Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

岩石じいさん、逝く―追悼、新藤兼人

2012-06-02 00:02:47 | コラム
「―いいね、かなり、いい」
「へ?」
「いいよ、面白い」
「・・・ほんとうですか」
「よく出来ているよ。ちょっとこの、なんというのかな、品のない台詞が多過ぎるっていうのは感じたけど」
「(苦笑)」
「でもこれで、独特な空気感を作っている」

25歳のころだったと思う、受講料も払わずにシナリオ教室に「潜入」した。
「潜入」という割には図々しく自作を添削してもらったりしたのだが、そのときの講師が新藤兼人だった。

約13年前のことだが、この時点で既に80代後半だったのだから驚く。
家でのんびり碁を打っていてもよかったはずなのに、このひとは現役にこだわった。「一番絞りカス」になるまで、映画人であり続けた―というところが、最高に格好いい。


このころの自分は、シナリオで褒められたことがほとんどなかった。

荒井晴彦には「この程度でオレに持ってきたの?」、
松竹“Team Okuyama”の幹部には「受け手のことを考えていない」、
大映のプロデューサーには「これじゃあ映画にならん」、、、などなど、

専門学校で中途半端に評価されてきたものだから「自分、意外といけるかも?」などと勘違いしていて、
先輩たちからのストレートパンチは、それはそれは、そーとー堪えたのだった。

しかし自分、基本は「褒めて伸びる」タイプで。
あんまりクサされると立ち直れなくなる、岩石じいさんは、そんな自分の弱った精神を支えてくれたのである・・・って、なに、岩石じいさんって?

自分が抱いた、新藤兼人の偽らざる印象である。

顔、こええよ。
と、ずっと思っていた。

だからシナリオ教室に「潜入」するのも、それなりの勇気を必要とした。
映画屋のイメージとは「すぐに怒鳴る」であったから、なんだ小僧! って一喝されるかとビクビクしていた。

そこへきて、冒頭の優しいやりとりである。

あぁ岩石が喋っている。優しい感じの声で。

いや馬鹿にしているんじゃない、そのギャップにやられたのだ。
自分が女子であったら、この時点でスカートを脱いでいたことだろう。


70年以上のキャリアを誇る、存在自体が映画史のようなひとである。
きちんとした経歴などは佐藤忠男あたりが追悼文で、あるいは映画マニアがウィキペディアで展開してくれるだろう、
だから割愛するが、このひとを映画監督としてでなく、脚本家として評価するひとのほうが多いのかもしれない―ということについて、少し書いてみたい。

ネット上で知り合った年配の映画好きから、ある資料を送ってもらったことがある。
シナリオコンクールの予選通過者発表の記事であり、その通過者名をひとりひとりチェックして、たいへん驚いた。
井上ひさし、筒井康隆、藤本義一の名前があったのだから。

逸材が揃うこともあるのだなぁ・・・と呆けるような感動を覚えたが、
岩石じいさん―この際、敬意を込めて最後までこう記すことにする―が出品した国民映画脚本の公募には、若かりし黒澤も『静かなり』という作品を出品しており、そうしてこの作品が当選したのだった。
岩石じいさんの作品は次席にあたる佳作で、悔しかったのだろう、翌年、再び同公募に挑戦し『強風』という作品で当選を勝ち取った。

その数年前―演出の鬼として恐れられた溝口健二の撮影チームに、建築監督として参加。
溝口に自作を読んでもらった際、コテンパンにやられて自死まで考える。
ここからシナリオの学び直しが始まるのだが、おそらくこの経験があったからこそ、映画小僧に対して優しいことばを発したのだと思う。
「溝口さんはあんな風だったけれど、私は優しくいこう」って。

実際、教室でも撮影現場でも、岩石じいさんが怒鳴ったという話は聞いたことがない。
見た目だけでいったら、溝口より「はるかに」怖そう、、、なのに。


映画監督としては「インディーズの社会派」というイメージが強いが、脚本家としては「なんでも書ける職人」であった。
とくに京マチ子のエロスが炸裂する『偽れる盛装』(51)、川島雄三の才気が爆発する『しとやかな獣』(62)、鈴木清順のアナーキズムが開花する『けんかえれじい』(66)のシナリオは、読み物としても成立する完成度だった。

自分の映画を撮りつつ、他者の依頼に応えホンを仕上げていた―ということは、そーとーな速筆だったのだろう。
アタリハズレはあったかもしれないが、たとえハズレであったとしても「ホンではなく演出が悪かった」と評されるほど、受け手からも信頼されていたひとである。

訃報に触れた山田洋次は「仰ぎ見る先輩いなくなった」といったが、個人的には不思議なくらいに哀しみの感情が湧いてこない。
合掌とは書くが、哀悼の意を・・・という気にはなれない。

だって100歳だもの、
それまで現役を続けてきて、『一枚のハガキ』(2011)発表時に「これが最後の作品」と、自分でいっているのだもの、
完璧な最期じゃない、格好良くて羨ましいくらいに。


だから。

岩石じいさん、あっぱれ!! と、大先輩を葬ろうと思う。





…………………………………………

本館『「はったり」で、いこうぜ!!』

前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』

…………………………………………

明日のコラムは・・・

『スコセッシ、始動。』


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする