第18部「デニス・ホッパーの物語」~第5章~
「―主演ふたりだけでない、デニス・ホッパーやクリストファー・ウォーケン、エルビスに扮するヴァル・キルマー、ちょっとしか出てこないブラッド・ピットも含めて、全員が輝いている。この割のいい仕事が、どうしてトニー・スコットの手に渡ったのか甚だ疑問である。(中略)だがそれでも結局は、スコットの洒落た演出よりも、タランティーノのグランジ精神のほうが勝っている」(批評家ピーター・トラヴァース、映画『トゥルー・ロマンス』を論じる)
…………………………………………
俳優の復活劇。
たとえばジョン・トラボルタが70~80年代の輝きを取り戻すことなんて、誰が想像していたであろうか。
QTタランティーノは、数多く存在する「過去の、青春スターのひとり」でしかなかったトラボルタに「当時を彷彿とさせる」ダンスを披露させ、再び輝かせることに成功した。
安いパロディになる可能性だって高かったはず、だからそれに応えたトラボルタも大した度胸だと褒めてあげたい。
だがQTは過去のスターを復活させようといった善意があったわけではなく、単に自分にとってのアイドルを起用したいだけだった、、、ような気がする。
それがトラヴァースのいうところのグランジ精神であり、同じ理由からブルース・ウィリスやホッパーを起用したのだと思う。
93年、オールスター映画『トゥルー・ロマンス』の公開。
『レザボア・ドッグス』(92)で注目されたQTの脚本を、売れっ子のトニー・スコットが監督した。
オタクの青年クラレンス(クリスチャン・スレーター)と、チャーミングなコールガール・アラバマ(パトリシア・アークエット)の物語である。
ホッパーはクレランスの父親で、元警官のクリフォードを演じる。
息子が「気の触れたポン引き」ことドレクスルを射殺、元警官のコネを使って捜査状況を調べてくれないかと頼むシーンがある。
「なぜ? なぜ俺がそんなことを?」
「父親だろ?」
「あぁそうか、すべて計算済みか。なぜ俺がお前のために、そんな危ない橋を?」
「冷たい父親だな。俺がなにか父さんに頼みごとをしたことがあるかい? 父さんが呑んだくれになったとき、俺が父さんを責めたか? なにもいわなかったろ? その俺が、こうして頭を下げてるんじゃないか!!」
「・・・・・」
ホッパーのキャリアと完全にリンクするエピソードだが、偶然ではあるまい。
QTはたぶん、ホッパーを想起しながらこのキャラクターを創り上げていったのだろう。
クレランスとアラバマに別れを告げたあと、ふたりを追う殺し屋集団? がクリフォードのもとを訪れる。
この映画のハイライトであり、ホッパーとクリストファー・ウォーケンの演技合戦は映画史に残る名シーンとなった。
※少し長いが、ノーカットで
「シシリア人の先祖は、黒人」とウォーケンを罵る演技を観て筆者は思った、あぁホッパーはこれで完全復活したな―と。
『ブルーベルベッド』(86)の演技は、(それはそれですごいことだが)特殊俳優としての開眼でしかなかったはずだから。
…………………………………………
94年、アクション映画『スピード』の公開。
バスに仕掛けられた爆弾を、SWATの青年ジャックが解除しようと奮闘する物語。
ホッパーは爆弾魔のペインを好演。
だが、元警官という背景が与えられているものの、『ブルーベルベッド』や『トゥルー・ロマンス』のキャラクターに比べると「いかにも」深みがない。
決め台詞は主人公からパクッた「さぁどうする?」と、「爆弾は爆発するために作られている。それをなぜ止めようとする?」というもの。
いや、畳みかけるアクションに重厚なキャラクター性など必要ないのか、ホッパーが楽しそうに演じていることが、ファンとしてなによりもうれしかったのは確かであった。(最後は、首が吹っ飛ぶけど!!)
