~追悼、アリ~
またドン・キングが映っている。
このひとは一時期の日本映画界でいう、「出たがり」奥山和由なのか・・・と皮肉をいいたくもなるが、マッチメイカーとしての才能は認めねばなるまい。
自分がキングの存在を知ったのは、同世代であれば皆がそうであろう、マイク・タイソンが出現した時期と重なる。
タイソンのそばには、決まってキングが立っていた。
このひとがタイソンをダメにした―という声もあるが、このひとの存在なくしてタイソンの悲喜こもごもを語れないのもまた事実。
高校生のころ、アリが神話化されるきっかけとなった「キンシャサの奇跡」をノーカットで観た。
冒頭のことばは、このリングの上にもキングの姿が認められたので、苦笑交じりに自分が呟いたヒトコトである。
アリが死んだ。
いろんなひとが、いろんな角度から―イスラム改宗やベトナム戦争への従軍拒否、パーキンソン病など―追悼のことばを記している。
だがここでは、それらのことには言及しない。
自分にとっては「キンシャサの奇跡」がすべてであり、そのほかのことは、敢えていうが猪木の試合も含めて遮蔽物でしかないから。
この試合、これ一点において自分はアリを世界最高のアスリートであると認識し尊敬しているのだった。
自分の生まれた、74年の出来事である。
ザイール(現コンゴ)の首都キンシャサで開催された、ボクシング・ヘビー級のタイトルマッチ。
マッチメイカーは前述したとおり、「金のにおいがする」ドン・キング。
しかし黒幕は当時の大統領、独裁者として名高いモブツ。
(在任期間は32年!!)
モブツはこの興行を成功に導き、権力のほかに名声をも得ようと企む―つまり極上のスポーツイベントは、政治利用されようとしていた。
試合会場となったナショナルスタジアムのちかくには、かつて処刑場があった。
沢山の運動家が粛清された場である。
識者はいう、「おびただしい血の上に、リングが作られたのだ」と。
試合の数日前から、沢山の黒人アーティストによる「歌とダンスの祭典」が催される。
まるで音楽フェスのようであり、メインがボクシングであることを忘れてしまうくらいだった。
サッカーW杯、五輪の誘致問題が報道される昨今だから、モブツばかりを責めるわけにもいかないだろうとは思う。
だが、アリとその相手ジョージ・フォアマンは、文字どおり死闘を繰り広げ、音楽の狂騒やモブツの政治利用を吹っ飛ばしてしまうのだった。
第1ラウンド。
フォアマンと拳をあわせたアリは気づいた、パンチの威力が違い過ぎる、ふつうにやったら「負ける。」と。
下馬評どおりといえばそうだが、「じゃあどうするか」を考えられるところにアリのスマートさがあった。
アリは敢えてロープを背にして、フォアマンのパンチを腕でブロックしつづけた。
両腕の隙間から「その程度のパンチか、それじゃあKOなんか出来ないぞ!」と、フォアマンを挑発しながら。
フォアマンの、スタミナ切れを待っていたのである。(=ロープ・ア・ドープ)
しかし2ラウンドも3ラウンドも「ロープ・ア・ドープ」をつづける展開に、一部の観客はブーイングを始めた。
「八百長か!?」などということばも聞かれた。
だが冷静にふたりの身体を観察していくと、フォアマンの汗の量が尋常じゃないことに気づく。
オーバーではなく、滝のように流れている。
フォアマンが6ラウンドあたりからガス欠気味になっていくのが誰の目にも明らかで、ここからアリのジャブとストレートが当たりだし、当たるたびに、フォアマンの身体から大量の汗が弾け飛んでいく。
そして8ラウンド―。
アリのワンツーがキレイに決まって、フォアマンの巨体はマットに沈む。
倒れる直前に「もう一発」決めるタイミングはあったが、深追いしないところにも美学が見て取れた美しいフィニッシュである。
アリはこうして、神話を創った。
敗れたフォアマンは、このあと精神を病みボクサーを引退、宣教師となり、長い闇を抜けてカムバック、45歳の最年長チャンピオンとなる。
