好きか嫌いかでいったら、自己紹介は割と好きなほうだ。
いつだって自意識過剰、ゆえに自分を説明・解説することで快楽を得るタイプなものでして。
ただし。
好きだからといって得意であるとはかぎらず、また、それが好評であるともかぎらない。
そんなわけで。
自己紹介は、まずスベる。
狙ったところで笑ってもらえることは稀だし、
無駄に長かったりもして、インパクトという点では成功することはあるかもしれないが、それで好印象を与えられるかというと甚だ疑問である。
最初が肝心。
それがうまくいっていないから、いつも「ヘンなヤツ」扱いされてしまう。
いや「ヘンなヤツ」扱いされるのは本望じゃないか、実際がそうなんだから・・・って、なにいってんだ。
映画のなかの「別れ」と「出会い」の特集、きょうは「出会い」篇。
(恋愛にかぎらず)劇的な出会いって、あっただろうか。
・・・うん、たぶん何度か経験しているのだろうが、劇的という割には思い出せなかったりするので「それほど劇的でもない」出会いなのだろう。
そんな出会いに憧れつつも、咄嗟になにか出来るような瞬発力はない。
「あす、自己紹介がある」ことが分かっているから「狙う」ことが出来る―まぁそれでもスベるわけだが笑―のであって、その場で云々するという「台本なしの状態」で好印象を与えられるわけもない。
やはり現実は、映画のようにうまくはいかないねぇ。
以下は、憧れるかどうかは別として、記憶には残るであろう「映画で描かれた出会い」のシーンである。
自分が登場人物のひとりだったとして、同じような態度が取れたり台詞を発したり出来るかなぁ。
(1)『死んでもいい』(92…トップ画像)
駅の改札前、雨、傘、そうして、男と女―。
「身体がぶつかって出会う」ことは日常生活でも「よくある」が、大抵が「あ、すいません!」で終わってしまうものであり、そこから人間関係を築いていく・・・などという発想を持ったことはなかった。
ぶつかった相手が可憐な女子であれば、仲良くなりたいと思うことはあるけれど。
(2)『街の灯』(31)
盲目の花売り娘は「他人の車! から降りてきた」チャーリーを金持ちだと思い込んでしまう―チャップリンが何ヶ月も何ヶ月も悩んで創り上げた、技ありの出会いのシーン。
自分だったらどうするかね。
やっぱり金持ちの振りをしてしまいそうな気がする。
(3)『アマデウス』(83)
「憧れの天才」は、下卑た笑い声を発し女を追い回していた。
サリエリにとっては、世界の終わりだよね。
(4)『となりのトトロ』(88)
あんなでかいのが横に立っていたら恐怖心しかないだろうが、子どもなら怖がるよりも前に興味が沸く、ということだろうか。
(5)『恋する惑星』(94)
夜店で、いっつもママス&パパスの『夢のカリフォルニア』を大音量で流す店員フェイと、そこで買い物をする警官663号の出会い。
ここに挙げた10通りの出会いのなかで「最も現実的」であり、自分もコンビニや書店の店員さんに恋をしてアプローチしてみたことは何度か、、、いや何度「も」ある。
(6)『酔いどれ天使』(48)
威勢のいいヤクザと、彼の恫喝にも「ぜんぜん怯まない」酔いどれの医師。
ふたりの出会いは「たまたま」だが、いい医師に巡り会えて彼も幸福だったよね。
いい医師に当たるのは意外と難しい―これって、現実でもそうだもの。
(7)『ダイハード』(88)
顔を知らないまま、トランシーバーで友情を深め合うふたり。
ラストで顔をあわせたとき、両者とも「あぁ想像通りの顔してらぁ」というような表情をしているのがいい。
(8)『007』シリーズ(62~)
「ボンド、ジェームズ・ボンド」
名前を発しているだけなのに、なんか格好いい。
得なキャラクターである。
(9)『クライング・ゲーム』(92)
色じかけに乗って誘拐された兵士と、彼を見張る「心優しきテロリスト」。
出会いは最悪だが、立場が逆転したり、また戻ったりと、その後の交流は素敵。
(10)『羊たちの沈黙』(90)
上司の命令でキチガイと面会することになった、FBI訓練生クラリス。
クラリスを前にしてキチガイ博士は、「肝臓喰ってやった、ズズズー」なんていってくる。
おいおい、やめてやれよ笑
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(71)』
