外から帰って、借りてきたこの本をちょっとと思って読み始めたら、止まらなくなった。重い内容だったが読み切って時計を見ると、四時半は過ぎ、夕食の支度に遅れそうになった。
夫の吉村氏が舌癌になり、一旦治ったと言われて、改めて検査中に今度は膵臓癌がみつかる。
舌癌は手術しない治療法を選んだが、ひどい痛みに苦しむ。少し回復し体調も良くなってきたところにみつかった膵臓癌は周りの臓器も一部を取る12時間半の大手術になった。自宅療養に切り替えて看病を続ける。
最後は延命治療を望まず、自ら点滴の管や、ポートを外し家族だけに看取られて亡くなった。
夫婦ともに認められた作家で、夫は、治療中もペンをおかず約束の締め切りを守り、妻であっても看病をおいて出かけなくてはならない公用が待っていた。
私は読んでいて、とてもよくわかるとは言えない。わたしも一時癌を患ったが、舌癌や、膵臓癌に勝る苦痛を味わってはいない。
12時間に及ぶ手術の後も、痛み緩和ケアのおかげで翌日から歩き、家族の見舞も隔日でいいといった。そう出来る病気だったし看護体制も整っていた。
その後2度再発したが一人で入院して帰った。夫や子供が顔を見に来たが病状や経過については医師にくわしく聞いているし、痛みもあれば自分で耐えるものだと思った。退院後の治療は、車で行って帰ってきた。なかなか辛いものがあったが、出来るだけ周りに負担をかけたくなかった。退院後、娘が一ヶ月近くいて家事をこなしてくれて有り難かった。
津村さんは、看護した辛さによく耐えられたと思う。 吉村氏が亡くなった後、後悔に苛まれ仕事も手につかなかったとか。
闘病している本人は、辛過ぎて気持ちが乱れ、周りに当たることもわかる。しかし看護者は神の手を持たない。本人はそれもよくわかっている。奇跡もないとわかってはいるが何とかならないのか、耐えていけるのかと思う。そうしていつか少しずつ覚悟が出来るのだろう。もしかしたら考える力がなくなるくらい病が進んで楽になるのかもしれない。
まだ時間があったかもしれない時、死を覚悟して自分で最後を決めた勇気に驚き感嘆した。わたしにその勇気があるだろうか。
吉村氏は癌とわかった時、家族以外にはしらせるなといった。たぶんわたしにはわからない深い心情があったのだろう。そして「なぜ自分が」と日記に書かれたという。
わたしも、なぜ私が、よりによってと無性はらだたしかった。
そして同じように、わたしも家族と弟にだけ知らせるように、固く口止した。
友人や知り合いに留守を聞かれたら田舎に行った、長期で娘のところに行った、と言ってくれるように頼んだ。
癌と言われたとき、人生に負けた、残念だと思った。もし死に繋がっていたら、楽な治療を受け延命はやめようと覚悟した。
幸い進んだ医学で完治したが、吉村氏は放射線治療で舌癌がなおったあとて、更に膵臓癌がみつかった、その衝撃によく耐えられたとおもう。もし今わたしに別な癌が見つかったら絶望してしまうかもしれない。
わたしは、両親を次々になくした、看取った後の後悔もまだ続いていて重たい。
ただ、友人の、「瀬戸内寂聴さんは、身近なものをなくした時、ああしたらよかった、という後悔のない人はいないと言っていたよ」この一言で、誰も平等に訪れる残されたものの後悔や哀しみに思い当たった。
これが生まれた時平等に持っているという「愛別離苦」かと思った。
よく時が悲しみを薄れさせるなどというがそうではないと思う。
みんなそうなのだという生き物の悲しみが、自分も例外がなく訪れると考えると、表裏一体をなすように喜びもまた準備されているのではないか、と思うことで救われるように思う。喜びはすぐに忘れ哀しみだけに思い煩うことは、半分しか生きていないことにならないだろうか。私は嬉しいことが有るとこれがプラスでアレから引いておこうと思う(笑)
悲しい本を読んだ。
長く避けてきたこういう本に向き合えるようになったことでは、一歩前進した。