23年11月2日生まれ・2004年5月15日死去、享年80歳。
東京出身。
「―佳子が西に惚れているように、私も西に惚れてます。1年半前に西のやっていたちっぽけな自動車商会から中古スポーツカーを買ったのがきっかけでふたりは友達になったんですが、私は彼がイマドキ珍しい正義感であることを知ってます。一部では足の悪い妹と結婚して立身出世の足掛かりにしているという噂もあるようですが、断じてそんなことはありません。
おい、西。妹を可愛がってやってくれ。俺はこんなだらしない奴だが妹を幸せにするならなんでもする。
妹を不幸せにしたら、貴様殺すぞ!!」
大好きなシーンの大好きな台詞なので、長々と引用してしまいました。
自分が三橋達也(みはし・たつや)さんを知ったのは、黒澤映画からです。
妹の結婚式で型破りな祝辞を述べる『悪い奴ほどよく眠る』(60)と、冷酷な事業家を気どる『天国と地獄』(63)。
どちらも主人公・三船の次に印象に残るキャラクターであり、「この俳優さん、いいなぁ!」と。
てっきり黒澤組のひとかと思っていたら、上の2作にしか出演していません。
ただ当時の名匠・巨匠・鬼才・奇才に好かれていたようで、小林正樹や川島雄三、野村芳太郎、市川崑らに「必ず2度以上」起用されました。
黒澤映画ではクセのある役どころでしたが、基本は二枚目路線。
そこに独特のユーモアも加わって、映画通が一目置く存在となりました。
<経歴>
アート志向が強く、多摩帝國美術學校に入学。
しかし戦時下であったため、ほとんど授業がおこなわれず翌年に中退、新劇グループ新制舞台で舞台美術の職に就く。
しだいに演者の魅力に気づき、44年、劇団たんぽぽに入団。
そのころ召集され、47年に復員する。
翌48年、大泉撮影所に入社。
実質的な映画俳優デビュー作は、51年の『あゝ青春』。
『安宅家の人々』(52)、『慟哭』(52)、『まごころ』(53)、『次男坊』(53)、『新東京行進曲』(53)、『純潔革命』(53)、『青春三羽烏』(53)。
54年、日活に移籍。
同じ移籍組の川島雄三に出会ったことから個性が開花、代表作と呼べるものを量産していきました。
『陽は沈まず』(54)、『愛のお荷物』(55)、『青春怪談』(55)、『こころ』(55)、『ビルマの竪琴』(56)、『火の鳥』(56)、『洲崎パラダイス赤信号』(56)、『わが町』(56)。
58年、出演料の問題で日活と対立、解決することが出来ずに退社し東京映画を経て東宝に。
『女であること』(58)、『グラマ島の誘惑』(59)、
『夜の流れ』(60)、『悪い奴ほどよく眠る』、『ガス人間第一号』(60)、『サラリーマン忠臣蔵』(60)、『暗黒街の弾痕』(61)、『愛と炎と』(61)、『花影』(61)、『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』(62)、『愛のうず潮』(62)。
63年には『天国と地獄』のほかに、
三船が監督に挑戦した『五十万人の遺産』、
そしてスパイアクションの『国際秘密警察』シリーズが始まり、
『指令第8号』(63)、『虎の牙』(64)、『火薬の樽』(64)、『鍵の鍵』(65)、『絶体絶命』(67)の計5本が制作されました。
フランク・シナトラが監督・主演した『勇者のみ』(65)、
『奇巌城の冒険』(66)、『女の中にいる他人』(66)、『新網走番外地』(68)、
日米合作のビッグバジェット『トラ・トラ・トラ!』(70)、
『金田一耕助の冒険』(79)、『連合艦隊』(81)、『鹿鳴館』(86)。
体調不良もあったのでしょうか、しばらく映画界から遠ざかり、スクリーン復帰は2000年代に入ってからでした。
『忘れられぬ人々』(2001)、北野武の『Dolls』(2002)では元気な姿を確認・・・しかし2004年5月15日、急性心筋梗塞により帰らぬひとに。
享年80歳、
遺作は(敢えていいますが)残念なことに『CASSHERN』(2004)でした。
三橋さんは「なんにも」悪くないのですけど、なんとなく「ちょっと、かわいそう」と思った映画小僧なのであります。
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明日のコラムは・・・
