Cape Fear、in JAPAN

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シネマしりとり「薀蓄篇」(171)

2016-06-28 01:12:08 | コラム
りんだぶれ「あ」→「あ」ーるじゅうご(R15)

近代映画のレイティングシステム(年齢制限)は、最近のボクシングの階級制と似ているところがある。

細分化が進んだってこと。

必要に迫られて―であることは重々承知したうえでいうと、無料のネット動画が野放し状態であるなかで、いったいどれほどの効果があるのか? とは、やっぱり思う。

そして、この細分化により、18禁(R18)になる場合と、15禁(R15)になる場合が出来て、しかし、その審査基準が明かされないために「こっちはOKで、向こうはNG。分からん!」といった意見が噴出するようになった。

最近の映画では、傑作ゾンビ映画『アイアムアヒーロー』(2016)がR15、女性の潮吹きがコミカルに描かれる『赤い橋の下のぬるい水』(2001)もR15、
真面目な映画少年しか観ないであろう『ザ・マスター』(2012)もR15である。

では、どんな映画がR18かというと・・・

オオシマの『愛のコリーダ』(76)、
クローネンバーグの『クラッシュ』(96)、
ギャスパー・ノエの『アレックス』(2002)、
ラース・フォン・トリアーの『アンチクライスト』(2009)、
スコセッシの『ウルフ・オブ・ウォールストリート』(2013)、

日本映画では、三池崇史の『殺し屋1』(2001)などがある。



R18のほうは、概ね納得。

それに比べれば、R15の作品は「描写、弱め。」だからR18にならない・・・ってことなのだろうが、潮吹きをコミカルに描けば「R15」で、ちんちんを切る女を「かなり真剣に」描けば「R18」になるというね、
そういう理由ではないかもしれないけれど、審査機関が「そう思っている」感じがして、

オオシマもイマヘイも同じくらい好きな自分からしてみれば、両者とも自身の持ち味を存分に発揮し、人間賛歌を創りあげたはずなんだもの、むしろ若い子にこそ観てほしいけど! と思う。

「昔はよかった…」みたいな表現は好きではないが・・・
観たい映画を誰にも咎められることなく観ることが出来た、自分のガキのころを幸福だと感じる。

とはいえ、観たいヤツはどんな方法を取っても観るものだ。
大人があんまりこういう風にいってはダメなのだろうが、そこまで観たいと思う作品であれば、15歳未満だろうと観ればいい。


「R15」が世間一般に知られるようになったのは、『バトル・ロワイアル』(2000)騒動がきっかけ。

不運といえば不運、
しかし深作欣二が狙ったといえば狙った映画であり、
10代による殺人事件が多発した「あおり」を喰らい、国会でも取り上げられ「R15にすべき」、いや「敢えて少年少女に観せるべき」などの議論が巻き起こった。

当時は自分も、バイト先で呑み会で、この問題について本気で議論していたもの。


きょうのコラムだけでなく、日ごろの自分の文章から理解し易いと思うが、
自分は基本的に、レイティングシステムは不要、、、というか、意味のないものだと感じている。

ただ、「R15」「R18」の仲間入りをすることを「誇りにする」「ステイタスにする」カワリモノも実際に居て笑、
いやこれはもちろん、褒めことばなんだが、そうしたレイティングとうまく付き合っていくことも、映画監督として必要な能力なのかもな~、、、などと、思ったり思わなかったり。





あすのしりとりは・・・
あーるじゅう「ご」→「ご」にん。

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明日のコラムは・・・

『シネマしりとり「薀蓄篇」(172)』
コメント (1)
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