立ちます。何れにしましても、北朝鮮がアジアを戦場とする戦争リスクを高めたことは否めないのです。

 以上の推測が事実に近いならば、日本国とウクライナとの軍事的な協力関係を強化すればするほど、日本国も戦争に巻き込まれる可能性が高まることとなりましょう。この点、今に至って振り返ってみますと、2024年6月13日にウクライナとの間に締結された「日・ウクライナ支援協力アコード極めて極めて危険な一歩であったように思えてきます。同アコードにつては、ロイターなどの海外報道機関は、「日・ウクライナ首脳が会談、10年間の安全保障協定に署名」と報じています。日付は6月13日であり、ロシアと北朝鮮との間で「包括的戦略パートナーシップ条約」が締結される三日前となります。両サイドの動きが連動しているとしますと、第三次世界大戦シナリオの存在は、ますます信憑性を帯びてくるのです(つづく)。

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岩屋外相のウクライナ訪問は第三次世界大戦への導火線?

2024年11月20日 12時24分59秒 | 国際政治
 今月11月16日、日本国の岩屋毅外務大臣は、就任間もない時期にありながら、電撃的にウクライナを訪問し、アンドリー・シビハ外務大臣と会談すると共に同国に対する支援を約束しました。その一方で、日本国内では、岸田前首相による異様なまでのウクライナへの肩入れが疑問視され、1兆円を超えるとされる支援額にも国民から批判の声が上がっておりました。このため、少なくない国民が、石破政権に岸田路線の変更を期待していたのですが、同期待は早々に裏切られてしまったようです。

 11月16日と言えば、同盟国であるアメリカでは、既に大統領選挙が終了し、来年1月における第二次トランプ政権の発足が確定しています。対ウクライナ政策については、トランプ次期大統領は、選挙戦にあってロシアに有利な形での戦争の早期終結を訴えており、就任後は、バイデン現大統領とは逆方向に舵を切るとするのが大方の予測でした。それでは、何故、岩屋外相は、かくもウクライナ訪問を急いだのでしょうか。

 これまで、日本国政府は、対ウ支援の根拠をロシアの国際法違反行為、すなわち、侵略を排除する国際社会の一員としての一般的な責務に求めてきました。しかしながら、国民の大多数は、日本国政府による巨額支援の背景には、アメリカのバイデン民主党政権からの強い要請(命令?)があったとものと見なしています。近い将来に起き得る中国の軍事行動に備えた‘前貸し’という見方もありますが、安全保障上の理由のみではありません(台湾有事に際してNATOが対日軍事支援を行なうとは限らない・・・)。むしろ、少なくない国民が、エネルギー資源をめぐるバイデン・ファミリーのウクライナ利権のみならず、‘戦争’がアメリカの軍需産業を潤している実態、すなわち、日本国の巨額支援の大半もウクライナの兵器調達を経由してアメリカに環流される仕組みを理解しているからでもあります。

 そのアメリカにあってバイデン大統領が去り、ロシアのプーチン大統領とも親交のあるトランプ氏が大統領に就任するのですから、日本国民の多くが、アメリカからのウクライナ支援の強要もなくなり、財政負担が軽減されると期待したのも当然のことです。しかも、発足したばかりの石破首相は、岸田前首相よりも中国寄りの政治家とも見なされていましたので、前政権を引き継いでウクライナ支援が継続されるとは、誰もが予測していなかったのです。

 同盟関係にある日米の二国間関係だけを切り取りますと、岩屋外相のウクライナ訪問と支援の継続は理解に苦しみます。アメリカが戦争の舞台から降りようとしているのに、同国に引きずられて舞台に上がったはずの日本国は、戦場というこの舞台に残ろうとしているのですから。同国での復興事業が日本企業のビジネス・チャンスとなるとする期待もありますが、ウクライナは地理的にも日本国から距離があり、しかも、デフォルトが常々懸念されていた上に政府腐敗指数の高い国ですので、1兆円の投資額に見合ったリターンがあるとは到底思えません。

 経済的な理由が成り立たないとすれば、岩屋外相の行動は、意味不明どころか、重大なリスク含みとなりましょう。日本国並びに日本国民に財政負担を課し続けると共に、安全保障上のリスクを齎しかねないのですから。何故ならば、日本国政府は、アメリカという国家ではなく、アメリカを含む全世界の諸国を背後でコントロールしているグローバルな金融・経済勢力の意向に従っている疑いが濃厚となるからです。同勢力の本拠地のあるヨーロッパでも同様の現象が見られ、第二次トランプ政権の発足が確実となった後も、フォンデアライエン欧州委員長はウクライナ支援の継続を強く打ち出しています。ロシアと陸続きとなるヨーロッパでは、ロシアを敵視する傾向にはあるものの、NATOのリーダー格はアメリカですので、ここでも齟齬が見られるのです。

