Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

黄金週間特別企画(3)ひとりぼっちの、よる

2014-04-27 08:27:51 | コラム
♪ ひとり上手とよばないで こころだけ連れてゆかないで
あたしを置いてゆかないで ひとりが好きなわけじゃないのよ ♪
(中島みゆき、『ひとり上手』)


ひとりの空間ではなく、その他大勢が存在する空間でこそ、ほんとうの孤独を実感することが出来る―なんてエラソーに書いてはみたけれど、自分はほんとうの孤独を経験したことがあるかな、、、などと考えてみる。

あるかもしれないし、ないかもしれない。

あるような気がするけれど、ないような気もする。

と、どっちつかずの答えかたしか出来ないのは、きょうの10傑を並べてみたとき、彼らのような境遇・心境に自分が置かれたことがないから。

孤独の実感って、意外と難しい。

その境遇に酔いまくっているだけだとしたら、絶望とは無縁な気がするし。
孤独と絶望ってイコールだと思うから、酔っている時点でほんとうの孤独とはいえないのではないか。

そう、孤独とは境遇というよりも心境、こころの状態を指す。
ロンリーウルフといえば聞こえはいいが、誰にも理解されないことからくる絶望はなかなかのものだろう。


酔えるだけマシ、君たちはこの孤独に耐えられるか―と、10本の映画は我々に語りかけてくるのだ。


(1)『ジョニーは戦場へ行った』(71…トップ画像)

戦争から帰還したら、喋ることが出来なくなっていた。
それどころか腕も脚もなく、かろうじて「目、のようなもの」は機能しているみたいだが、自分が単なる肉片になってしまったことに気づく。

SOSを送り続けるジョニーの、絶望の深さ。

(2)『タクシードライバー』(76)

トラビスは、はっきりと病んでいる。
だがそのことに気づかず、周囲こそ病んでいるのだと捉えている。

周囲が病んでいることは正解だが、
他者とコミュニケーションを取ることが出来ないと、自分自身の病には無自覚になってしまうのだ。

(3)『マン・オン・ザ・ムーン』(99)

誰かの理解を得られたい―ほとんどの表現者が願っていること。
そう捉えれば、主人公アンディ・カウフマンの壮絶が分かる。

誰にも理解されない笑いを描き続け、散っていったコメディアン・カウフマンの物語。

(4)『カノン』(98)

「ちんぽ」を自称するダメ親父の、生きるか死ぬかの物語。

開き直り、意地を張って生きてきたジジイの号泣に「もらい号泣」したひと、沢山居るんじゃないかな。

(5)『市民ケーン』(41)

映画史の古典。

金でも孤独が癒されることはなかったと映画は語るが、主人公と監督オーソン・ウェルズをダブらせる映画小僧多し。

(6)『告発』(95)

アルカトラズ刑務所の独房のなかで人生をあきらめ、友達だけを欲した男の物語。




「童貞を捨てたい」と願う主人公に弁護士は娼婦を紹介するが、
その娼婦を演じたのがケビン・ベーコンの奥さん、キーラ・セジウィックだったというキャスティングがうれしい。

(7)『太陽を盗んだ男』(79)

原子爆弾を作るにしても、仲間を募ればいい。
でも男は、たったひとりで原子力発電所に忍び込み、プルトニウムを奪い、原子爆弾を作った。作り切った。

しかし。
作ってはみたものの、それを使ってなにをすればいいのか分からない―このとき男は、自分が孤独であることを実感するのだ。

(8)『エレファント・マン』(80)

象人間と呼ばれた男の数奇な人生。

寄ってくるものは多くても、触れてくるものは「ひとりも」居ないという絶望。

(9)『十九歳の地図』(79)

この10傑のなかで、いちばん感情移入し易いキャラクターかもしれない。

感受性の強い青春期は、孤独感や絶望を抱きがち、、、だからね。

(10)『ゼロ・グラビティ』(2013)

最新マシンに囲まれてはいるけれど、宇宙空間でたったひとり―。

まだ、太平洋ひとりぼっちのほうがマシだと思う。

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明日のコラムは・・・

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コメント (2)
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