空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

「ぐるりのこと」  梨木香歩  新潮文庫

2014-05-25 | 読書

梨木さんの本は2冊目だが、話題になっていたのに読んでなかった。
ミステリの世界をちょっと歩いてみようと思ってから、文学作品から少し遠ざかっていた。
仕事を辞めた途端に、後を引かない話がいいと思うようになったのが原因かもしれない。仕事に逃げられなくなると、身軽な日常の方が健康上よろしいのではと思いついた。ストレスの源は仕事だと思っていたが、今になって思うとちょっとした逃げ場だったかもしれない。
あまりに本が溢れているので、退職後の時間の使い道に迷ったついでに、あまり知らないジャンルに踏み込んでみたらこれが面白過ぎた。

そして最近、何か足りない、情緒にいささか偏りがあると思い始めた。それが全部ミステリにどっぷり漬かり過ぎたので、幼い頃から馴染んできたものを手放しからではないかとふと思った。文学書のような区別の難しいミステリも多くてまだまだ卒業できそうになけれど。最近そんな気がしていた。

梨木さんの本を手にして、こういう文章が心を落ち着かせるのか、帰るところはこういう世界なのかもしれないと気がついた。
身の回りの話題から、世界を大く広げるようなエッセイ集だった。「ぐるり」と言う言葉は、「周り」ということに使われる。母の田舎では「田んぼのグルリの草刈りをしよう」「家のグルリをひと回り」などと普通に使う。

「グルリのこと」という題名の「グルリ」とは、「グリとグラ」に近い何かの名前なのかとぼんやり思っていた。わたしは何でも予備知識なしで取り掛かる欠点がある。

境界を行き来する
ドーバー海峡の崖からフランスの方に身を乗り出して見た時気づいた、「自分を開く」と言うことからつぎつぎに連想される事がらについて考える。

隠れていたい場所
 生垣の中と外、内と外からの眺めや中に住んで見たい思いがイスラムの女性の服装について考える。
イスラームの女性の被りものは、覆う部位や大きさ、また国によって様々な呼び名があるが、総称してヘジャーブという(略)イスラームに対する批判の中には、唯々諾々とヘジャーブを「纏わされている」女性たち自身に対するものもある。「隠れている」状態は、それを強制させられていることに対する同情とともに抑圧に対する自覚がなく、自覚があるなら卑怯であり、個として認められなくても当たり前、というような。
それから、そういう印象を受けるイスラームの問題や、われわれの受け取り方や、わかろうとする無理について考える。面白い。

風の巡る場所
観光客が向けるカメラの先にいる現地の人たちに対する思いや、旅人の自分や大地を見つめて、考えたことなど。

大地へ
少年犯罪について、教育者の態度、子を亡くした親の悲痛な心について。逆縁の不孝、冠婚葬祭の風習などについても。

目的に向かう
この分は実に「ぐるりのこと」なので面白い。車で信楽に出掛けたところ、回り道をしてしまって伊賀上野についたり、昔ながらの田舎の庭が、イングリッシュガーデンの始まりに似ていると思ったり、私も野草や花が好きなので、近代的な花もいいが、昔ながらの黄色いダリアや千日紅、ホウセンカなどが咲いている庭を見ると懐かしい。共感を覚えて嬉しくなった。

群れの境界から
映画「ラストサムライ」を見て思ったこと。葉隠れの思想、西郷隆盛の実像などの考察。
群れで生きることの精神的な(だからこそ人が命をかけるほどに重要な)意義は、それが与えてくれる安定感、所属感にあり、そしてそれは、儒教精神のよってさらに強固なものになる(その「強固」もうすでに崩壊に向かっている訳だけれど)この儒教精神も絶妙な遣りかたで(結果的に見れば。その時々で都合のいいように使われてきたことの堆積が宋見えるだけかも知れないけれど)為政者側に役立ってきた。
こういう物語や、現実につながる過去の歴史が思い当たる。

物語を
風切羽が事故でだめになったカラスに出会う、あんたは死ぬ、と言って聞かせた後、帰り道でカラスが民家の庭にいるのを見る。迷子のカラスがペットになった話があったなと思う。カラスと目が合って「そうだとりあえず、それでいこう、それしかない」と思い、そうだ、可能性がある限り生物は生きる努力をする。生き抜く算段をしなければ。
アイヌのおばあさんの処世術について。
ムラサキツユクサの白花を見つけたが、そこが住宅地になってしまって胸が痛んだこと。
本当にしたい仕事について、

物語を語りたい。
そこに人が存在する、その大地の由来を



ますます好きになった梨木さんという作家の物語を楽しみに読みたい。



今年咲いた庭のミニバラ
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「代官山コールドケース」 佐々木譲 文藝春秋