 そして、世界権力の伝統的な手法が、国際社会を二分した上で、両陣営の対立関係から世界大戦に誘導するものであったことを思い起こしますと、第三次世界大戦の危機が迫っているようにも思えます。ロシアと北朝鮮との軍事同盟の締結も、戦火拡大の導火線であるのかもしれません。この視点からすれば、岩屋外相のウクライナ訪問の意味がおぼろげながら浮かび上がってくるようにも思えるのです(つづく)。

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グローバル化がもたらす資質を欠く政治家達

2024年11月19日 11時39分32秒 | 国際政治
 古今東西を問わず、異民族を征服した際に、征服者側が自ら乗り込んで直接に被征服民を支配するのではなく、旧来の為政者に特別の地位を与えたり、被征服民の中から特定の人を選んで代理人として統治させるという、間接支配の方法がありました。被征服民と外観、言語、慣習等を同じくする現地に定住している人物の方が、抵抗運動や反乱等が起きるリスクが低下しますし、伝統的な地位や名誉のある人物であれば、その権威をも利用することができます。こうした異民族支配の手法は、近代以降の民主主義の広がりと共に既に過去のものとなったように思い込みがちですが、近年の各国の政治状況を観察しておりますと、その‘絶滅’を確信できないように思えます。‘ない、ということになっている’に過ぎないのかも知れないのです。

 間接支配の手法は、しばしば‘傀儡政権’や‘傀儡政府’という言葉で表現されるように、被支配地の為政者を自らの‘操り人形’とすることを意味します。言い換えますと、為政者の地位はあくまでも形だけであり、実際には、背後にあってそれを巧妙に操る支配者が存在しています。‘操る糸’が見えず、人形があたかも生きているかの如くに動かせる人形師こそ名人であり、ステルスな遠隔操縦こそ、理想的な間接支配とも言えましょう。

 為政者の傀儡化による間接支配とは古典的な支配方法なのですが、今日、この手法が警戒されている背景には、軍事大国による中小国に対する間接支配のみならず、グローバルな金融・経済勢力の存在があります。グローバリズムが急速に進展した1990年以降、同勢力のフロントである世界経済フォーラムは、積極的にグローバル・ガバナンスにも乗り出しており、毎年、スイスで開催される年次総会、すなわち、ダボス会議には、各国政府の首脳級の政治家も参加するようになりました。グローバル・ガバナンスと言えば聞こえは良いのですが、その実態はいわば‘世界支配’であり、近年には、「グローバル・リデザイン構想」の下でグレート・リセットプロジェクトも開始されています。陰謀論として一笑に付されてきた‘世界政府’の姿が、明確な輪郭をもって顕れてきているのが、今日の国際社会の現状なのです。

 世界経済フォーラムの目的が世界支配にあるならば、当然に、各国に対して主権、あるいは、政策権限を自らに移譲させる必要があります。そのためには、各国の政治家を自らの勢力に取り込む、すなわち、傀儡化する必要があることは言うまでもありません。世界権力が、全世界の諸国の政府の傀儡化を試みていると想定しますと、何故、政治家の質が著しく低下しているのか、その理由も自ずと見えてくることにもなります。世界権力にとりましての‘政治家’の適性とは、‘操り人形’に徹することができる素質となるからです。

 世界権力の評価基準からしますと、マックス・ヴェーバーが『職業としての政治』において挙げた三つの政治家の資質、情熱、責任感、判断力を備えた人物は、真っ先に候補者リストから排除されることとなりましょう。無気力であって、国家や国民に対する責任感などさらさら持ち合わせておらず、判断力のない人物こそ、適任者となるからです。‘操り人形’には自らの意思はなく、‘人形師’の命令通りに動くだけでよいのです。そして、元アイドルといった芸能人やスポーツ選手が抜擢され、政治家にスキャンダルが絶えない現状からしますと、しばしば世界権力による愚民化政策の手段として指摘されている3S政策の実在性も、俄然、信憑性を帯びてしまうのです。

 政治家となる以前の職業については、俳優や女優であった海外の著名な政治家が引き合いに出され、必ずしも否定すべきではないとする意見もあります。国家首脳のレベルでも、アメリカのドナルド・レーガン大統領をはじめ、アルゼンチンのエバ・ペロン大統領、そしてウクライナのゼレンスキー現職大統領など、事例がないわけではありません。しかしながら、これらの擁護論者は、各国の政治家が、高い演技力、あるいは、‘操り人形’に適した資質故に世界権力から選ばれた可能性について考えたことがあるのでしょうか(かのアドルフ・ヒトラーも、本業ではないものの、演説等に際しての演技指導は受けたとされる・・・)。

 民主主義国家では、政治家は国民のレベルを映す鏡ともされますが、グローバル化の波が押し寄せている今日、政治家についても、民主主義を形骸化させるリスク要因として、世界経済フォーラムが進めるグローバル・ガバナンスの視点からの分析を要するのではないかと思うのです。


