車好きオヤジのブログ

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時は金なり?(take a short rest)

2015-01-20 18:00:00 | 日記

車の話は納車までまだ日があるので今日は暇つぶし用なのである。

全く車には関係ないのであてが外れた方は早々にお引き取りしていただきたい。

 

 

「人生二度なし」
 
これは私が心の師と仰ぐ国民教育の父とも呼ばれる森信三先生の有名な言葉だ。
「修身教授録」を始めとする数々の著作や実践から生まれ提唱された「全一学」は
人生における真理そのものなのは広く認められているし、
教育界に留まらず政界、財界の心ある者からはもう亡くなってかなり経つというのに
師の生前以上に現在も熱烈に支持されているのである。
 
また西洋の諺にも「Time Is Money(時は金なり)」と言われているのを聞くと
古今東西の偉人達が二度とない今この一瞬を目的もなく無駄に過ごすのが
どれ程虚しいものかと述べている。
 
煩悩まみれの凡夫である私がこんな偉人達の仰ることに何の異論があるはずないし、
ましてや茶化すなんて気はさらさらなく、畏れ多い事だと最初にお断りしておく。
だけど森先生レベルの人生の達人になればこちらがビビるどころかそれ以上に
こんな人間にはもっと判りやすく、そして優しいのがこれまた「真理」の凄い部分なのだ。
 
 
 
最近時計をしない者が若者を中心に増えているらしい。
 
 
必要ないという理由も判らなくはない。
携帯電話さえ持っていれば時計機能はついているし時間もかなり正確だ。
 
オヤジ世代の私としては腕時計をしないとどうにも落ち着かない。
若かった30数年前なら当時ビジネスマンには「鳩が豆食ってパッ」というのが
必携の合言葉だった。
 
因みに「ハトガマメクテパ」とは
 
ハ・・・ハンカチ
ト・・・時計
ガ・・・がま口(財布)
マ・・・万年筆
メ・・・名刺
ク・・・櫛
テ・・・手帳
パ・・・パス(定期券)
 
言葉のごろ合わせなので順序が優先される意味ではないが、
当然時計も当時は必需品とされていた。
 
これは案外今現在でも十分通用するようにも思う。
万年筆はボールペンやシャープペンシル、手帳や時計は携帯電話や
モバイルツールに置きかえても良いだろう。
 
身なりに頓着しないというか時計も基本的には見やすくて合っていれば
元来何でもOKな私である。
先立つ物の無さがあるのもそうだが所謂高級ブランド品は欲しいと思ったこともない。
ロレックスやオーデマピゲなんて何故あんなに高いのか理解出来なかった。
自分に置き換えても寧ろ伴う対価がそれに見合うとも思えなかったのである。
後から振り返って見れば高級品や流行を追うのが嫌で逆拘りとでもいうのか
海外製品は全く眼中になくずっと国産品ばかり使っている。
 
その中でもセイコーは何となく一番多く愛用しているような気がする。
少しばかり先のブランド(メーカー)志向と矛盾するようなのだが、
無意識ながら一番無難なメーカー的感覚だったからだろうか。
今では当然世界に誇る日本の一流企業と認識しているのは当然である。
 
またこれも働くようになり随分と後にある先輩から身なりや服装を整えるのと同様に
よい歳食った者が単に興味がないからと好き勝手に振る舞うのは
社会人として非常識(と思われる恐れがある)と教わったのをきっかけに
普段用、スポーツカジュアル用等といくつか分けて持つことにしたのだった。
 
極端な例を挙げると確かに客先の弔問をする際、喪服にGショックはおかしいし、
激しい運動をする時や海に行くときに手巻きの防水でない物は拙いよな。
 
といっても所謂ブランド品が欲しい訳ではないし何を選んで良いのかも判らない。
それでもその気になって探したり見てみるとこれもなかなか面白い、
いやこの道も奥が深い世界のようなのが判る。
 
また物を通じて新たな人との出会いがあるのも実のところ本当は楽しみなのだ。
案外身近に時計のマニアがいたり、収集だけでなく簡単な分解や清掃などの
メンテナンスだとかもやっていたりするのだった。
 
デジタル時計は邪道だというTさんは自宅に専門の工房みたいな時計部屋を
構えていて国産は元より海外製品や古い時計など数多く持っている方でした。
Tさんは得意先のバイヤーでプロの業者でなく時計を趣味にしている方です。
 
