現在、3台のチャリを用途や気分によって使い分けている。
最も気に入りで高価なチャリはロードバイクで、これは室内置き。
晴天の日の長距離移動に用いる。
駐車場置きが2台。
ひとつはママチャリで、これは米やビールのケースを購入する際に用いる。
もうひとつは、室内置きのに比べれば「そーとー」安価なロードバイクで、近距離または雨の日用。
そんなだからか、それに自分のほんとうの職業を明かしていないので、同じ棟に住むひとからは「自転車関係の仕事をしているひと」と思われている。
しょっちゅう「パンク直してほしいんだけど」とか、いわれるしね。
そして来週、新しいチャリが加わることになった。
4台目のバディ。
室内置きと同レベルのロードバイクで、知り合いの知り合いの知り合いから譲ってもらったのだ。
モノスゴほしかったのかといえば、そうともいえない。
すでに3台のバディを持つわけで。
ただ、良いものを安く手に入れられると聞けばね、チャリ好きとしてNOという理由はなく。
聞けば、現在の持ち主は聴覚障害を持っているのだそうだ。
上司にもらったが、危険で乗れない。
家に置いておくくらいだったら、安くてもいいから売りたい、、、そういうわけらしい。
というわけで。
室内置きが増えるので、現在、部屋を掃除中。
ガキのころからチャリには慣れ親しんできたが、特別チャリが好きだったわけではない。
(トップ画像は・・・何歳のころかね、小学校あがる前でしょう)
自分ひとりでの移動手段が徒歩かチャリかの二択しかなく、いってしまえば望んで乗ったというより「仕方なく」乗っていた。
中学からは、生徒のほとんどが自転車通学となる。
ゆっくり漕いで20分前後だったと記憶する。
高校は、45分。
都心のイマドキッコに話すと「45分!? 信じられない!!」というが、それが当たり前と思って毎日漕いでいたよ。
だから上京後、新聞奨学生として働き始めたとき、(所長に勧められたにも関わらず)原付免許を取ることを拒否し、自転車配達を選んだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/1f/fa77d4cddcdccc2ae00c6c60f01e5869.jpg)
チャリを好きになったのは、たぶんこのころだと思われる。
(同年、高級チャリを盗んだ疑いで逮捕されちゃってもいる=占有離脱物横領)
19歳のころ、ローンを組んで初めて「そこそこの」チャリを購入。
以来、現在までのあいだに約20台のチャリと付き合っては別れ、別れては付き合い・・・を繰り返してきた。
単に「飽きた」ときもあれば「価値観のちがい」もあり、事故での別れで泣いたこともあったっけ。
どのチャリのことも覚えているし、現在ではすべてが甘い思い出であり、恨んだりする? こともない。
恋愛と一緒だね、たぶん・・・。
根っからの不器用だから、最初はパンク修理さえ苦手だった。
しかし下手な横好きも慣れには勝つようで、いまじゃ得意といえるようにまでなり、大抵の故障は自分で直せるようになった。
で、4台目がやってくると。
移動のほとんどがチャリだからであろう、ビールっ腹が目立つようになったのに、脚だけは(オーバーにいえば)鋼のようである。
脂肪も少ないはずだし、ローキック(放つのも放たれるのも)得意そうといわれる。
うん! といいたいところだが、とくに左脚は爆弾も抱えているしボロボロである。
ボロボロであるからこそ、主治医に「鍛え続けるように!」といわれたんだっけか。
死ぬまでチャリダーであることが、宿命づけられたようである。
格好つけすぎ?
まぁ、そうだよな。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『不公平だが人間だもの』
最も気に入りで高価なチャリはロードバイクで、これは室内置き。
晴天の日の長距離移動に用いる。
駐車場置きが2台。
ひとつはママチャリで、これは米やビールのケースを購入する際に用いる。
もうひとつは、室内置きのに比べれば「そーとー」安価なロードバイクで、近距離または雨の日用。
そんなだからか、それに自分のほんとうの職業を明かしていないので、同じ棟に住むひとからは「自転車関係の仕事をしているひと」と思われている。
しょっちゅう「パンク直してほしいんだけど」とか、いわれるしね。
そして来週、新しいチャリが加わることになった。
4台目のバディ。
室内置きと同レベルのロードバイクで、知り合いの知り合いの知り合いから譲ってもらったのだ。
モノスゴほしかったのかといえば、そうともいえない。
すでに3台のバディを持つわけで。
ただ、良いものを安く手に入れられると聞けばね、チャリ好きとしてNOという理由はなく。
聞けば、現在の持ち主は聴覚障害を持っているのだそうだ。
上司にもらったが、危険で乗れない。
家に置いておくくらいだったら、安くてもいいから売りたい、、、そういうわけらしい。
というわけで。
室内置きが増えるので、現在、部屋を掃除中。
ガキのころからチャリには慣れ親しんできたが、特別チャリが好きだったわけではない。
(トップ画像は・・・何歳のころかね、小学校あがる前でしょう)
自分ひとりでの移動手段が徒歩かチャリかの二択しかなく、いってしまえば望んで乗ったというより「仕方なく」乗っていた。
中学からは、生徒のほとんどが自転車通学となる。
ゆっくり漕いで20分前後だったと記憶する。
高校は、45分。
都心のイマドキッコに話すと「45分!? 信じられない!!」というが、それが当たり前と思って毎日漕いでいたよ。
だから上京後、新聞奨学生として働き始めたとき、(所長に勧められたにも関わらず)原付免許を取ることを拒否し、自転車配達を選んだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/1f/fa77d4cddcdccc2ae00c6c60f01e5869.jpg)
チャリを好きになったのは、たぶんこのころだと思われる。
(同年、高級チャリを盗んだ疑いで逮捕されちゃってもいる=占有離脱物横領)
19歳のころ、ローンを組んで初めて「そこそこの」チャリを購入。
以来、現在までのあいだに約20台のチャリと付き合っては別れ、別れては付き合い・・・を繰り返してきた。
単に「飽きた」ときもあれば「価値観のちがい」もあり、事故での別れで泣いたこともあったっけ。
どのチャリのことも覚えているし、現在ではすべてが甘い思い出であり、恨んだりする? こともない。
恋愛と一緒だね、たぶん・・・。
根っからの不器用だから、最初はパンク修理さえ苦手だった。
しかし下手な横好きも慣れには勝つようで、いまじゃ得意といえるようにまでなり、大抵の故障は自分で直せるようになった。
で、4台目がやってくると。
移動のほとんどがチャリだからであろう、ビールっ腹が目立つようになったのに、脚だけは(オーバーにいえば)鋼のようである。
脂肪も少ないはずだし、ローキック(放つのも放たれるのも)得意そうといわれる。
うん! といいたいところだが、とくに左脚は爆弾も抱えているしボロボロである。
ボロボロであるからこそ、主治医に「鍛え続けるように!」といわれたんだっけか。
死ぬまでチャリダーであることが、宿命づけられたようである。
格好つけすぎ?
まぁ、そうだよな。
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明日のコラムは・・・
『不公平だが人間だもの』