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石破人事に見る現代の‘職業としての政治’の問題

2024年11月18日 13時29分39秒 | 統治制度論
 20世紀初頭のドイツで活躍したマックス・ヴェーバーは、社会学のみならず、政治学、経済学、宗教学等など、様々な学問領域にあってその才能を縦横に発揮した知の巨人でもありました。ヴェーバーが生きた時代は、民主的選挙制度が本格的に定着しつつある時期でもあり、同氏は、1919年1月に、ドイツのミュンヘンで学生を前にして公開講演を行なっています。1919年1月と言えば、第一次世界大戦の敗戦によりウィルヘルム2世が退位し、当時にあっても最も民主的とされたワイマール共和国が成立する直前の時期に当たります(1918年11月9日に共和国宣言・・・)。

 同講演は、後に『職業としての政治』という書物として出版されますが、同書名は、近代にいたって職業が身分によって固定されていた身分制社会が崩し、政治家が選挙を経て国民から選ばれる存在となった時代を表してもいます。君主を含めて為政者が世襲である時代には、政治家とは、一般の国民が自らの意思で選択し得る‘職業’ではありませんでした。政治が‘職業’として概念されたところに、政治家に対する認識の著しい変化が見られるのです。

 さて、ヴェーバーは、『職業としての政治』にあって国家を「正当な物理的暴力行使の独占を要求する人間共同体(団体であれ、個人であれ、国家が許容した範囲でしか、物理的な力を行使し得ないという意味・・・)」と捉えています。それ故に、人々が国家の体制を認めるには正当性が必要となるのですが、この支配の正当性を問う文脈にあって、政治家の資質についても考察しています。つまり、政治家を様々なタイプに分類して分析しつつ、相応しい資質、覚悟、重大な判断に際しての優先順位など、倫理面を含め、内面面にも踏み込む形で政治家という職業を論じているのです。

 あらゆる職業には、その職業に求められる適性があります。しばしば採用に際して応募者の性格や能力など、個々人の適性がテストされているように、政治家も、それが職業の一つである以上、備えるべき適性があるのは当然と言えば当然のことです。専門職ともなれば、職務の遂行に要する知識をも要求されます。しかも、上述したように、国家というものが物理的強制力の行使を許す唯一の存在であれば、政治家とは、国家や国民の命運をも左右する極めて重要な職業となります。政治とは、国家を外敵から防御し、国民生活を豊かにし、人々の安全を護るために存在するのですから。同職業の特性からしますと、判断力に欠けていたり、国家や国民に対して無責任かつ無関心であったり、ましてや権力を専ら私利私欲のために行使しようとする人は政治家には向いていないこととなります。因みに、ヴェ-バーは、『職業としての政治』において、政治家に必要な三つの資質として、情熱、責任感、判断力を挙げています。

 ウェーバーの論は、20世紀初頭の研究ということもあり、100年以上が経過した今日では疑問点も多々あるのですが、公職としての政治家の重要性は昔も今も変わりはありません。今般、石破政権の人事に対して国民の多くが憤慨し、心の底から呆れかえるのも、政治家としての資質や能力、並びに専門知識を全く問われずして人選がなされたからなのでしょう。目下、世襲議員のみならず、元アイドルであった二人の女性議員が政務官に任命されたため、世論の批判を浴びています(少なくとも、上記の3つの素質を備えているのでしょうか?・・)。今日にあって民主主義が、職業上の適性に関係なく‘誰でも政治家になれる’ことを意味するに過ぎないとしますと、民主主義の時代を迎えたからこそ、政治家に対してより一層の高い志と能力を求めたウェーバーの時代とは真逆の状況にあると言えましょう。

 その一方で、不適切な人事が行なわれてしまうのは、統治制度における人事システムにも原因があります。この点、アメリカの制度では、大統領が大統領権限で重職に自らの意中の人物を指名したとしても、議会の承認手続きを要します。日本国でも、首相による組閣人事権独占を改め、国会の関与を制度化するという方向性もありましょう。例えば、政府から提出された行政機関の政治的任命に関する一覧表に対して、国会の側、即ち政党レベルもしくは議員の各々が同リストに記載された個々の候補者について評価・審査し、議員の過半数以上の承認を得られない人物については、首相に対して同ポストの差し替えを求めるといった方法も考えられます(最高裁判所裁判官に対する国民審査のような個別承認制度・・・)。

 あるいは、今日の選挙にあって、国民の多くは、人物よりも政策を選んでいますので、副大臣を含む閣僚や政務官等のポストについては、その権限や職務内容を含めて大幅に見直すべきかも知れません。とりわけ、石破人事に対する擁護論者が主張するように、政務官のポストは‘誰でも構わない’、すなわち、‘何もしなくてもよいポスト’であるのならば、既に多くの人々が指摘しているように、国民の負担軽減のためにも無駄なポストとして廃止が議論されて然るべきと言えましょう。