最初は実用出来る台数以上(おそらく100個以上か)を所有しても何が楽しいのか
全く理解出来なかったけれど人やペットに対するような愛情を込めた扱いを
見ているとなんとなくホッするような気持ちになるから不思議だね。
 
彼が見せて説明してくれたりする多くの時計の中で私自身も古い時計に
妙な親近感を感じるようになって行ったのです。
 
時間もクオーツ、デジタルのような正確性はおそらくないだろう手巻きの時計の
人間臭さみたいなのに惹かれたからかも知れない。
 
japan505901.jpg 
手が出せる範囲で見たり調べたりした結果オークション見つけたのがこれ。
手巻き23石のセイコーライナーはもう半世紀以上前の大衆的モデルである。
気になり欲しいと思うと時計の方が私に落札してもらいたくしてるように見えるのは
あばたもえくぼで毎度の事さ。
出品者もしっかりとした実績のあるプロの方だったのも良かった。
古さを感じさせない位に綺麗で勿論当然完動品。
 
購入後専門店でオーバーホールをしてもらってもう10年位使っている。
自分の年齢と変わらないこいつには幼馴染みたいに妙な親近感を持ってしまうのよね。
これを使うのは完全プライベートの時のみ。
単に正確さだけを競うなら1000円で売ってるデジタル時計にも遥かに負けるだろう。
たとえ日差何分あろうとなかろうと全くお構いなしで気にもならないさ。
きちんと動いてくれてるだけで何だか嬉しくなってしまうもの。
 
元々が正しい使い方ではないのを承知で私の場合
時計はいつも1分程度は進めて嵌めているのである。
特にこれを使う時は細かい時間に追われたくない
自由で伸び伸びしたな気持ちになりたい時なのだ。
 

 

img_1_m.jpg 

 
日常の仕事用にはキングセイコーを使っている。
今では後継のグランドセイコーが上級機種として販売されているけど値段も少々お高い。
そのグランドセイコーが出るまでのフラッグシップだったのがキングセイコー。
このモデルも古くてもう40年以上前の型で2000年に2000個限定で復刻された物。
 
黒のクロコベルトが標準だけど普段使いには似合わないので
本体と同色のステンレスベルトに交換して使っている。
そうするとパッと見、全く何の変哲もない普通の時計に早変わり。
殆ど誰にも気づかれることなく自己満足に浸ってる訳だ。
極々稀に時計が趣味の御仁になかなか良い時計してるねなんて言われたりすると
もうおしっこちびりそうになるくらいに嬉しいね。
車に限らず何事もこういう偏執的な使い方が好みなのさ。
 
たかだか云万円程度で同じ価格でどこででも買える新品時計より
私にとってはこれこそプライスレスというものさ。
ある意味ロレックスのオイスターより価値があるなんてのは言いすぎだろうけどね。
 
 
 
 
最近進み具合が目立つ感じがして先週オーバーホールにセイコーに出したところさ。
とはいうものの感覚的には1日1分進むかなあというレベルであるが、
こちらは仕事に使っている以上もしもの事があっては大変である。
嫁はんにもたまには里帰りさせないと家庭不和の元になるってみたいなものですな。
キングちゃんは2カ月程度帰省の予定と聞いている。
だけどもうライナー婆ちゃんになると今では帰る実家はとうの昔になくなってしまい
親戚廻りさせるのもこれはこれでもう大変なのである。
 
女性のカバンや男のゴルフ道具みたいに次々と数多く揃える気もないので
この2個は壊れない限りずっと使い続けるつもりでいるのだ。
 
結局技術の進化、開発の必要性とは別に生身の人間が秒単位で
何かしなけりゃならないなんて事が一体どれほどあるというのだろう?
そんな風に思えば11分、2分程度ずれても影響のない生き方、
いやその程度の余裕ある暮らし方こそが大切な気がするだけなのだ。
 
何でも適当アバウトな関西人の私にはこういう時にぴったりの好きな言葉がある。
「ええ加減」と「ええ塩梅」。
クレイジーキャッツの植木等扮する無責任男みたいに聞こえるかも知れないが、
「ええ」ってのは「良い」という意味に解釈してもらいたい。
 
 
 
時計は時を刻む道具なのは間違いない。
しかしたかが時計されど時計。
 
道具を使うのは生身の人間だよなって話さ。
時間に振り廻されては本末転倒ではないのかね。
 
 
(了)