「銃を使ったことがあるか?」
「―小さいころ、サバイバルゲームが好きだったけど」
「・・・これは、ホンモノ(の銃)だ」
―映画『ダイハード』(88)より
サバイバルゲームにはまったことはない。
ましてや、ホンモノの銃を撃ったことはない。
だからもちろん、銃に触れたこともない。
そういうものと無縁の人生のほうが長生き出来そうだし、
撃たれた痛みは「ボウリングの玉を落とされた感じ」だそうだから、経験したくもない。
ない・ない・ない、づくしだが、それでも銃に対する憧れといったらいいのか、とくに男子はそういうものを抱きがちだろう。
男子だけではない、中森明菜は
♪ 手でピストル真似て、涙をのむ ♪
と、『Fin』で歌っている。
いや、だからそれは、いろいろなものの比喩だし!!
まぁいいや。
そんなわけで、銃の話。
ナイフも「一刺し」で相手を絶命させることが出来るが、そうするためには相手と接触しなければならない。
銃の強みは、ある程度の距離が生じても相手を絶命させられること、、、それに尽きるだろう。
銃は『用心棒』(61)のような時代劇にも登場、三十郎は「それでも怯まなかった」が、ふつうのひとであれば両手を上げ命乞いするだろう。
銃は、まほう。
そんなものがない世の中のほうがいいに決まっているが、銃を持つ悪と対峙する場合、正義のほうだって銃を持たざるを得ない。
銃VS、銃。
今宵は、その構図が印象的な映画10傑を挙げてみよう。
(1)『フェイス/オフ』(97)
俺があいつで、あいつが俺で―三つ巴どころではない、教会のシーン。
白い鳩も、ちゃんと・・・というか、強引に登場しているよ。
※日本語バージョンがあったので
(2)『ソナチネ』(93)
「おい高橋!」
エレベーターという密室で唐突に始まる、至近距離の銃撃戦。
偶然乗り合わせら、もう不運としかいいようがない。
(3)『レザボア・ドッグス』(92)
いろんな構図が出てくるが、トップ画像の、ミスター・ホワイトとミスター・ピンクの対峙がベストかな。
それを遠くから眺めているミスター・ブロンド、、、という流れも完璧。
(4)『ワイルドバンチ』(69)
終わりが見えない地獄絵図のような銃撃戦。
でも「死のダンス」と形容されているように、なぜか美しい―そこに、監督サム・ペキンパーのこだわりがある。
(5)『プライベート・ライアン』(98)
終わりが見えないという点では『ワイルドバンチ』と同じだが、ここには美しさはない。
あるのは、痛みと恐怖。
CGであることが分かっているのに、観ているほうまで痛みを感じる。
(実際に戦場で戦ってきた)オリバー・ストーンが慄いたというのだから、「CGの力」とスピルバーグの演出は、ほんとうにすごい。
(6)『アンタッチャブル』(87)
階段と乳母車、撃つものと撃たれるもの、走るもの…映像の快楽、ここに極まれり。
(7)『マトリックス』(99)
薬莢がバラバラと落ちていく―ここに気持ちよさを覚える男子は多い。
だからこの映画は、内容が分からなくても支持率が高い。
というか監督自身が、この物語の内容を分かっていないのかもしれないし・・・と、ちょっとだけ思うのであった。
(8)『ブルースチール』(90)
新人の女警官が、震えながら銃をぶっ放す。
(当時)新人監督だったキャスリーン・ビグローの演出意図だろうか、雰囲気や描写に「西部劇要素」が濃厚で、そのへんが面白い。
(9)『ヒート』(95)
十数分にも及ぶ銃撃戦の迫力―物量でいったら、この映画がダントツだろう。
(10)『許されざる者』(92)
銃の扱いに慣れているはずなのに、ひとひとり殺すことは「じつは難しい」。
『羅生門』(50)は、ある意味で「刀を使っても、ひとを殺めることは難しい」と伝えた作品といえるが、
それを銃に置き換えたのが本作である―と結ぶことも出来るのだと思う。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『自分VS、自分』
「―小さいころ、サバイバルゲームが好きだったけど」
「・・・これは、ホンモノ(の銃)だ」
―映画『ダイハード』(88)より
サバイバルゲームにはまったことはない。
ましてや、ホンモノの銃を撃ったことはない。
だからもちろん、銃に触れたこともない。
そういうものと無縁の人生のほうが長生き出来そうだし、
撃たれた痛みは「ボウリングの玉を落とされた感じ」だそうだから、経験したくもない。
ない・ない・ない、づくしだが、それでも銃に対する憧れといったらいいのか、とくに男子はそういうものを抱きがちだろう。
男子だけではない、中森明菜は
♪ 手でピストル真似て、涙をのむ ♪
と、『Fin』で歌っている。
いや、だからそれは、いろいろなものの比喩だし!!