 現状を見る限り、政治家は、適性や能力等を問わずに不適切な人事を行なえば、政治家の職業としての専門性を自ら否定し、その存在意義を失わせていることになることに気がついていないようです。あるいは、政治家という職業の‘軽量化’、すなわち‘形骸化’は、各国の政治がグローバリストのコントロール下に置かれている現状が、目に見える不可解な現象として映し出されているのでしょうか(つづく)。

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アメリカの「政府効率化省」と日本国のデジタル庁

2024年11月15日 09時50分45秒 | 統治制度論
 今般のトランプ次期大統領によるイーロン・マスク氏の起用は、様々な波紋と影響を与えているようです。従来の論考報償のスタイル、即ち既存の重要ポストの提供ではなく、マスク氏の要望に応える形で「政府効率化省」を新設した上での登用なのですから、アメリカの統治制度にまで踏み込む改革を、大統領への就任以前の段階で凡そ実現させてしまったことになります。

 来年1月に予定される第二次トランプ政権の正式発足後において立法措置を要するのでしょうが、上下両院とも共和党が多数派となりましたので(大統領を合わせて‘トリプルレッド’・・・)、新組織の設立については議論らしい議論もなく法案が成立し、マスク氏・ラマスワミ氏両氏のトップ就任の人事もすんなりと承認されるかも知れません。その一方で、予算に関する主たる権限は議会にありますので、今般の「政府効率化省」の設置は、アメリカ全土に激震が走っても不思議ではないほどの大改革、否、改変ともなり得ましょう。‘効率化’を口実とすれば、官僚機構に関する行政経費のみならず、あらゆる政策領域の予算に口を挟むことができるからです。

 「政府効率化省」のように、統治組織やシステム全般を対象として設立された機関には、あらゆる政策分野の垣根を越えて縦横に自らの管轄範囲に含めることが出来る包括性があります。このため、極めて強いパワーを発揮する可能性を秘めていると言えましょう。この点に注目しますと、日本国のデジタル庁にも同様の特徴を見出すことができます。何故ならば、同機関も、‘デジタル化’を口実とすれば、あらゆる省庁のあらゆる政策分野に介入することができるからです。

 同庁のホームページを見ますと、同庁の概要は、「デジタル庁は、デジタル社会形成の司令塔として、未来志向のDX(デジタル・トランスフォーメーション)を大胆に推進し、デジタル時代の官民のインフラを一気呵成に作り上げることを目指します。」とあります。

 同文章には、‘デジタル社会形成の司令塔’という表現が見られるのですが、仮に、日本国のデジタル社会への転換が急がれている、否、急がされているとしますと、デジタル庁は、まさにこの革命的な社会改革を上から‘指導’する‘司令塔’の地位に躍り出たことにもなります。しかも‘一気呵成’というのですから、脇目も振らないようなスピード感、否、暴走感にも溢れた説明文なのです。

 同方針は、デジタル大臣の言動にも顕れています。例えば、河野前デジタル大臣は、デジタル庁からの勧告はあたかも‘命令’であるかのような説明をしていましたし、実業家の堀江貴文氏が空港での健康カードの使用についてSNSに苦情を投稿した際には、迅速に調査を命じたとも報じられていました。これらの事例は、社会改革の指導者としてのデジタル庁の傲慢とも言える意気込みを示しているのですが、各省庁の予算を見ますと、多方面に亘る‘デジタル予算’なるものが、急速に増額する傾向にあることを認めざるを得ないのです。

 そして、デジタル庁の設立過程を見ましても、アメリカの「政府効率化省」と類似する唐突感があります。同庁のホームページには設立に至る経緯に関する説明は記載されていないのですが、2020年9月に発足した管政権の下で設立に向けた動きが始まり、立法手続きを経て翌2021年9月には設置されています。同作業にあって「Government as a Startup」というロゴが使用されたところからしますと、当時の管義偉首相、あるいは、自公政権の発想とも思えず、デジタル庁の設置には、グローバルレベルでデジタル化を推進している海外勢力、すなわち、世界権力からの要請があったものと推測されるのです(全世界で災害が頻発している現状からしますと、「防災庁」の設置も外圧かもしれない・・・)。

 マスク氏は、自らに寄せられる疑問に対して「われわれが何か重要なものを削減している、あるいは無駄なものを削減していないと国民が感じた場合は、ぜひ知らせてほしい。・・・」と投稿したとされます。しかしながら、この台詞、河野前デジタル大臣からも聞いたような気がします。デジタル庁のホームページにも「あなたの声を聴かせてください。」とあるのですが、スピード、すなわち、一方的な既成事実化を得意とする人々が、この言葉通りに一般の国民の声に真摯に耳を傾けるとは思えないのです。

 落ち着いて考えてもみますと、一体、誰が、人類の未来をデジタル社会の一択に決めてしまったのでしょうか。未来ヴィジョンを一つに決めつける必要はなく、グローバリストによる監視・管理社会となりかねないデジタル社会よりも、より人類に相応しい未来もあり得るのではないかと思うのです。

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政府効率化省の目的はアメリカ連邦政府の電子政府化?