2014-05-25 | 読書


「警官の血」が面白かったので、この本を読むのをとても楽しみにしていた。
予約が多くて長く待ったがやっと昨日順番がまわってきた。

 私の中で「コールドケース」と言う言葉が先行していたが、それは前に見ていたアメリカのドラマが面白かったので、勝手に作品のイメージをつくりあげていた部分もある。
あのドラマでは、未解決事件を再調査するちょっと変人の女性刑事とスタッフが面白かった。毎回同じパターンのシーンが繰り返されるが、今の事件を解決するために過去の迷宮入りの事件を再調査する、時間を遡った当時の事件が起きたシーンと、同じ人物が年を経て現れるシーンでは過去と現在の人物が重なる、若い頃ああだった人が年をとってこうなったのかと、楽しみだった。
勿論意外な犯人が見つかったり、隠された悲劇が露わになることもあって毎回が面白く、さすがにヒットメーカーのブラッカイマー監督だと得心した。

 さて、日本版「代官山コールドケース」はあのドラマと比べても仕方が無い。映像の力というものがあるし、読書は読み手の理解力や想像力にかかる部分もある。

そんなことを思うとなんにも言えなくなるのでちょっと棚にあげて(笑)

17年前、代官山で若い女性が殺された。女性と付き合いがあったカメラマンを取り調べたが容疑は確証がなく一旦帰宅させた後、自殺されてしまった。 
容疑は濃厚と見られていたので、被疑者死亡で不起訴になり事件は一応解決していた。

川崎で一人暮らしの若い女性が殺されて、17年前の事件と重なる遺留品が見つかった。

連続殺人だとすると前の事件は勇み足ではなかったか。間違えば大きな不祥事になる。そこで隠密に特別捜査を受け持つ警視庁特命捜査対策室に、水戸部と朝香が任命される。出来る若手の水戸部と少し年上のこれもできる女性とのコンビが再調査を始める。

川崎の事件を調べる神奈川県警には、17年前の事件で捜査に当たった時田警部補がいた。かれも当時の捜査結果に満足していながった。
だが、お互いに所轄が違い表立って情報交換ができない立場にある。

神奈川署が先に解決してしまえば、17年前の事件は、遺族補償の問題まで発生する。十七年前は、あのオウム真理教の事件、国松長官の狙撃のあとだった。捜査員は大きな渦に巻き込まれていて人手もなかった、と言うのも今では言い訳になるほど時がたっている。

しかし、現代になって優秀な科捜研は、見つかった遺留品を当時より数倍も進んだ技術で解明している。

当時の代官山は、不動産の狙い目で、小さな木造アパートの並ぶ地区は出来るだけ早く整理され、現在の形に向けて早いスピードで大きく変貌していく過渡期だった。今では様変わりしてしまって、当時の様子は地図がたよりだ、しかし当時事件の関係者が溜まり場にしていたカフェバーは残っていた。

旧地図をコツコツ調べ、確実に真相に近づいていく。代官山事件捜査組。
また今の事件を捜査する、神奈川県警の進展の様子、時田の捜査状況が、交互に書かれて緊張感がある。

殺された女性たちと関わった男をDNA鑑定にかけてふるい落として行く、これも骨が折れるが、容疑者も確定し、再訊問で17年前の事件に近づいていく。
前の事件の被害者、夢破れた地方出身者、それにつけこんだ容疑者たち。

駒は揃っているが、容疑者の背景は事件以外は語られない。妻の存在や、仕事場位で背景はあまり必要ではなかったのか。
容疑者達は見るからになにか後ろ暗い。女性に持てる医師達は、軽い遊び用で女を手に入れ、深入りはしない割り切った付き合いだと言い切る。


代官山の犯人と、川崎に残っている手がかりの慰留物とはどうつながるのか。
聞き込みと、時田の記憶、警視庁の威信を任された優秀なコンビがPCを駆使し、関係資料を読みこなし、手がかりに沿って歩いて調べを入れる、さすがに優秀で抜擢されただけはある。

縺れた紐がほどかれる楽しみはあったが、縺れ方も緩く、期待したような盛り上がりもなかった。
時間の経過が17年、極端に深い心理描写などを省いた、ダイジェスト版に近い印象を受けた。


ハードカバーでページ数にしては重い、定価は税抜きで1850円 紙質が厚いためか、上質製本だからか分厚すぎる。少し待ってもやはり図書館で借りる。
珍しく机の前に座って読んだ。
少し期待はずれ。

予約数が多いので早く返すように言われた。出掛けるついでに持っていく。


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