やっと。
やっと、、、である。
やっとこさ、動き出した。
動き出すまでが問題で、それ以降はスムーズにコトが進むことが多いから、もう大丈夫なのだろう。
5年以上も前から「来年、完成」だの「こんどのカンヌで初披露される」だの周囲にいっていたのだが、
ぜんぜん動き出さないものだから、嘘つき呼ばわりされてしまった。
スコセッシのためなら、嘘つきにでもペテン師にでもなってやろうじゃないの。
米映画界の巨匠、念願の企画『沈黙』(原作・遠藤周作)が来年に全米公開されることが正式に決定した。
「久し振りに独立系で、小規模に」といっているから、全米といってもニューヨークを中心に数館の限定公開、初披露はカンヌとかベネチアになるのではないか、、、と予想。
原作は日本のものだから、あるいは全米よりも早く公開されるかもしれない。
当然、スコセッシもやってくるだろう。
ドキがムネムネである。
公開日まで、安眠がやってこないかもしれない。
そのくらい、期待しているのだ。
念願の企画というものは往々にして、気迫ばかりが全面に出てしまって中身が伴わなくなるもの―といったのは、確か甘糟りり子だったか。
うん、いっていることは分かる。
誰の何、、、とまではいわないが、そういうの、沢山触れてきたし。
しかしいっぽうで、そういう予想を「いい意味で」裏切る傑作も、沢山生まれてきたわけで。
いまは「この例」に入るような作品に仕上がるよう、町田からニューヨークに向かって祈りを捧げるのみである。
待っているあいだに、『沈黙』を何度読んだか覚えていない。
そーとー読み込んでおり、繰り返し読んだ回数のベストは漱石の『それから』、次いで中島敦の『山月記』だったのだが、現時点で『山月記』を超えてしまった。
どうしてくれるんだ、って話である。
映画制作に厄介な点があるとすれば、それはもう、金を要するということに尽きる。
ひとつの才能があったとしても、(ある程度の)金がなければ始まらない。
「映画やっているひとより、やってないひとのほうが、金を持っていたりするからね」と泉谷しげるがいつもの調子で? いったことがあるが、まさにそのとおりで、だからイマヘイだって岩石じいさんだってスコセッシだって苦労をしている。
商人としての才能まで持っていたスピルバーグは例外で、撮りたいものを撮るためには、いろんな条件をクリアしなければならなかったりする。だから『沈黙』も、始動に時間を要したというわけ。
それでなくとも時が過ぎるのは早いが、
もう2012年はなにも起こらなくてもいいと思っている。
さっさと過ぎて、早く13年にならないかなぁと思っている。
少なくとも公開時、10回は観るつもり。
初日、たとえそこが入れ替え制の劇場であったとしても、最初に3枚くらいチケットを購入し、そのまま居続ける気である。
どんな批評家よりも真摯に対峙し、きっちりと把握し、愛情ではなく愛憎を込めて『沈黙』を論じる覚悟が出来ている。
はっきりいえば、『シャッターアイランド』(2009)も『ヒューゴ』(2011)も、オスカーを取った『ディパーテッド』(2006)でさえも、自分は満足していない。
スコセッシ自身だって、じつはそうなんじゃないか。
スコセッシは、だいたい10年に1度、とんでもない怪物のような映画を生み出す。
70年代は『タクシードライバー』(76)、80年代は『レイジング・ブル』(80)、90年代は『グッドフェローズ』(90)・・・という具合に。
そろそろだもんね、スコ爺?
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『ハラチって、なにかね』
やっと、、、である。
やっとこさ、動き出した。
動き出すまでが問題で、それ以降はスムーズにコトが進むことが多いから、もう大丈夫なのだろう。
5年以上も前から「来年、完成」だの「こんどのカンヌで初披露される」だの周囲にいっていたのだが、
ぜんぜん動き出さないものだから、嘘つき呼ばわりされてしまった。
スコセッシのためなら、嘘つきにでもペテン師にでもなってやろうじゃないの。
米映画界の巨匠、念願の企画『沈黙』(原作・遠藤周作)が来年に全米公開されることが正式に決定した。
「久し振りに独立系で、小規模に」といっているから、全米といってもニューヨークを中心に数館の限定公開、初披露はカンヌとかベネチアになるのではないか、、、と予想。
原作は日本のものだから、あるいは全米よりも早く公開されるかもしれない。
当然、スコセッシもやってくるだろう。
ドキがムネムネである。
公開日まで、安眠がやってこないかもしれない。
そのくらい、期待しているのだ。
念願の企画というものは往々にして、気迫ばかりが全面に出てしまって中身が伴わなくなるもの―といったのは、確か甘糟りり子だったか。
うん、いっていることは分かる。
誰の何、、、とまではいわないが、そういうの、沢山触れてきたし。
しかしいっぽうで、そういう予想を「いい意味で」裏切る傑作も、沢山生まれてきたわけで。
いまは「この例」に入るような作品に仕上がるよう、町田からニューヨークに向かって祈りを捧げるのみである。
待っているあいだに、『沈黙』を何度読んだか覚えていない。
そーとー読み込んでおり、繰り返し読んだ回数のベストは漱石の『それから』、次いで中島敦の『山月記』だったのだが、現時点で『山月記』を超えてしまった。
どうしてくれるんだ、って話である。
映画制作に厄介な点があるとすれば、それはもう、金を要するということに尽きる。
ひとつの才能があったとしても、(ある程度の)金がなければ始まらない。
「映画やっているひとより、やってないひとのほうが、金を持っていたりするからね」と泉谷しげるがいつもの調子で? いったことがあるが、まさにそのとおりで、だからイマヘイだって岩石じいさんだってスコセッシだって苦労をしている。
商人としての才能まで持っていたスピルバーグは例外で、撮りたいものを撮るためには、いろんな条件をクリアしなければならなかったりする。だから『沈黙』も、始動に時間を要したというわけ。
それでなくとも時が過ぎるのは早いが、
もう2012年はなにも起こらなくてもいいと思っている。
さっさと過ぎて、早く13年にならないかなぁと思っている。
少なくとも公開時、10回は観るつもり。
初日、たとえそこが入れ替え制の劇場であったとしても、最初に3枚くらいチケットを購入し、そのまま居続ける気である。
どんな批評家よりも真摯に対峙し、きっちりと把握し、愛情ではなく愛憎を込めて『沈黙』を論じる覚悟が出来ている。
はっきりいえば、『シャッターアイランド』(2009)も『ヒューゴ』(2011)も、オスカーを取った『ディパーテッド』(2006)でさえも、自分は満足していない。
スコセッシ自身だって、じつはそうなんじゃないか。
スコセッシは、だいたい10年に1度、とんでもない怪物のような映画を生み出す。
70年代は『タクシードライバー』(76)、80年代は『レイジング・ブル』(80)、90年代は『グッドフェローズ』(90)・・・という具合に。
そろそろだもんね、スコ爺?
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