自分の住んでいる区域のゴミの回収は、燃えるゴミが月・木の週2回、瓶・缶が土曜の週1回。
燃えるゴミは独り暮らし「らしい?」量で大したことないが、瓶・缶が異様に多く、同じ棟の奥さんからは「アル中?」と突っ込まれることもしばしばである。
まぁ、誤りではない。
花見や壮行会など呑む機会の多い季節だが、そこでしこたま呑んでいるにも関わらず、家でもきっちり呑んでいる。
その結果、ゴミ捨て場に捨てる瓶・缶の量が、ほかのどの世帯よりも多いんだ。この棟における唯一の独り暮らしなのに。
収入のある原稿執筆においても呑んでいる。
アルコール入れたほうが「いいものが書ける」と信じているところがあって、これはもう酔拳の世界だろう。
何度も書いているが、基本はビール党。
銘柄に対するこだわりはないが、呑みかたに対してはひとつだけある。
部屋で呑むときはもちろん、外で呑むときもグラスに注ぎたいのだ。
缶のまま呑むと、美味さは半減してしまう。
ときどき「やっぱり缶だよねぇ」とかいうヤツが居るが、なにいってんだコイツは!? と本気で思う。
ただ、グラス派による「缶のままだと、アルミっぽい味がして…」という主張にもピンとこなかったりする。
それほど繊細な味覚を持ち合わせていないので、アルミ臭どうこうは気にならない。
実際、缶コーヒーはそのまんまで味わっているわけだし。
雰囲気、単に雰囲気の問題なんだな。
瓶は雰囲気あるんじゃね? という意見がある。
まぁ缶よりは、ある。
米国映画などで見る、瓶による乾杯。
その気楽さ―日常と地続きのような感じ―は、たしかに雰囲気抜群である。
トップ画像、そしてこの動画は、その最たる例か。
『ショーシャンクの空に』(94)より、屋上で瓶ビールを呑むシーン。
このシーンのよさは、「彼らにビールを与えてくれ」と要求したティム・ロビンスが「自分は、いいよ」といって呑まないところ。
うーん、美味そう。
美味そうだし、このシーンは瓶だからこそ、、、というのは分かる。
分かるが、それでも「グラスに注げば、もっと美味なのになぁ…」なんて思ったり。
というわけで。
自分の家には、じつに沢山のグラスがある。
世界のビールを届けてくれる頒布会に申し込んでいたからね、その特典が世界のビールグラスで、溜まりに溜まって50は超えている。
それだけあるのに使っているのは2~3だが、そういうお気に入りグラスを洗う「ときも酔っている」ため、しょっちゅう割ってしまう。
あぁ割っちゃった~、、、と、ヘラヘラの酔いどれ顔で破片を始末する。
洗ったら寝よう―そう思っていたのに、あすからどれで呑もうかなとグラス選びが始まり、これだと決めると「注ぎ心地」「注ぎ具合」はどうかなと、1杯試したくなる。
で、さらに酔う。
結果、土曜のゴミ処分の日に山盛りの空き缶を抱えることになると。
酔いどれ天使、ここに誕生。
志村喬のように他者を想うこころは育っていないが、「天使な資格?」だけは持っていると自負する、単なる泥酔者なのだった。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『シネマしりとり「薀蓄篇」(71)』
燃えるゴミは独り暮らし「らしい?」量で大したことないが、瓶・缶が異様に多く、同じ棟の奥さんからは「アル中?」と突っ込まれることもしばしばである。
まぁ、誤りではない。
花見や壮行会など呑む機会の多い季節だが、そこでしこたま呑んでいるにも関わらず、家でもきっちり呑んでいる。
その結果、ゴミ捨て場に捨てる瓶・缶の量が、ほかのどの世帯よりも多いんだ。この棟における唯一の独り暮らしなのに。
収入のある原稿執筆においても呑んでいる。
アルコール入れたほうが「いいものが書ける」と信じているところがあって、これはもう酔拳の世界だろう。
何度も書いているが、基本はビール党。
銘柄に対するこだわりはないが、呑みかたに対してはひとつだけある。
部屋で呑むときはもちろん、外で呑むときもグラスに注ぎたいのだ。
缶のまま呑むと、美味さは半減してしまう。
ときどき「やっぱり缶だよねぇ」とかいうヤツが居るが、なにいってんだコイツは!? と本気で思う。
ただ、グラス派による「缶のままだと、アルミっぽい味がして…」という主張にもピンとこなかったりする。
それほど繊細な味覚を持ち合わせていないので、アルミ臭どうこうは気にならない。
実際、缶コーヒーはそのまんまで味わっているわけだし。
雰囲気、単に雰囲気の問題なんだな。
瓶は雰囲気あるんじゃね? という意見がある。
まぁ缶よりは、ある。
米国映画などで見る、瓶による乾杯。
その気楽さ―日常と地続きのような感じ―は、たしかに雰囲気抜群である。
トップ画像、そしてこの動画は、その最たる例か。
『ショーシャンクの空に』(94)より、屋上で瓶ビールを呑むシーン。
このシーンのよさは、「彼らにビールを与えてくれ」と要求したティム・ロビンスが「自分は、いいよ」といって呑まないところ。
うーん、美味そう。
美味そうだし、このシーンは瓶だからこそ、、、というのは分かる。
分かるが、それでも「グラスに注げば、もっと美味なのになぁ…」なんて思ったり。
というわけで。
自分の家には、じつに沢山のグラスがある。
世界のビールを届けてくれる頒布会に申し込んでいたからね、その特典が世界のビールグラスで、溜まりに溜まって50は超えている。
それだけあるのに使っているのは2~3だが、そういうお気に入りグラスを洗う「ときも酔っている」ため、しょっちゅう割ってしまう。
あぁ割っちゃった~、、、と、ヘラヘラの酔いどれ顔で破片を始末する。
洗ったら寝よう―そう思っていたのに、あすからどれで呑もうかなとグラス選びが始まり、これだと決めると「注ぎ心地」「注ぎ具合」はどうかなと、1杯試したくなる。
で、さらに酔う。
結果、土曜のゴミ処分の日に山盛りの空き缶を抱えることになると。
酔いどれ天使、ここに誕生。
志村喬のように他者を想うこころは育っていないが、「天使な資格?」だけは持っていると自負する、単なる泥酔者なのだった。
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