創りたいものをすべて創り終えてから死んでいく映画監督なんて、ほとんど居ない。
キューブリックは『ナポレオン』を撮ることが出来ずに死んだし、タルコフスキーも『白痴』を撮ることなく死んでしまった。
また、死んではいないが「実現しそうにない」という意味で、
長谷川和彦の『連合赤軍』、
ポール・バーホーベンの『十字軍』、
デヴィッド・リンチの『ロニー・ロケット』などなど、
ファンからしてみれば垂涎モノの企画も「幻」となっている。
そんな「幻の企画」に焦点を当てたのが、去年公開された『ホドロフスキーのDUNE』。
実現しなかった映画企画のドキュメンタリーなのに、これがめっぽう面白い。
観終えてから、この映画の面白さはどこからくるのかな―と考え、あぁそうか、ロマンがあるからか! と気づいた。
念願の、入魂の企画。
どうよ、この響き。
ワクワクするじゃないか。ロマンがあるじゃないか。
橋本忍は、『砂の器』(74)の映画化のために10年を要したんだよ。
『地獄の黙示録』(79)の撮影現場は本編と同様にキチガイじみていて、コッポラなんかあと一歩で人間やめるところだった。
イマヘイの『神々の深き欲望』(68)は、あまりの過酷な撮影に、俳優陣が脱走を試みたというじゃないか。
そうまでして撮りたいものがある―これって素晴らしいことだし、狂っているし、しかし映画人としては極めて正しい姿なんだろうな、、、と思う。
自分の「第一の神」スコセッシは人気者だからか、いやそれだけじゃないだろう、本人の興味が多岐にわたるものだから、話が出るだけで実現しない企画がひじょうに多い監督としても有名である。
黒澤の『天国と地獄』(63)のリメイク企画は流れた。
ガーシュインの伝記映画の企画もあったが、そのあとどうなったのか(たぶん、本人でさえ)知らない。
ファンのあいだで長いこと噂されていた企画が実現したのは、キャリアのなかでふたつのみ。
キリストの受難を描いた『最後の誘惑』(88)、
ニューヨーク誕生の背景をギャングの視点で切り取った『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2002)である。
ある識者はいう、「えてして念願の企画というものは、創り手が力み過ぎて失敗に終わることが多い」。
あぁ、分かる分かる。
『ギャング・オブ・ニューヨーク』だって、スコセッシ信者として納得のいく出来ではなかったもの。
さらりと創った(ように見える)『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(2013)のほうが、はるかに出来がよかった―のは、誰もが認めるところだろう。
現在、スコセッシは台湾に居る。
念願の企画、3本目の実現となる『沈黙』の撮影のために。
日本が舞台の物語なんだから、ほんとうは日本で撮ってほしい。
けれどもロケーション的に無理なのだからしょうがない、無事、完成を祈るのみである。
(だが。きのうの速報では、撮影中に不幸が起こり、関係者がひとり事故死してしまったそうだ…)
ブログを始めて13年くらい経つが、10年くらい前に書いたコラムにも「スコセッシが『沈黙』を撮るそうだ」と書いている。
そのときから、ずっとずっと完成を待っている。
完成したときのために―と、遠藤周作の原作小説を年に1度は読み返している。
自分の終生の愛読書は漱石の『それから』で、この小説は25回くらい読み返しているが、もうすぐ追い抜いちゃうよ。
というか冒頭から3ページ目くらいまで、暗唱しちゃっているし。
スコセッシ! 罪なヤツめ!!
しかし。
不幸があったために撮影は遅れるかもしれないが、年末までには全米公開、来春あたりに日本公開という流れだけは変わらないだろう。
やっとだ。
やっと、である。
待ちくたびれた?
