~追悼、蟹江敬三~
一昨日は友人、、、というより同志との呑み会だった。
十数年ぶりの再会。
十数年ぶりだから「ごぶさた!」から入ったが、次のことばは「蟹江さん亡くなったねぇ」だった。
「なんだろうね、このタイミングは」
「だよねぇ」
素晴らしい俳優だが、それほど大きな存在だったのか。
黒澤やスコセッシのように?
少なくとも、その日に集まったものたちのあいだでは、とてもとても大きな存在だった。
呑み会メンバーの同志とは、「元」新聞奨学生の面々。
配達や集金をこなしながら学校に行った日々―彼ら彼女らにとってのバイブルが『十九歳の地図』(79)という映画であり、蟹江敬三はこの映画に出演しているのだ。
中上健次の小説はいくつも映画化されているが、どれも力作ではあるものの、原作に勝っているのは『十九歳の地図』だけだと思う。
そう、この映画だけは中上文学を超えている。
青春の鬱屈を究極のリアリズムで描いている。
リアリズムって、なにかね。
簡単にいえば当事者や経験者が「それ、あるある!」と頷ける場面や心理が描かれていること。
『十九歳の地図』は、そんな「あるある!」でいっぱいだ。
雨の日、配達前の準備として「黙々と」新聞にチラシを折り込む面々。
誰かが『あめふり』を歌いだし、ひとりがそれにつづき、やがては大合唱となるシーンがあった。
♪ あめあめ ふれふれ かあさんが じゃのめで おむかい うれしいな
ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン ♪
おぉ、このリアリズム!!
いや『あめふり』を合唱した想い出などない。
ないが、雨の日の配達を想像してヤケクソになっていく彼ら・彼女らの心理は、まさに「あるある! こんな感じ!!」なのである。
鬱屈は青春だけでない、老いも若きも「人生に」鬱屈している。
そんな「おじさん配達員」を演じていたのが、蟹江さんだった。
※予告編
この映画に出演した「縁」だろうか、蟹江さんは奨学生制度を説明する冊子のインタビューに答え、
「若いときの苦労は、若いうちはその価値が分からない。分からなくても、そのままつづけてくれ。きっと分かる日が来るから。もし君が、いまの俺の年齢を越しても分からないというのであれば、そのときは俺に会いに来てくれ。きちんと謝るから」
という、たいへん格好いいことばを残している。
「そういうものかな」―17歳の自分はそう思って、奨学生制度に応募した。
そして。
にっかつの学生だったころ、撮影所で蟹江さんを見た。
自分はドラマの主人公同様、19歳になっていた。
逆算すると、このときの蟹江さんは48歳である。
「―『十九歳の地図』を観ました。いま自分、奨学生をやっていて、しかも19歳なんです」
「(笑)そう、奨学生か。どう、厳しい?」
「・・・まぁ厳しいといえば厳しいですけど、楽しいといえば、」
「楽しい?」
「はい」
「じゃあ、あの映画の吉岡くんよりは恵まれているんだね」
「そうかもしれません」
「がんばれよ」
格好いいなぁ!!
この日以来、蟹江敬三は好きな俳優でありつづけた。
『天使のはらわた 赤い教室』(79)で村木を演じようが、『スケバン刑事2』(85~86)でエージェントを演じようが、『あまちゃん』(2013)で祖父を演じようが、いつまでも鬱屈したダメジジイという印象のままだった。
ジメジメしていて、いつもうしろ向きで、なにかといえば社会や周りの所為にして。
怨念や鬱屈を溜めこみ、どうせ俺なんか・・・と、いじける。
プライベートがその印象であったら失礼な話だが、俳優としては褒めことばとして通用するだろう、自分にとって蟹江敬三という俳優はそんなひとだった。
一昨日の、呑み会での話。
「ここ最近、奨学生を見かけないよね」
「うん、自転車配達なんて居ないし、カブに乗っているのもオッサンばかり」
「あの映画を分かってくれる若い子が少なくなっている、、、ということかね」
「そうなのかなぁ・・・」
『十九歳の地図』に感じ入る少年少女は希少になったかもしれないが、
少なくとも蟹江さんは愛された俳優だ、この映画の支持率に無関係に、多くのものが合掌することだろう。
蟹江敬三、14年3月30日死去。
享年69歳。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『怒れる牡牛の物語』
一昨日は友人、、、というより同志との呑み会だった。
十数年ぶりの再会。
十数年ぶりだから「ごぶさた!」から入ったが、次のことばは「蟹江さん亡くなったねぇ」だった。
「なんだろうね、このタイミングは」
「だよねぇ」
素晴らしい俳優だが、それほど大きな存在だったのか。
黒澤やスコセッシのように?
