空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

女三代の系譜

2014-05-26 | 日日是好日
母、祖母と私、みんな長女だ。私が子どもの頃、曾祖母も長寿で元気だった、四代の女を見てきたが、曾祖母は離れた家にいたので、顔形をかすかにしか覚えていない。それでも行くと季節のお寿司などを作ってくれ、よく働く人だったそうだ。

思うとみんなそっくり良く似た性格で、その上よく似た性格の夫を持っていた。私も。

父は一人っ子で祖父と夫は子沢山の末のほうで、おっとりした世間知らずだった。片や長女の三人は、なかなか元気で、農家の主婦になった祖母などは向こう見ずながら考え深く、祖父に先立って働いて山を増やした。でも子育ては旧弊だったのか、叔父たち7人を育てたが汗して手に入れた山などは子どもの代でみんな無くしてしまった。生きていたらさぞ無念だったろう。
祖父は気の優しいおとなしい人で、無口なので、馴染みにくかったかったが、鎌の研ぎ方や、藁草履のつくりかたなどを教えてくれた、男の中で私も男扱いだった(^^)。祖父は叔父の家で大切にされ長生きした。

男ばかり6人の中で母は女一人(黒一点?)で上から二番目だった。几帳面で綺麗好きで、私の部屋は本が山になっていたり、靴は靴箱に入れなかったり、何度言ってもあまり気にしないところが気に入らないと言っていた。
「あなたは気性がお父さん似だから苦労しないでしょう」と言っていたが、子どもが生まれてからは「苦労性は私に似てきたね」といった。褒めたのやら貶されたのやら、まぁいいかと聞き流したが、晩年は我が家で長く同居して亡くなった。私が仕事を始めたので、娘に家事一般を伝授してくれた。弟の嫁さんが、世間体もあるし家にい居てとほしいというのを、弟が年寄りは好きなところにいるほうがいいといった。幸い夫はなんとも思わないふうで、母は「北の国から」や「渡る世間は鬼ばかり」の大ファンで、始まるとそそくさと自室に入り、私は見ないので話し相手にもならず、映画の再放送や、パソコンや読書三昧、子どもたちはそれぞれ部屋で受験勉強風の何かをしていて、夫は世界情勢を新聞やテレビで見ては自己流の解説をして冷やかされたりしていた。

今でも、ご飯どき「中国はね」と言い出すと「その新聞読んだよ」「ニュースを見たよ」などと腰を折られている。

最近、猫の額ほどの庭で野菜を作り出した。農家の息子なのに手伝いもしなかったようで、ねぎや青しそを頼んでも虫に食われて満足にいただいたことが無い。ただ昨年は次々に新種の見たことの無いトマトを沢山収穫して大威張りだった。
今年はますます勢いに乗って、私が大切にしている「雪椿」や「ロウバイ」「銀木犀」「ネム」まで下枝を切り払って風通しを良くしたというが、なんか哀れな姿にしてしまった。
私はトマトと引き換えかと思いつつ心のうちで泣いている😂。昨年はスイカを作ると張り切って、こんなところでは無理というのに、ソフトボールくらいになったと喜んでいたが育たなかった。や~い無理だというのに、と思ったら今年は止めたらしい。代わりにニラが育っている、これでギョウザかと思いつつ、ニラは作りやすいわと私の独り言。

祖母や母、私と外見は全く違うのに、何か似たような苦労をしている。みんなで揃って話すことが出来たら「傾向と対策」も万全で気持ちが楽に暮らせるのではないかと思ってみる。
気丈だが人一倍子煩悩で優しかったのに、みんな居なくなって思い出だけになってしまった。さびしい。

  

今年のトマト と カタバミ(花が可愛らしいと茂らせている、いいのだろうか??)



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コメント (2)
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