否。
もうワクワクが止まらないんだよ。
今年の11ヶ月は、すっ飛ばしてもかまわない。
あす起きたら、2016年の日本公開日になっていてくれないかな、、、そんなことを本気で願う、スコセッシ愛に溢れた映画小僧なのでした。
※なぜ私が『沈黙』を映画化するのか―少しだけ、スコセッシが語ってくれています
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『彼も、ひとなり。』
キューブリックは『ナポレオン』を撮ることが出来ずに死んだし、タルコフスキーも『白痴』を撮ることなく死んでしまった。
また、死んではいないが「実現しそうにない」という意味で、
長谷川和彦の『連合赤軍』、
ポール・バーホーベンの『十字軍』、
デヴィッド・リンチの『ロニー・ロケット』などなど、
ファンからしてみれば垂涎モノの企画も「幻」となっている。
そんな「幻の企画」に焦点を当てたのが、去年公開された『ホドロフスキーのDUNE』。
実現しなかった映画企画のドキュメンタリーなのに、これがめっぽう面白い。
観終えてから、この映画の面白さはどこからくるのかな―と考え、あぁそうか、ロマンがあるからか! と気づいた。
念願の、入魂の企画。
どうよ、この響き。
ワクワクするじゃないか。ロマンがあるじゃないか。
橋本忍は、『砂の器』(74)の映画化のために10年を要したんだよ。
『地獄の黙示録』(79)の撮影現場は本編と同様にキチガイじみていて、コッポラなんかあと一歩で人間やめるところだった。
イマヘイの『神々の深き欲望』(68)は、あまりの過酷な撮影に、俳優陣が脱走を試みたというじゃないか。
そうまでして撮りたいものがある―これって素晴らしいことだし、狂っているし、しかし映画人としては極めて正しい姿なんだろうな、、、と思う。
自分の「第一の神」スコセッシは人気者だからか、いやそれだけじゃないだろう、本人の興味が多岐にわたるものだから、話が出るだけで実現しない企画がひじょうに多い監督としても有名である。
黒澤の『天国と地獄』(63)のリメイク企画は流れた。
ガーシュインの伝記映画の企画もあったが、そのあとどうなったのか(たぶん、本人でさえ)知らない。
ファンのあいだで長いこと噂されていた企画が実現したのは、キャリアのなかでふたつのみ。
キリストの受難を描いた『最後の誘惑』(88)、
ニューヨーク誕生の背景をギャングの視点で切り取った『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2002)である。
ある識者はいう、「えてして念願の企画というものは、創り手が力み過ぎて失敗に終わることが多い」。
あぁ、分かる分かる。
『ギャング・オブ・ニューヨーク』だって、スコセッシ信者として納得のいく出来ではなかったもの。
さらりと創った(ように見える)『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(2013)のほうが、はるかに出来がよかった―のは、誰もが認めるところだろう。
現在、スコセッシは台湾に居る。
念願の企画、3本目の実現となる『沈黙』の撮影のために。
日本が舞台の物語なんだから、ほんとうは日本で撮ってほしい。
けれどもロケーション的に無理なのだからしょうがない、無事、完成を祈るのみである。
(だが。きのうの速報では、撮影中に不幸が起こり、関係者がひとり事故死してしまったそうだ…)
ブログを始めて13年くらい経つが、10年くらい前に書いたコラムにも「スコセッシが『沈黙』を撮るそうだ」と書いている。
そのときから、ずっとずっと完成を待っている。
完成したときのために―と、遠藤周作の原作小説を年に1度は読み返している。
自分の終生の愛読書は漱石の『それから』で、この小説は25回くらい読み返しているが、もうすぐ追い抜いちゃうよ。
というか冒頭から3ページ目くらいまで、暗唱しちゃっているし。
スコセッシ! 罪なヤツめ!!
しかし。
不幸があったために撮影は遅れるかもしれないが、年末までには全米公開、来春あたりに日本公開という流れだけは変わらないだろう。
やっとだ。
やっと、である。
待ちくたびれた?
否。
もうワクワクが止まらないんだよ。
今年の11ヶ月は、すっ飛ばしてもかまわない。
あす起きたら、2016年の日本公開日になっていてくれないかな、、、そんなことを本気で願う、スコセッシ愛に溢れた映画小僧なのでした。
※なぜ私が『沈黙』を映画化するのか―少しだけ、スコセッシが語ってくれています
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
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明日のコラムは・・・
『彼も、ひとなり。』