2024年11月14日 11時40分07秒 | アメリカ
 今月11月12日、アメリカ大統領選挙で勝利を収めたドナルド・トランプ次期大統領は、選挙戦での献身的な貢献を認めて、実業家にして大富豪でもあるイーロン・マスク氏を「政府効率化省」のトップに任命したと報じられています。もっとも、新設される同組織は、マスク氏一人ではなく、共和党の候補者でもあったビベック・ラマスワミ氏とのトップ二人体制として発足する模様です。

 とかくに知名度に優るマスク氏に人々の視線が集まりがちですが、ラマスワミ氏もまた、共和党の候補者指名レースに名乗りを上げただけあって、決して無名の人物ではありません。インド・タミル系である同氏は、若くしてロイバンドサイエンシズという社名の製薬スタートアップを創設し、金融事業等も手がけることで築いた個人資産は9.5億ドルにも及ぶとされます(ソフト・バンクからも11億ドルを調達したとも・・・)。マスク氏もラマスワミ氏も共にテック産業界の‘申し子’であり、その思想も最大限に個人の自由を認めるという意味において共通しているのです(あらゆる制約や規制を否定する自由原理主義、あるいは、リバタリアン・・・)。因みに、ラマスワミ氏の両親の出身地はインドのケララ州であり、同州は歴史的にマルクス主義者の多い地域でもあります(現職の州首相もインド共産党マルクス主義派・・・)。

 両者ともに異例の事業拡大並びに集金力を見せたところに、投資者あるいは支援者としての世界権力の影が見え隠れするのですが、異例の二人体制となる「政府効率化省」のトップの人事は、あるいは、世界権力によるものであったのかもしれません。何れにしましても、政府予算の3割削減を目指すとされる同機関は、トランプ政権の発足と同時に任務を開始することとなるのです(世界権力は、自らの構想を実現すればよく、その実行者は共和党でも民主党でも構わない・・・)。

 両氏の任命に際してトランプ次期大統領は、同機関を「現代のマンハッタン計画」とし、「官僚主義を壊し、過剰な規制をなくし、無駄な支出を削減し、連邦政府のリストラを進める。ホワイトハウスなどと連携し、政府の外から助言や指針を与える」と説明しています。凄まじい破壊力を‘マンハッタン計画’に喩えたのでしょうが、リストラされる連邦職員の数は凡そ100万人ともされ、大量失業者の発生と行政サービスの著しい低下が懸念されるほどの大規模な数字です。アメリカ政府の雇用システムには猟官制の側面がありますので、リストラの主たる対象は、前政権、すなわち民主党系公務員であるのかもしれませんが、ポストの入れ替えではなく、ポストそのものがなくなることを意味しますので、‘小さな政府’への改革として理解されましょう。

 もちろん、アメリカ国民の多くも、非効率な政府の運営や無駄遣い等はなくしてゆくべきことに異論はないことでしょう。しかしながら、この大量リストラを伴う‘合理化計画’、マスク氏とラマスワミ氏の背景を考えますと、別の目的があるようにも思えます。つまり、アメリカ連邦政府のデジタル化、すなわち、電子政府化となる可能性が高いように思えるのです。

 実際に、ラマスワミ氏と縁の深いインドのケララ州では、電子政府化が積極的に進められており、2015年には、同州の知事がインドで最初の完全なるデジタル州であると宣言しています(complete digital state)。また、古来、香辛料貿易で栄えた国際的な港湾都市であり、植民地時代には英国領となっていた同州のコチ(旧コーチン)には、今日、アラブ首長国連邦のドバイとの共同出資プロジェクトとしてスマートシティーも建設されています(Smart City Kochi)。グローバルな繋がりからしますと、同氏は、デジタル行政やそれに要する技術もノウハウを自らが属するグローバルなネットワークから取り入れようとするかもしれません(なお、コチにはソロモンの時代からユダヤ人が居住していた・・・)。なお、同州はインドの宇宙開発の発祥の地ともされ、宇宙開発事業に邁進しているマスク氏との繋がりも伺えます。

 およそ100万人の公務員を削減しつつ、行政上の事務作業や公的サービスのレベルを維持しようとすれば、何らかのフォローや代替措置を要することは確かなことです。となりますと、アメリカ連符政府は、結局は、今般‘外部機関’として設置された政府効率化省の提言を受ける形で、AIの大規模な導入を含むデジタル化を進めざるを得なくなるのではないでしょうか(日本国ではデジタル庁?)。大規模なシステム導入を伴い、しかも、技術的進歩の速度が速いデジタル化にも相当の予算を要しますので、連邦予算の3割削減に繋がるかどうかは不明なところであるものの、近い将来、アメリカが電子国家化するとしますと、それは今般の大統領選挙でアメリカ国民の多くが期待した中間層の復活ではなく、同国民の目の前には全く別の世界が広がるのではないかと思うのです(つづく)。

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トランプ次期大統領はマスク氏に恩義はないのでは?