まぁいいや。
そんなわけで、銃の話。
ナイフも「一刺し」で相手を絶命させることが出来るが、そうするためには相手と接触しなければならない。
銃の強みは、ある程度の距離が生じても相手を絶命させられること、、、それに尽きるだろう。
銃は『用心棒』(61)のような時代劇にも登場、三十郎は「それでも怯まなかった」が、ふつうのひとであれば両手を上げ命乞いするだろう。
銃は、まほう。
そんなものがない世の中のほうがいいに決まっているが、銃を持つ悪と対峙する場合、正義のほうだって銃を持たざるを得ない。
銃VS、銃。
今宵は、その構図が印象的な映画10傑を挙げてみよう。
(1)『フェイス/オフ』(97)
俺があいつで、あいつが俺で―三つ巴どころではない、教会のシーン。
白い鳩も、ちゃんと・・・というか、強引に登場しているよ。
※日本語バージョンがあったので
(2)『ソナチネ』(93)
「おい高橋!」
エレベーターという密室で唐突に始まる、至近距離の銃撃戦。
偶然乗り合わせら、もう不運としかいいようがない。
(3)『レザボア・ドッグス』(92)
いろんな構図が出てくるが、トップ画像の、ミスター・ホワイトとミスター・ピンクの対峙がベストかな。
それを遠くから眺めているミスター・ブロンド、、、という流れも完璧。
(4)『ワイルドバンチ』(69)
終わりが見えない地獄絵図のような銃撃戦。
でも「死のダンス」と形容されているように、なぜか美しい―そこに、監督サム・ペキンパーのこだわりがある。
(5)『プライベート・ライアン』(98)
終わりが見えないという点では『ワイルドバンチ』と同じだが、ここには美しさはない。
あるのは、痛みと恐怖。
CGであることが分かっているのに、観ているほうまで痛みを感じる。
(実際に戦場で戦ってきた)オリバー・ストーンが慄いたというのだから、「CGの力」とスピルバーグの演出は、ほんとうにすごい。
(6)『アンタッチャブル』(87)
階段と乳母車、撃つものと撃たれるもの、走るもの…映像の快楽、ここに極まれり。
(7)『マトリックス』(99)
薬莢がバラバラと落ちていく―ここに気持ちよさを覚える男子は多い。
だからこの映画は、内容が分からなくても支持率が高い。
というか監督自身が、この物語の内容を分かっていないのかもしれないし・・・と、ちょっとだけ思うのであった。
(8)『ブルースチール』(90)
新人の女警官が、震えながら銃をぶっ放す。
(当時)新人監督だったキャスリーン・ビグローの演出意図だろうか、雰囲気や描写に「西部劇要素」が濃厚で、そのへんが面白い。
(9)『ヒート』(95)
十数分にも及ぶ銃撃戦の迫力―物量でいったら、この映画がダントツだろう。
(10)『許されざる者』(92)
銃の扱いに慣れているはずなのに、ひとひとり殺すことは「じつは難しい」。
『羅生門』(50)は、ある意味で「刀を使っても、ひとを殺めることは難しい」と伝えた作品といえるが、
それを銃に置き換えたのが本作である―と結ぶことも出来るのだと思う。
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