第13作目、深川万年橋下(ふかがわまんねんばしした)です。
東京都江東区清澄二丁目
解説は、「葛飾北斎 富嶽三十六景 解説付き」から引用しました。
万年橋です。
万年橋は、江戸深川を流れる小名木川が隅田川に合流する地点にかかる橋をいいます。
隅田川に浮かぶ船の中から、万年橋を見上げたような構図が印象的です。
また、その両岸をつなぐ太鼓橋の弧と橋桁が目を引きます。
橋の手前の船の舳先が示す方向に目をやると、橋桁の向こうに富士が見えます。
橋の上には多くに人で賑わっています。
橋の手前の船の舳先が示す方向に目をやると、橋桁の向こうに富士が見えます。
橋の上には多くに人で賑わっています。
対照的に一人の釣り人が描かれています。
少しアップしました。
原画です。
次は、「五百らかん寺さざゐどう」です。
以下、解説です。
萬年橋が架橋された年代は定かではないが延宝8年(1680年)の江戸地図には「元番所のはし」として当所に橋の記載がある。
江戸時代初期、この橋のすぐ北側に小名木川を航行する船荷を取り締まるために「川船番所」が置かれていたものの、この番所は明暦の大火後の江戸市街地の整備拡大に伴い、寛文元年(1661年)に中川口へと移されたため、付近が「元番所」と呼ばれていたことに由来する。
慶賀名と考えられる「萬年橋」という呼称となった時期などは不明である。
小名木川は江戸市内へ行徳の塩や、近郊農村で採れた野菜、米などを船で運び込むための運河であり、架けられた橋はいずれも船の航行を妨げないように橋脚を高くしていたが、萬年橋は中でも特に大きく高く虹型に架けられていたことから、その優美な姿を愛された。
葛飾北斎は富嶽三十六景の中で「深川萬年橋下」として、歌川広重は名所江戸百景の中で「深川萬年橋」として取り上げた。
のち、江戸期を通じて4回の改架があったとされるが定かではなく、関東大震災の直前には木橋が架けられていた。震災時も被害はうけたものの耐え切ったが、老朽化とあわせて震災復興計画により現在の橋に架け替えられた。
北岸は松尾芭蕉が居を構えた場所で、隅田川と小名木川の合流地点付近の住居跡は芭蕉歴史庭園として整備されている。また近隣に江東区芭蕉記念館がある。
とても素敵な紙細工ですね。こういった芸術があるのを初めて知りました。
また、ボランティアで歌をうたわれるとのことで、素晴らしいですね!自分も気持ちがよい演奏は聴いていても楽しいでしょうね。
天候が不安定ですので、ご自愛ください。失礼しました。
芸術と言われて汗顔です。
自分でボランティアと言ったら、ボラになりませんね。
ただ、同じような気持ちの方を発見し、思わずコメントしました。
これからが、酷暑、そちらこそご自愛ください。
ゆきママ様もおっしゃっていますが、『橋の弧』が本当に綺麗で…見事です! 淡い色合いで…ひとつだけ2色の紐?でしょうか。粋を感じます。
アップ写真の方の、船に飛び石に遠くの富士山に…特徴を捉えてかつ立体の面白さがあり、『おおっ』と感じる面白さです!
閑斉様の記事、作品に感謝を!
橋の2色は、別の色を張り合わせています。
これは大した作業ではありません。
今回は、原画の描写に近い構図の表現が出来ましたが、これは橋の上の人物を小さく作ったためで、これ以上の拡大は紐が出てくるだけで出来ませんね。
江戸の時代の橋の上の賑わいは表現できました。
まだ、梅雨が続きますが、皆さま、心はカビないよう励んでください。