2024年11月13日 11時30分54秒 | アメリカ
 アメリカの大統領選挙の経緯を振り返ってみますと、ドナルド・トランプ候補暗殺未遂事件が発生したり、民主党の統一候補がバイデン現職大統領からカマラ・ハリス副大統領に差し替えられるなど、紆余曲折がありました。暗殺未遂事件直後におけるイーロン・マスク氏の‘鞍替え’も、確かに同選挙戦に強いインパクトを与えました。しかしながら、トランプ陣営勝利の最大の要因を同氏の貢献に求めるとする解釈は、アメリカの民主主義を歪めてしまう怖れがありましょう。

 トランプ氏の勝利がおよそ確定した直後の報道では、その勝因を同氏が掲げてきた移民規制の強化や物価高対策等に求める見解が多数を占めていました。移民による治安の悪化や雇用の不安定化、並びに、高率のインフレに日々苦しむ国民の多くが、トランプ氏を支持したというものです。いわば、トランプ氏が大統領選挙に初めて勝利した前々回の選挙戦と同様に、アメリカ国民を優先し、国内産業を重視すると共にグローバリズムとは一線を画する姿勢が国民からの期待を集めたと言うことになりましょう。

 その一方で、理想主義的なリベラルをもって国民に支持を訴えてきた民主党は、これまでの政策や活動が悉く裏目に出ることとなりました。パリオリンピックの開会式で見せたような、行き過ぎたLGBTQ運動やポリティカルコレクトネス、あるいは、急進的な環境政策等は、国民が違和感や抵抗感を覚えさせるほどに過激化していましたし、何よりも、平等や公平を重んじ、クリーンなイメージを振りまいてきた民主党が、バイデンファミリーをはじめ、利権、しかも、グローバルな利権まみれである実態が明らかとなったことも痛手となったはずです(ウクライナ利権や中国利権・・・)。日本国では、保守政党の‘化けの皮’が剥がれた観がありますが、アメリカでは、リベラル政党の‘化けの皮’が剥がれてしまった観があるのです。しかも、シリコンバレーを中心としたテック産業は、民主党の伝統的な支持基盤でもありますので、民主党は、一般国民とはかけ離れた華麗な生活を送っている人々、つまり、今や富を独占しているグローバリストの政党とするイメージも定着してしまっていたのです(このため、ハリス候補支援でのセレブ起用には逆効果説も・・・)。

 民主主義国家では、基本的には国民多数の意向に沿った政治が行なわれますので、マジョリティーを構成してきた中間層の人々が、かつては中間層に属していた人々を含めて共和党を支持者が多数となるのは当然の流れとなります。前回の大統領選挙では、不正選挙問題が持ち上がりましたが、今般の選挙では、前回を教訓として不正選挙に対して厳しい対策やチェックが行なわれたともされます。言い換えますと、このことは、マスメディアが両陣営の伯仲状態を演出しても無意味となったことを意味します。なお、民主党陣営は、前回の選挙から不正の存在を否定してきましたので、今般の選挙結果を偽りのない民意として真摯に受け止めるべきと言えましょう。

 世論のトランプ支持の流れが抗いがたいとなりますと、計算高い合理主義者であるマスク氏が、民主党への支持継続で敗者側となるよりも、トランプ氏の勝利に便乗する作戦に変更したことは想像に難くありません。しかも、戦略に長けている同氏のことですから、可能な限り、トランプ陣営に恩を売ろうとしたのかも知れません(多額の資金提供や抽選100万ドルキャンペーンなど・・・)。自らの勝利への貢献度が高く評価されればされるほど、トランプ政権発足後にあって‘見返り’を得ることができるからです。

 アメリカ国民の多くがトランプ氏を大統領に選んだ理由がその掲げる政策にあったとしますと、トランプ氏は、便乗者であるマスク氏に恩義を感じる必要はないこととなりましょう。そしてこのことは、政策こそ、国民が政治的な判断を行なう祭にして最も重要な判断基準とするものであることをも示しています。この点、マスク氏を‘真の勝利者’とする見解は、移民規制や物価対策等を求めるアメリカの民意を過小に評価し、論功行賞として今後の政策運営をマスク氏、あるいは、その背後にあって同氏を操る世界権力の意向に添った方向にねじ曲げかねない懸念がありましょう(マスク氏は、世界権力の露骨な支配欲を隠すために‘道化役’を演じているようにも見える・・・)。

 もっとも、世界権力は二頭作戦や多頭作戦を得意としていますので、次期トランプ政権にも‘どんでん返し’の可能性がないわけではありません。この点、さらなる警戒も要するのですが、少なくともマスク氏が求める‘見返り’は、過大要求に留まらず、アメリカ国民にとりましては民主主義の危機となるのではないかと思うのです。