いつだって自意識過剰、ゆえに自分を説明・解説することで快楽を得るタイプなものでして。
ただし。
好きだからといって得意であるとはかぎらず、また、それが好評であるともかぎらない。
そんなわけで。
自己紹介は、まずスベる。
狙ったところで笑ってもらえることは稀だし、
無駄に長かったりもして、インパクトという点では成功することはあるかもしれないが、それで好印象を与えられるかというと甚だ疑問である。
最初が肝心。
それがうまくいっていないから、いつも「ヘンなヤツ」扱いされてしまう。
いや「ヘンなヤツ」扱いされるのは本望じゃないか、実際がそうなんだから・・・って、なにいってんだ。
映画のなかの「別れ」と「出会い」の特集、きょうは「出会い」篇。
(恋愛にかぎらず)劇的な出会いって、あっただろうか。
・・・うん、たぶん何度か経験しているのだろうが、劇的という割には思い出せなかったりするので「それほど劇的でもない」出会いなのだろう。
そんな出会いに憧れつつも、咄嗟になにか出来るような瞬発力はない。
「あす、自己紹介がある」ことが分かっているから「狙う」ことが出来る―まぁそれでもスベるわけだが笑―のであって、その場で云々するという「台本なしの状態」で好印象を与えられるわけもない。
やはり現実は、映画のようにうまくはいかないねぇ。
以下は、憧れるかどうかは別として、記憶には残るであろう「映画で描かれた出会い」のシーンである。
自分が登場人物のひとりだったとして、同じような態度が取れたり台詞を発したり出来るかなぁ。
(1)『死んでもいい』(92…トップ画像)
駅の改札前、雨、傘、そうして、男と女―。
「身体がぶつかって出会う」ことは日常生活でも「よくある」が、大抵が「あ、すいません!」で終わってしまうものであり、そこから人間関係を築いていく・・・などという発想を持ったことはなかった。
ぶつかった相手が可憐な女子であれば、仲良くなりたいと思うことはあるけれど。
(2)『街の灯』(31)
盲目の花売り娘は「他人の車! から降りてきた」チャーリーを金持ちだと思い込んでしまう―チャップリンが何ヶ月も何ヶ月も悩んで創り上げた、技ありの出会いのシーン。
自分だったらどうするかね。
やっぱり金持ちの振りをしてしまいそうな気がする。
(3)『アマデウス』(83)
「憧れの天才」は、下卑た笑い声を発し女を追い回していた。
サリエリにとっては、世界の終わりだよね。
(4)『となりのトトロ』(88)
あんなでかいのが横に立っていたら恐怖心しかないだろうが、子どもなら怖がるよりも前に興味が沸く、ということだろうか。
(5)『恋する惑星』(94)
夜店で、いっつもママス&パパスの『夢のカリフォルニア』を大音量で流す店員フェイと、そこで買い物をする警官663号の出会い。
ここに挙げた10通りの出会いのなかで「最も現実的」であり、自分もコンビニや書店の店員さんに恋をしてアプローチしてみたことは何度か、、、いや何度「も」ある。
(6)『酔いどれ天使』(48)
威勢のいいヤクザと、彼の恫喝にも「ぜんぜん怯まない」酔いどれの医師。
ふたりの出会いは「たまたま」だが、いい医師に巡り会えて彼も幸福だったよね。
いい医師に当たるのは意外と難しい―これって、現実でもそうだもの。
(7)『ダイハード』(88)
顔を知らないまま、トランシーバーで友情を深め合うふたり。
ラストで顔をあわせたとき、両者とも「あぁ想像通りの顔してらぁ」というような表情をしているのがいい。
(8)『007』シリーズ(62~)
「ボンド、ジェームズ・ボンド」
名前を発しているだけなのに、なんか格好いい。
得なキャラクターである。
(9)『クライング・ゲーム』(92)
色じかけに乗って誘拐された兵士と、彼を見張る「心優しきテロリスト」。
出会いは最悪だが、立場が逆転したり、また戻ったりと、その後の交流は素敵。
(10)『羊たちの沈黙』(90)
上司の命令でキチガイと面会することになった、FBI訓練生クラリス。
クラリスを前にしてキチガイ博士は、「肝臓喰ってやった、ズズズー」なんていってくる。
おいおい、やめてやれよ笑
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