『にっぽん男優列伝(328)三船敏郎』
東京出身。
「―佳子が西に惚れているように、私も西に惚れてます。1年半前に西のやっていたちっぽけな自動車商会から中古スポーツカーを買ったのがきっかけでふたりは友達になったんですが、私は彼がイマドキ珍しい正義感であることを知ってます。一部では足の悪い妹と結婚して立身出世の足掛かりにしているという噂もあるようですが、断じてそんなことはありません。
おい、西。妹を可愛がってやってくれ。俺はこんなだらしない奴だが妹を幸せにするならなんでもする。
妹を不幸せにしたら、貴様殺すぞ!!」
大好きなシーンの大好きな台詞なので、長々と引用してしまいました。
自分が三橋達也(みはし・たつや)さんを知ったのは、黒澤映画からです。
妹の結婚式で型破りな祝辞を述べる『悪い奴ほどよく眠る』(60)と、冷酷な事業家を気どる『天国と地獄』(63)。
どちらも主人公・三船の次に印象に残るキャラクターであり、「この俳優さん、いいなぁ!」と。
てっきり黒澤組のひとかと思っていたら、上の2作にしか出演していません。
ただ当時の名匠・巨匠・鬼才・奇才に好かれていたようで、小林正樹や川島雄三、野村芳太郎、市川崑らに「必ず2度以上」起用されました。
黒澤映画ではクセのある役どころでしたが、基本は二枚目路線。
そこに独特のユーモアも加わって、映画通が一目置く存在となりました。
<経歴>
アート志向が強く、多摩帝國美術學校に入学。
しかし戦時下であったため、ほとんど授業がおこなわれず翌年に中退、新劇グループ新制舞台で舞台美術の職に就く。
しだいに演者の魅力に気づき、44年、劇団たんぽぽに入団。
そのころ召集され、47年に復員する。
翌48年、大泉撮影所に入社。
実質的な映画俳優デビュー作は、51年の『あゝ青春』。
『安宅家の人々』(52)、『慟哭』(52)、『まごころ』(53)、『次男坊』(53)、『新東京行進曲』(53)、『純潔革命』(53)、『青春三羽烏』(53)。
54年、日活に移籍。
同じ移籍組の川島雄三に出会ったことから個性が開花、代表作と呼べるものを量産していきました。
『陽は沈まず』(54)、『愛のお荷物』(55)、『青春怪談』(55)、『こころ』(55)、『ビルマの竪琴』(56)、『火の鳥』(56)、『洲崎パラダイス赤信号』(56)、『わが町』(56)。
58年、出演料の問題で日活と対立、解決することが出来ずに退社し東京映画を経て東宝に。
『女であること』(58)、『グラマ島の誘惑』(59)、
『夜の流れ』(60)、『悪い奴ほどよく眠る』、『ガス人間第一号』(60)、『サラリーマン忠臣蔵』(60)、『暗黒街の弾痕』(61)、『愛と炎と』(61)、『花影』(61)、『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』(62)、『愛のうず潮』(62)。
63年には『天国と地獄』のほかに、
三船が監督に挑戦した『五十万人の遺産』、
そしてスパイアクションの『国際秘密警察』シリーズが始まり、
『指令第8号』(63)、『虎の牙』(64)、『火薬の樽』(64)、『鍵の鍵』(65)、『絶体絶命』(67)の計5本が制作されました。
フランク・シナトラが監督・主演した『勇者のみ』(65)、
『奇巌城の冒険』(66)、『女の中にいる他人』(66)、『新網走番外地』(68)、
日米合作のビッグバジェット『トラ・トラ・トラ!』(70)、
『金田一耕助の冒険』(79)、『連合艦隊』(81)、『鹿鳴館』(86)。
体調不良もあったのでしょうか、しばらく映画界から遠ざかり、スクリーン復帰は2000年代に入ってからでした。
『忘れられぬ人々』(2001)、北野武の『Dolls』(2002)では元気な姿を確認・・・しかし2004年5月15日、急性心筋梗塞により帰らぬひとに。
享年80歳、
遺作は(敢えていいますが)残念なことに『CASSHERN』(2004)でした。
三橋さんは「なんにも」悪くないのですけど、なんとなく「ちょっと、かわいそう」と思った映画小僧なのであります。
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明日のコラムは・・・
『にっぽん男優列伝(328)三船敏郎』