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マスク氏のトランプ政権参加には警戒が必要なのでは

2024年11月12日 11時52分34秒 | アメリカ
 アメリカ大統領選挙におけるイーロン・マスク氏の突然の登場は、同選挙結果を分析、あるいは、解釈するに際しての攪乱要因となっているように思えます。昨今のウェブ記事を見ましても、トランプ陣営の勝利は、マスク氏の多大なる貢献によるものとする見解も多々見受けられます。あたかもハリス候補からマスク氏に乗り換えたかのように、マスク氏にスポットライトを当てた報道が目立っているのです。もちろん、自らの存在感を高めたい同氏による、潤沢な資金を投じたマスコミ戦略であるかも知れないのですが・・・。

 大統領選挙が実業家や富裕層にとりまして有望かつ最高の投資先であることは、国家権力の絶大さに思い至れば容易に理解されます。随意契約などであれば、政府調達は自らのビジネスチャンスとなりますし、何と申しましても、自らのプランを政府に実行させることができるからです。例えば、インフラ事業など公共性の高い事業分野への参入を計画した場合、それが公営事業であれば、政府に民営化政策を実行させればよいこととなります。再生エネ、とりわけメガソーラ等の建設を伴う太陽光発電事業が政治家の利権がらみとして批判を浴びたのも、エネルギー政策が特定の事業者を潤すからなのでしょう。

 また、事業資金が不足しそうな場合にも、公的に支援すべき‘成長産業’に政府に指定してもらえば、産業政策上の補助金や助成金という形で調達することもできます。しかも、グローバル化した今日では、これらの政策で利益を得るのは国内企業とは限らず、国民が海外事業者やステークホルダーのために税金を納める事態にも至っているのが現実です。そして、巨額の献金など、マネー・パワーによって政治家を外から動かすよりも、自らが政府の内部に入り込み、そのメンバーともなれば、まさに‘鬼に金棒’なのです。

 マスク氏の場合も、次期トランプ政権において、自らのプランや未来構想が実現することを目的としているのでしょう。宇宙開発には莫大な予算を要しますが、その事業コストを、自らが全て負担するのではなく、国庫から支出させることができます。国家レベルで開発した先端技術や高レベルの施設等、さらには研究員等を含めた公務員という人材をも使用することも夢ではなくなります。国家に‘寄生’すれば、国民が納めた税金も、自らの事業資金として使うことができるのですから、その利益は莫大です。投資の収益率としては、これに優るものはほとんど存在しないかも知れません。

 目下、新自由主義の権化ともされるマスク氏は、‘政府効率化省’を設立して国家予算の3割削減を目指すとされています(会計検査院とは別組織?)。マスメディアは好意的に報じていますが、この案が実現しますと、マスク氏は、アメリカ財政全般に口出しできる立場を得ることになります。それが表向きは‘予算の効率化’を目的とし、削減権限に限定されたものではあれ、猟官政治の果てに一私人によって、国家の財政権限、すなわち予算編成の権限が握られることとなりましょう。

 あたかも大統領選挙の‘真の勝者’がマスク氏であるかのような報道ぶりには驚かされるのですが、同氏が、以前にあっては熱心な民主党支持者であった点を考慮しましても、今後の動向につきましては十分な警戒が必要なように思えます。宇宙開発につきましても、政府効率化省につきましても、どこかに世界権力の影が見え隠れしているからです。仮に、マスク氏が‘トロイの木馬’であるとしますと、この敵陣営に味方を装って侵入するという手法は、18世紀にキリスト教への見せかけの改宗を奨励したユダヤ教の一派であるフランキストを彷彿とさせます。いわば、‘隠れディープ・ステート’ということにもなるのですが、人類史、とりわけ近代以降の歴史を振り返りますと、目的地と到着地が逆転してしまうという奇妙な現象がしばしば起きています(メビウスの輪の如くであり、アメリカ独立後の国旗が、独立反対派の東インド会社のデザインを取り入れたものであったり、日本国でも尊皇攘夷が開国を結果したように・・・)。現代にありましても、‘隠れ’を特徴とする同思想の流れは、世界権力にあって脈々と受け継がれているように見えるのです。

 トロイの木馬の故事が伝えるように、敵陣営に対して味方を偽装した仲間を送り込む手法は、フランキストに限ったことではないのかも知れません。しかしながら、新自由主義者であるマスク氏が描くアメリカの未来像が、トランプ次期大統領が訴え、アメリカ国民の多くが望むような中間層の復活であり、‘古き善き市民社会’であるとは思えないのです。政府効率化省のトップの椅子に座った時、果たしてマスク氏は、如何なる予算を削減しようとするのでしょうか(つづく)。

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アメリカの大統領選挙はマスク氏の投資事業?