ペイン「お前なんかより、俺は頭がいいんだ」
―ここで、頭が吹っ飛ぶ―
ジャック「これで、俺のほうが背は高い!!」
ぎりぎりセーフの、冗談か笑
…………………………………………
俳優としては『スピード』以降、遺作の『パレルモ・シューティング』(2008)を含めてこれといった代表作はない。
怪作『サーチ&デストロイ』(95)や『バスキア』(96)には出ているが、あくまでもゲスト出演といった扱いである。
映画監督としてはどうか。
スタジオと揉めようが映画創りに嫌気が差したわけではないホッパーは、91年に『ホット・スポット』を撮る。
犯罪臭に満ちた「いわゆるノワール」だが、緊張感のない展開に退屈と感じる観客も多かったようである。
筆者もあくびを殺すのに必死だったクチで、ただヴァージニア・マドセンとジェニファー・コネリーのハダカが拝めるから油断ならない? のであった。
率直な感想をいえば、ジョディといいこの映画といい、ホッパーの女の趣味は自分と似ているなぁ! というもの。
映画としては、ちょっと厳しい。
俳優業が安定期? に入った94年、『逃げる天使』を発表。
囚人を護送する任務を与えられた海軍兵たちの前に現れたのは、美しい女兵士だった―肩の力を完全に抜いて撮ったことが功を奏したか、作家性どうこうを探ることは出来ないものの、誰もが楽しめるコメディとして完成されている。
………………………………………
2009年―前立腺癌であることが明かされ、表現活動は事実上の休止状態となる。
翌年、癌は骨にまで転移して末期状態に。
2010年5月29日、74年の生涯に幕を閉じた。
ジェームズ・ディーンに憧れた「アメリカっ子」はやがて時代の寵児となり、ドラッグにまみれて映画界から追放され、奇跡の復活を遂げて、日本のCMで「あひるちゃーーん!」と叫ぶ。
人生は、わからない。
でもホッパーの波乱万丈を眺めると、わからないかもしれないが、つまらなくはないよね、、、と思うのだ。
その映画「的」人生に、乾杯。
怒れる牡牛の物語・第18部「デニス・ホッパーの物語」、おわり。
≪参考文献≫
『Cut』(ロッキング・オン)
『アメリカの友人 東京デニス・ホッパー日記』(谷川建司・著、キネマ旬報社)
『American film 1967~72―「アメリカン・ニューシネマ」の神話』(ネコ・パブリッシング)
次回より、第19部「コーエン兄弟の物語」をお送りします。
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本シリーズでは、スコセッシのほか、デヴィッド・リンチ、スタンリー・キューブリック、ブライアン・デ・パルマ、塚本晋也など「怒りを原動力にして」映画表現を展開する格闘系映画監督の評伝をお送りします。
月1度の更新ですが、末永くお付き合いください。
参考文献は、監督の交代時にまとめて掲載します。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『早死メモリアル』
「―主演ふたりだけでない、デニス・ホッパーやクリストファー・ウォーケン、エルビスに扮するヴァル・キルマー、ちょっとしか出てこないブラッド・ピットも含めて、全員が輝いている。この割のいい仕事が、どうしてトニー・スコットの手に渡ったのか甚だ疑問である。(中略)だがそれでも結局は、スコットの洒落た演出よりも、タランティーノのグランジ精神のほうが勝っている」(批評家ピーター・トラヴァース、映画『トゥルー・ロマンス』を論じる)
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俳優の復活劇。
たとえばジョン・トラボルタが70~80年代の輝きを取り戻すことなんて、誰が想像していたであろうか。
QTタランティーノは、数多く存在する「過去の、青春スターのひとり」でしかなかったトラボルタに「当時を彷彿とさせる」ダンスを披露させ、再び輝かせることに成功した。
安いパロディになる可能性だって高かったはず、だからそれに応えたトラボルタも大した度胸だと褒めてあげたい。
だがQTは過去のスターを復活させようといった善意があったわけではなく、単に自分にとってのアイドルを起用したいだけだった、、、ような気がする。
それがトラヴァースのいうところのグランジ精神であり、同じ理由からブルース・ウィリスやホッパーを起用したのだと思う。
93年、オールスター映画『トゥルー・ロマンス』の公開。
『レザボア・ドッグス』(92)で注目されたQTの脚本を、売れっ子のトニー・スコットが監督した。
オタクの青年クラレンス(クリスチャン・スレーター)と、チャーミングなコールガール・アラバマ(パトリシア・アークエット)の物語である。
ホッパーはクレランスの父親で、元警官のクリフォードを演じる。
息子が「気の触れたポン引き」ことドレクスルを射殺、元警官のコネを使って捜査状況を調べてくれないかと頼むシーンがある。
「なぜ? なぜ俺がそんなことを?」
