空耳 soramimi

あの日どんな日 日記風時間旅行で misako

「草祭」   恒川光太郎   新潮社

2014-06-24 | 読書



子供の世界は、まだしっかり現実が根付いてはいない、自分の子どもの頃でも、今思うと夢中になって読んでいる本の中に入り込んで、うつらうつらと過ごしていた時期があった。
学校に行くようになって、新しい世界が時間の流れとともに進まなくてはならなくなり、時間割というものもできて、嫌でも毎日の日の傾きにしたがって生活しなければならなくなった。今思うとこういった日常生活の枠に入れられるまでは、まだ現実の中に、生まれる前の大きな宇宙の意識と同化していた時期があったのかもしれない。

そんな非現実というか異なった世界が書かれている。美奥(びおく)という町を離れて少し山のほうに行くと、不思議な生き物がいる世界があり、たまに訪ねて行くと、ふと知らない世界に迷い込んでしまうこともある。

そういうあいまいな不思議なところがあって、深い森の中の沼地には注連縄が張られた大きな石があり、湿った地面が広がっていて池の向こうに小屋もある。

町から下水道の溝に沿って歩いていくと、コンクリートで護岸工事がしてある。それに沿ってどんどん歩いていくと、途切れたところに上に上がる階段があり、そこから森に入っていく。



けものはら
六年生のとき、隣町と子供同志の戦争をする、友達の春と逃げていると夕方になってしまうが、下水道に沿って歩いていったので、知らない原っぱに行ってしまう。
ある日、「<けものはら>に入っただろう」と男が話しかけてくる。この間、下水路を歩いているのを見かけてな。
「あんなところで遊んでいると化け物に変わっちまうぞ」と男が言った。
中学生になって春がいなくなったと父親から電話があった。
もしやと「けものはら」に行ってみると、春は無くなったお母さんの亡骸のそばにいた。もう帰れないといった。何度か行って、あっているうちにだんだん景色が透明になってきたと言っていたが、そのうちとうとう消えてしまった。

屋根猩猩
お神楽囃子が遠く聞こえる夜に見知らぬ男の子と知り合いになった。
男の子は「夜になると屋根のうえを獅子舞が通り過ぎる、町を守っているのだ」といった。
17歳になった時、タカヒロという友達ができた。彼の住む屋根崎地区に行くと家々の屋根瓦の上に守り神の猩猩がおいてあった。
それから徐々にタカヒロが普通の友達でないのがわかってくる。

くさのゆめものがたり
これが美奥の始まりの物語。
男の子は植物が大好きだった。叔父は山歩きをして獣を狩り、薬草を取っていた。毒草のことも教えられたので、叔父で試して殺してしまう。
山で出会った僧のリンドウが春沢という里に連れて行って住まわせてくれた。
そこが賊に襲われた。山奥の家にいる賊達を見つけて毒で復讐する。
帰ってきて、リンドウの居た寺を覗くと少女がいて、みんなで逃げるのだといった。
しばらくして春沢の噂を聞いた。火事で春沢一帯は消失したという。
一年後行ってみた春沢は集落の跡はすっかりなくなっていた。こうしているうちに村は次第に森に還るのだろう。
ある日そこを訊ねた旅人はここはなんという所かと聞いた。
木の切り株にひとりの男がいて「美しい山奥」と答えたという。

天化の宿
 両親の戦争が激しくなったので外にでた。古いトロッコの線路が残っていたのでそれに沿って歩いていった。蝉しぐれの降る中、線路は緑深い森の中に入っていった。
そこで双子に出会う、「クトキの人?」それなら案内しても言いというので、双子の家に行く。
そこで「クトキ」は「苦解き」だと知る。
親方を相手に「苦解盤」をつかったゲームで、苦を解くという。「いったん始めたら終わりまでやらないと、何の意味も無い。苦しみは全て戻ってくる」という。
ゲームは一日一回、夢中になっていたがだんだん重苦しくなってくる。空いた時間は双子に付き合い、美しく澄んだ池で釣りをする。池のほとりの大石の隣に5体の地蔵尊が立っていた。
ゲームが終わると全てのこの世の苦から開放されるという。今まで5人が解放されたと双子が言った。
逃げることにした、追って来た双子は姿を失って風のようについてきた。
 またどこか天上で精霊の宿る盤がカラカラと回っているみたいでした。すべて御破算。そうではないでしょう、苦はもどってくるでしょうが、きっと残りの局はこれからです。
 町へ。 わたしは枯木立のレールの上を白い息を吐きながら走り続けました。


朝の朧町
夢から覚めると、長船さんのうちに居候をしていた。6年前に私の夫は小田原という人に殺された。長船さんは小屋でミニチュアの町を作っていたと妹が言った。
長船さんは時々そこにい居ないかのように眠ってしまう。起きると不思議なかげろう蜥蜴の話などをしてくれる。
長船さんは山をいくつか越えてその町に連れて行ってくれた。そこでは昔の小学校があったり、見たことのある人たちが歩いていた。

この町と長船さんが繋がったのは高校二年だった、カラスの落としていった碧い玉を手に取ったとき、外に出て歩いている道が広い野原に出た。そしてジオラマと同じ町ができた。ということだった。
二人でそこから帰って入院した、長船さんも病気だった。胸に入ったと思った玉が出てきたと言って私にくれた。
そして長浜さんはあの町に行ってしまった。私も玉が有るからいつでもいけるそうだ。私もその町に行き長浜さんは亡くなった。大風が吹いて町も無くなった。

朝の野原に霧がでる。
時折、その霧の中に町の幻がぼんやり現れる。
私は野原に椅子を出してその町を凝視する。
彼の町、私の町、記憶の町、夢の町、みな重なり合っている。
やがて幻はどんどん薄くなっていき、朝霧と一緒に消える。


美奥行きのトロッコ列車に乗ると玉は見る見るうちに小さくなって見えていた過去が遠ざかり、カラスが小さくなった玉をつかんで飛んでいった。





夢のような、懐かしいような面白い話だった。

昔、ブラッドベリの「何かが道をやって来る」を読んだ。あの時こういう話もつれてきたのかもしれないな、あると思えばあるかもしれない、そんな夢を見るかもしれない。短編だけれど連作になっている。
コメント
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