2024年11月11日 12時28分57秒 | アメリカ
 アメリカ大統領選挙では、大手マスメディアが両陣営の伯仲状態を盛んに報じながら、大差によるドナルド・トランプ共和党候補の勝利という結末で幕を閉じました。前々回の選挙あたりからマスメディアによる作為的な‘接戦演出’が露わになってきてはいたのですが、今般の選挙では、マスメディアの信頼性がより一層低下すると共に、同作戦が既に効果を失いつつある現実をも示しています。接戦作戦に隠された意図が、世論誘導や不正選挙のための環境作りであったとしますと、トランプ候補の当選は、アメリカ政治に変化が生じていることを示唆しているとも言えましょう。

 それでは、何故、トランプ大統領は、かくも大差をつけてカマラ・ハリス候補に対して勝利したのでしょうか。アメリカ大統領選挙は、かつては羨望の的であった‘草の根民主主義’とはほど遠く、今ではマネー・パワーが物を言う世界に成り果てています。一種の‘政治ショー’と化していますので、4年に一度の大イベントといっても過言ではありません。このため、候補者の‘売り出し’に要される費用は莫大です。古典的な宣伝手段であるパンフレットやポスター等の作成のみならず、メディア時代の今日では、知名度を上げたり、広く国民にアピールするには、プロモーションビデオを作成したり、マスメディアへの出演機会を確保するなど、‘工作資金’も用立てる必要があります。また、全国各地で開催される選挙集会では、候補者を引き立てる舞台装置等も準備せねばならず、聴衆の‘動員’を含めて多額の資金が費やされているのです。

 そして、大統領選挙に不可欠となる甚大なる費用は、今日、民主主義の危機をももたらしています。その一つとして挙げられるのが、金融・経済パワーとの癒着です。民主主義国家の建前では、為政者とは、公正・公平な選挙を介して国民から国民のために選ばれる存在です。ところが、現実には、大統領選挙には、一般市民では到底準備できないような費用がかかりますので、トランプ氏のような実業家にして富裕者であっても、自己の資金だけで選挙戦を闘うことは最早できません。もちろん、各候補者とも所属政党を組織的なバックとしていますので、党の資金のみならず、党員や支持者からの寄付に期待することができましょう。しかしながら、小口の寄付では全ての選挙資金を賄うことは難しく、結局は、金融・経済パワーからの纏まった資金提供に頼らざるを得なくなるのです。かくして、ここにおいて、アメリカ国民は、民主主義国家の最大の弊害ともされる政財癒着の構図を見せつけられているのです(「プルートクラシー」と称されている・・・)。

 グローバル時代を迎えた今日、グローバル企業でもある米IT大手の大半がリベラルな価値観を共有する民主党に巨額の資金を提供してきましたが、トランプ陣営も献金問題とは無縁ではありません。トランプ候補暗殺未遂事件の直後にあって、‘勝ち馬に乗る’かの如く、逸早く巨額資金の提供を表明し、政治の舞台に躍り出たのが、かのイーロン・マスク氏であったからです。選挙資金の提供のみならず、自ら積極的に支援活動に乗り出し、激戦が予測されていた7州を対象として、「100万ドルの小切手が毎日一人に当たる!」とする請願制度を利用したキャンペーンまで展開したのですから(ペンシルバニア州では州法違反として提訴されたものの、マスク氏の勝訴に・・・)。

 かくも露骨にトランプ陣営に肩入れをしたマスク氏は、次期トランプ政権にあって‘見返り’を求めているともされます。自らが構想する火星移住計画を国家プロジェクトに昇格させようとするかも知れませんし、政府効率化省(The Department of Government Efficiency)を創設し、そのトップのポストを要求しているとも報じられています。来るトランプ政権は、マスク氏の‘傀儡政権’とする見方もあり、しかも、マスク氏のその背後には、トランプ氏自身が‘敵’と見なすディープ・ステート、すなわち世界権力が潜んでいるリスク―‘トロイの木馬リスク’―もないわけではありません(このリスクは、トランプ次期大統領についても認められる・・・)。二頭作戦の現れである懸念も燻るのですが、それでは、トランプ候補は、マスク氏の支援なくしては当選できなかったのでしょうか。

 グローバル企業からの巨額献金や資金提供については、民主党の方がむしろシリコンバレーのリベラル系企業を中心に集金力に長けています。仮に、マスク氏の献身的な支援の結果であれば、氏一人で並み居るIT大手を押しのけるほどの資金力と影響力を示したことになりましょう。こうした資金額に関する疑問に加え、選挙結果を見ますと、538人の選挙人の内、トランプ候補が312人、ハリス候補が226人を獲得しており、両候補の間には86もの開きがあります。また、獲得票数も、トランプ候補7460万票、ハリス候補7090万票と370万票の差がつく結果となりました。前回の選挙では、バイデン大統領は8100万票を獲得したとされていますので、ハリス候補の陣営は1000万票を失ったことになるのです。この数字は、‘マスク効果’としては、大きすぎるように思えます(上述したキャンペーンの参加者はこの数字を大幅に下回るのでは・・・)。否、仮に、凡そ500万票がマスク氏の資金力のみで動いたとしますと、アメリカの選挙は、収益を計算に入れたグローバリストの‘投資事業’に過ぎない言うことにもなりましょう(つづく)。

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