「父親だろ?」
「あぁそうか、すべて計算済みか。なぜ俺がお前のために、そんな危ない橋を?」
「冷たい父親だな。俺がなにか父さんに頼みごとをしたことがあるかい? 父さんが呑んだくれになったとき、俺が父さんを責めたか? なにもいわなかったろ? その俺が、こうして頭を下げてるんじゃないか!!」
「・・・・・」
ホッパーのキャリアと完全にリンクするエピソードだが、偶然ではあるまい。
QTはたぶん、ホッパーを想起しながらこのキャラクターを創り上げていったのだろう。
クレランスとアラバマに別れを告げたあと、ふたりを追う殺し屋集団? がクリフォードのもとを訪れる。
この映画のハイライトであり、ホッパーとクリストファー・ウォーケンの演技合戦は映画史に残る名シーンとなった。
※少し長いが、ノーカットで
「シシリア人の先祖は、黒人」とウォーケンを罵る演技を観て筆者は思った、あぁホッパーはこれで完全復活したな―と。
『ブルーベルベッド』(86)の演技は、(それはそれですごいことだが)特殊俳優としての開眼でしかなかったはずだから。
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94年、アクション映画『スピード』の公開。
バスに仕掛けられた爆弾を、SWATの青年ジャックが解除しようと奮闘する物語。
ホッパーは爆弾魔のペインを好演。
だが、元警官という背景が与えられているものの、『ブルーベルベッド』や『トゥルー・ロマンス』のキャラクターに比べると「いかにも」深みがない。
決め台詞は主人公からパクッた「さぁどうする?」と、「爆弾は爆発するために作られている。それをなぜ止めようとする?」というもの。
いや、畳みかけるアクションに重厚なキャラクター性など必要ないのか、ホッパーが楽しそうに演じていることが、ファンとしてなによりもうれしかったのは確かであった。(最後は、首が吹っ飛ぶけど!!)
ペイン「お前なんかより、俺は頭がいいんだ」
―ここで、頭が吹っ飛ぶ―
ジャック「これで、俺のほうが背は高い!!」
ぎりぎりセーフの、冗談か笑
…………………………………………
俳優としては『スピード』以降、遺作の『パレルモ・シューティング』(2008)を含めてこれといった代表作はない。
怪作『サーチ&デストロイ』(95)や『バスキア』(96)には出ているが、あくまでもゲスト出演といった扱いである。
映画監督としてはどうか。
スタジオと揉めようが映画創りに嫌気が差したわけではないホッパーは、91年に『ホット・スポット』を撮る。
犯罪臭に満ちた「いわゆるノワール」だが、緊張感のない展開に退屈と感じる観客も多かったようである。
筆者もあくびを殺すのに必死だったクチで、ただヴァージニア・マドセンとジェニファー・コネリーのハダカが拝めるから油断ならない? のであった。
率直な感想をいえば、ジョディといいこの映画といい、ホッパーの女の趣味は自分と似ているなぁ! というもの。
映画としては、ちょっと厳しい。
俳優業が安定期? に入った94年、『逃げる天使』を発表。
囚人を護送する任務を与えられた海軍兵たちの前に現れたのは、美しい女兵士だった―肩の力を完全に抜いて撮ったことが功を奏したか、作家性どうこうを探ることは出来ないものの、誰もが楽しめるコメディとして完成されている。
………………………………………
2009年―前立腺癌であることが明かされ、表現活動は事実上の休止状態となる。
翌年、癌は骨にまで転移して末期状態に。
2010年5月29日、74年の生涯に幕を閉じた。
ジェームズ・ディーンに憧れた「アメリカっ子」はやがて時代の寵児となり、ドラッグにまみれて映画界から追放され、奇跡の復活を遂げて、日本のCMで「あひるちゃーーん!」と叫ぶ。
人生は、わからない。
でもホッパーの波乱万丈を眺めると、わからないかもしれないが、つまらなくはないよね、、、と思うのだ。
その映画「的」人生に、乾杯。
怒れる牡牛の物語・第18部「デニス・ホッパーの物語」、おわり。
≪参考文献≫
『Cut』(ロッキング・オン)
『アメリカの友人 東京デニス・ホッパー日記』(谷川建司・著、キネマ旬報社)
『American film 1967~72―「アメリカン・ニューシネマ」の神話』(ネコ・パブリッシング)
次回より、第19部「コーエン兄弟の物語」をお送りします。
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本シリーズでは、スコセッシのほか、デヴィッド・リンチ、スタンリー・キューブリック、ブライアン・デ・パルマ、塚本晋也など「怒りを原動力にして」映画表現を展開する格闘系映画監督の評伝をお送りします。
月1度の更新ですが、末永くお付き合いください。
参考文献は、監督の交代時にまとめて掲載します。
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『早死メモリアル』