今日は「地図の日」だそうです。
地図は今も国家機密で、どの国でも地図に何も書いてない場所がありますね。
今日は曇っていて富士山が見えませんが、きのうはよかったです。
きのうはいい天気になりました。
先日のNHK「あさイチ」で紹介のあった井上芳雄MCの「はやウタ(4:30~)」を
録画して観ました。朝から歌番組、それも新しそうな曲を沢山聴いて妻はニコニコして
いましたね。
それにしても日曜日のこの早い時間に生放送?とは、歌手の皆さん頑張ってます。
うたのかネット -演歌・歌謡曲のニュースあれこれ- (utanoka.net)
春霞がかかっていますが、午前9時頃の富士山です。
大きなゴルフクラブのネットが景観の邪魔をしております。
それできのうは、内科で通っている慶大付属病院に向かって歩きました。
ゴルフクラブを過ぎると小山があり富士山はほんのトップしか見えなくなりました。
おまけに雲も出て、我が家が一番のようです。
病院までは2,700歩、ちょうどよい距離でしたね。
問題のネットのあるクラブに寄ってみました。立派なレストラン(ニューオオタニ系)
がありました。スタッフに伺ったらゴルフに関係なく利用できるとのこと、メニュー表を
貰っておきました。妻といつか行きたいですね。
藤沢ジャンボゴルフ (fujisawajumbogolf.com)
きのうの歩数は、寄り道を入れて往復で5,800歩でした。前は帰りはバスでしたが、
妻も足が強くなったようです。
夕暮れの富士がきれいに見えました。
以下はネットにあった長い解説です。
今日は何の日 | 雑学ネタ帳 (zatsuneta.com)
1800年(寛政12年)のこの日、伊能忠敬(いのう ただたか、1745~1818年)が蝦夷地の
測量に出発した。
その後、16年にわたって測量をして歩き、本格的な日本全土の実測地図である『大日本沿
海輿地全図』を完成させ、国土の正確な姿を明らかにした。
「輿地(よち)」とは大地や地球、全世界のことを意味する。この地図は、江戸幕府の
事業として測量・作成が行われたもので、その中心となって製作した彼の名前から「伊能
図(いのうず)」とも称される。
実際に地図が完成したのは伊能の死後、1821年(文政4年)のことである。縮尺36,000分の
1の大図、216,000分の1の中図、432,000分の1の小図があり、大図は214枚、中図は8枚、
小図は3枚で測量範囲をカバーしている。この他に特別大図や特別小図、特別地域図などと
いった特殊な地図も存在する。すべて手書きの彩色
地図である。
大図 渥美半島付近
伊能は上総国(現:千葉県)出身の商人で、そこで造り酒屋を営み立派に繁盛させて
いたが、50歳の時に家督を長男に譲り、江戸へ出て測量・天文観測などを学んだ。その後、
56歳の時に上記の測量を開始した。幕府からの資金援助はあまりなく、測量器具や旅の
費用のほとんどを自費で賄い計測を行ったという。
伊能忠敬の郵便切手
1949年(昭和24年)に「測量法」が公布されたことに由来して、6月3日は「測量の日」と
なっている。
リンク:Wikipedia