女好きとされる男でも、どんな女子だっていいというわけではない―というのに似ていて、
映画小僧を自称する自分だって、苦手とする映画ジャンルはある。(このたとえ、正しい?)
いわゆるロマコメ、ロマンティック・コメディという映画ジャンルを敬遠する傾向にあって、
なにがどう苦手なのかは明解に記せなかったりするのだが、阿呆みたいなこというと、その「観かた」が分からないのだった。
そういう自分でも苦もなく? 触れられるロマコメ系は貴重だと思うのだが、
その一本が89年の米国映画『恋人たちの予感』である。
ビリー・クリスタルとメグ・ライアンが共演、
友人関係だった男女が恋仲になるまでの十数年を描いている。
監督は『スタンド・バイ・ミー』(86)や『ミザリー』(90)を手がけたロブ・ライナーで、公開当時はハリウッドを牽引する中堅のひとりだった。(健在ではあるけれど、当時の勢いに比べたら現在は少し下降気味)
本作の巧さは台詞と省略―つまり脚本にあった。
96分で十数年を描くわけで、話がぽんぽん飛ぶ。にも関わらず、ダイジェストのようにならず「きっちり」と時間の経過を表現出来ている。
高校生だった自分は「さすがロブ・ライナーだなぁ!」と感心したものだが、脚本はロブではなく、ノーラ・エフロンによるものだった。
のちにロマコメ系のヒット作を連発することになる、気鋭の女子クリエイターである。
一昨日の夕刊社会面に、米映画界にまつわるふたつの訃報が「小さく」載っていた。
ひとりがエフロンで、もうひとりがジョージ・ハースト。
ジョージはウィリアム・ハーストの孫。
ウィリアム・ハーストは、オーソン・ウェルズによる怪作『市民ケーン』(41)のモデルとして知られる新聞王である。
映画のオールタイムベストテンを企画すると、必ず上位に位置する『市民ケーン』、
率直にいって「それほどの作品か?」なのだが、
ウェルズの演出力はそーとーなものなんだろうな、、、とは思う。
ジョージはこの映画のことを、どういう風に解釈していたのだろうか。生前、それについて話したことはあったのか。
訃報に触れて哀しみの感情は抱かなかったものの、映画史全体で捉えるとなかなかに感慨深いものがある。
哀しみというかショックだったのが、エフロンの訃報のほうだった。
まず亡くなったことよりも、71歳だったことに驚く。
勝手に、50代くらいかと思っていたから。
その旦那ニコラス・ビレッジも脚本家で、スコセッシ組として『グッドフェローズ』(90)や『カジノ』(95)を執筆している・・・広いようで狭いハリウッド相関図にハッとするが、
『恋人たちの予感』で才能を認められたエフロンは92年に監督デビューを果たし、
『めぐり逢えたら』(93)や『ユー・ガット・メール』(98)などのヒット作を生み出した。
遺作は2009年の『ジュリー&ジュリア』で、監督作は10本にも満たない。
じつをいうと『恋人たちの予感』と『ジュリー&ジュリア』以外は感心出来なかったのだが、
それでも訃報に触れると、このひとの映画をもっと観たかったなぁ、、、という思いを抱く。
このひとの映画であれば、ロマコメ系に対する苦手意識を克服出来るかもしれない―ちょっとだけ、ほんとうに、ほんのちょっとだけではあるものの、そんな風に思ったことがあったから。
ふたりに、合掌。
とりあえず『市民ケーン』と『恋人たちの予感』を、久し振りに観返そうかと。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『下半期マストの映画は、これだ』
映画小僧を自称する自分だって、苦手とする映画ジャンルはある。(このたとえ、正しい?)
いわゆるロマコメ、ロマンティック・コメディという映画ジャンルを敬遠する傾向にあって、
なにがどう苦手なのかは明解に記せなかったりするのだが、阿呆みたいなこというと、その「観かた」が分からないのだった。
そういう自分でも苦もなく? 触れられるロマコメ系は貴重だと思うのだが、
その一本が89年の米国映画『恋人たちの予感』である。
ビリー・クリスタルとメグ・ライアンが共演、
友人関係だった男女が恋仲になるまでの十数年を描いている。
監督は『スタンド・バイ・ミー』(86)や『ミザリー』(90)を手がけたロブ・ライナーで、公開当時はハリウッドを牽引する中堅のひとりだった。(健在ではあるけれど、当時の勢いに比べたら現在は少し下降気味)
本作の巧さは台詞と省略―つまり脚本にあった。
96分で十数年を描くわけで、話がぽんぽん飛ぶ。にも関わらず、ダイジェストのようにならず「きっちり」と時間の経過を表現出来ている。
高校生だった自分は「さすがロブ・ライナーだなぁ!」と感心したものだが、脚本はロブではなく、ノーラ・エフロンによるものだった。
のちにロマコメ系のヒット作を連発することになる、気鋭の女子クリエイターである。
一昨日の夕刊社会面に、米映画界にまつわるふたつの訃報が「小さく」載っていた。
ひとりがエフロンで、もうひとりがジョージ・ハースト。
ジョージはウィリアム・ハーストの孫。
ウィリアム・ハーストは、オーソン・ウェルズによる怪作『市民ケーン』(41)のモデルとして知られる新聞王である。
映画のオールタイムベストテンを企画すると、必ず上位に位置する『市民ケーン』、
率直にいって「それほどの作品か?」なのだが、
ウェルズの演出力はそーとーなものなんだろうな、、、とは思う。
ジョージはこの映画のことを、どういう風に解釈していたのだろうか。生前、それについて話したことはあったのか。
訃報に触れて哀しみの感情は抱かなかったものの、映画史全体で捉えるとなかなかに感慨深いものがある。
哀しみというかショックだったのが、エフロンの訃報のほうだった。
まず亡くなったことよりも、71歳だったことに驚く。
勝手に、50代くらいかと思っていたから。
その旦那ニコラス・ビレッジも脚本家で、スコセッシ組として『グッドフェローズ』(90)や『カジノ』(95)を執筆している・・・広いようで狭いハリウッド相関図にハッとするが、
『恋人たちの予感』で才能を認められたエフロンは92年に監督デビューを果たし、
『めぐり逢えたら』(93)や『ユー・ガット・メール』(98)などのヒット作を生み出した。
遺作は2009年の『ジュリー&ジュリア』で、監督作は10本にも満たない。
じつをいうと『恋人たちの予感』と『ジュリー&ジュリア』以外は感心出来なかったのだが、
それでも訃報に触れると、このひとの映画をもっと観たかったなぁ、、、という思いを抱く。
このひとの映画であれば、ロマコメ系に対する苦手意識を克服出来るかもしれない―ちょっとだけ、ほんとうに、ほんのちょっとだけではあるものの、そんな風に思ったことがあったから。
ふたりに、合掌。
とりあえず『市民ケーン』と『恋人たちの予感』を、久し振りに観返そうかと。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
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明日のコラムは・・・
『下半期マストの映画は、これだ』