少なくとも、その日に集まったものたちのあいだでは、とてもとても大きな存在だった。
呑み会メンバーの同志とは、「元」新聞奨学生の面々。
配達や集金をこなしながら学校に行った日々―彼ら彼女らにとってのバイブルが『十九歳の地図』(79)という映画であり、蟹江敬三はこの映画に出演しているのだ。
中上健次の小説はいくつも映画化されているが、どれも力作ではあるものの、原作に勝っているのは『十九歳の地図』だけだと思う。
そう、この映画だけは中上文学を超えている。
青春の鬱屈を究極のリアリズムで描いている。
リアリズムって、なにかね。
簡単にいえば当事者や経験者が「それ、あるある!」と頷ける場面や心理が描かれていること。
『十九歳の地図』は、そんな「あるある!」でいっぱいだ。
雨の日、配達前の準備として「黙々と」新聞にチラシを折り込む面々。
誰かが『あめふり』を歌いだし、ひとりがそれにつづき、やがては大合唱となるシーンがあった。
♪ あめあめ ふれふれ かあさんが じゃのめで おむかい うれしいな
ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン ♪
おぉ、このリアリズム!!
いや『あめふり』を合唱した想い出などない。
ないが、雨の日の配達を想像してヤケクソになっていく彼ら・彼女らの心理は、まさに「あるある! こんな感じ!!」なのである。
鬱屈は青春だけでない、老いも若きも「人生に」鬱屈している。
そんな「おじさん配達員」を演じていたのが、蟹江さんだった。
※予告編
この映画に出演した「縁」だろうか、蟹江さんは奨学生制度を説明する冊子のインタビューに答え、
「若いときの苦労は、若いうちはその価値が分からない。分からなくても、そのままつづけてくれ。きっと分かる日が来るから。もし君が、いまの俺の年齢を越しても分からないというのであれば、そのときは俺に会いに来てくれ。きちんと謝るから」
という、たいへん格好いいことばを残している。
「そういうものかな」―17歳の自分はそう思って、奨学生制度に応募した。
そして。
にっかつの学生だったころ、撮影所で蟹江さんを見た。
自分はドラマの主人公同様、19歳になっていた。
逆算すると、このときの蟹江さんは48歳である。
「―『十九歳の地図』を観ました。いま自分、奨学生をやっていて、しかも19歳なんです」
「(笑)そう、奨学生か。どう、厳しい?」
「・・・まぁ厳しいといえば厳しいですけど、楽しいといえば、」
「楽しい?」
「はい」
「じゃあ、あの映画の吉岡くんよりは恵まれているんだね」
「そうかもしれません」
「がんばれよ」
格好いいなぁ!!
この日以来、蟹江敬三は好きな俳優でありつづけた。
『天使のはらわた 赤い教室』(79)で村木を演じようが、『スケバン刑事2』(85~86)でエージェントを演じようが、『あまちゃん』(2013)で祖父を演じようが、いつまでも鬱屈したダメジジイという印象のままだった。
ジメジメしていて、いつもうしろ向きで、なにかといえば社会や周りの所為にして。
怨念や鬱屈を溜めこみ、どうせ俺なんか・・・と、いじける。
プライベートがその印象であったら失礼な話だが、俳優としては褒めことばとして通用するだろう、自分にとって蟹江敬三という俳優はそんなひとだった。
一昨日の、呑み会での話。
「ここ最近、奨学生を見かけないよね」
「うん、自転車配達なんて居ないし、カブに乗っているのもオッサンばかり」
「あの映画を分かってくれる若い子が少なくなっている、、、ということかね」
「そうなのかなぁ・・・」
『十九歳の地図』に感じ入る少年少女は希少になったかもしれないが、
少なくとも蟹江さんは愛された俳優だ、この映画の支持率に無関係に、多くのものが合掌することだろう。
蟹江敬三、14年3月30日死去。
享年69歳。
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明日のコラムは・・・
『怒れる牡牛の物語』