まさに、酸いも甘いもじゃないか。
自分はMMA(総合格闘技)を専門とするものだが、すべての格闘技のなかでこの試合が最も好きで、機会を作っては観返している。
この競技の原始性が好きだとはいっているが、人生なんてつらいことのほうが多いのに、なんでリングに上がってまでつらいことすんの? と思うときがあるわけよ、さすがに。
それしか出来ないから、なんだよね、やっぱり。
宣教師やりながらリングに戻ってきたフォアマンなんか、まさにそうだろう。
だがアリなんて器用なひとだから、なんだって出来そうな気がする。
たぶん彼は、自分が最も輝ける場所を知っていたんだよ。
それが、リングだったという話で。
敗者フォアマンの人生をも含めて、自分は「キンシャサの奇跡」の物語が好き。
この物語に相応しいことばを、映画『セブン』(95)でモーガン・フリーマンがいっている。
「ヘミングウェイが書いていた。『この世は素晴らしい、戦う価値がある』と。後半の部分は賛成だ」
モハメド・アリ、6月3日死去。
享年74歳、合掌。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『俳優別10傑 海外「た行」篇(2)』
またドン・キングが映っている。
このひとは一時期の日本映画界でいう、「出たがり」奥山和由なのか・・・と皮肉をいいたくもなるが、マッチメイカーとしての才能は認めねばなるまい。
自分がキングの存在を知ったのは、同世代であれば皆がそうであろう、マイク・タイソンが出現した時期と重なる。
タイソンのそばには、決まってキングが立っていた。
このひとがタイソンをダメにした―という声もあるが、このひとの存在なくしてタイソンの悲喜こもごもを語れないのもまた事実。
高校生のころ、アリが神話化されるきっかけとなった「キンシャサの奇跡」をノーカットで観た。
冒頭のことばは、このリングの上にもキングの姿が認められたので、苦笑交じりに自分が呟いたヒトコトである。
アリが死んだ。
いろんなひとが、いろんな角度から―イスラム改宗やベトナム戦争への従軍拒否、パーキンソン病など―追悼のことばを記している。
だがここでは、それらのことには言及しない。
自分にとっては「キンシャサの奇跡」がすべてであり、そのほかのことは、敢えていうが猪木の試合も含めて遮蔽物でしかないから。
この試合、これ一点において自分はアリを世界最高のアスリートであると認識し尊敬しているのだった。
自分の生まれた、74年の出来事である。
ザイール(現コンゴ)の首都キンシャサで開催された、ボクシング・ヘビー級のタイトルマッチ。
マッチメイカーは前述したとおり、「金のにおいがする」ドン・キング。
しかし黒幕は当時の大統領、独裁者として名高いモブツ。
(在任期間は32年!!)
モブツはこの興行を成功に導き、権力のほかに名声をも得ようと企む―つまり極上のスポーツイベントは、政治利用されようとしていた。
試合会場となったナショナルスタジアムのちかくには、かつて処刑場があった。
沢山の運動家が粛清された場である。
識者はいう、「おびただしい血の上に、リングが作られたのだ」と。
試合の数日前から、沢山の黒人アーティストによる「歌とダンスの祭典」が催される。
まるで音楽フェスのようであり、メインがボクシングであることを忘れてしまうくらいだった。
サッカーW杯、五輪の誘致問題が報道される昨今だから、モブツばかりを責めるわけにもいかないだろうとは思う。
だが、アリとその相手ジョージ・フォアマンは、文字どおり死闘を繰り広げ、音楽の狂騒やモブツの政治利用を吹っ飛ばしてしまうのだった。
第1ラウンド。
フォアマンと拳をあわせたアリは気づいた、パンチの威力が違い過ぎる、ふつうにやったら「負ける。」と。
下馬評どおりといえばそうだが、「じゃあどうするか」を考えられるところにアリのスマートさがあった。
アリは敢えてロープを背にして、フォアマンのパンチを腕でブロックしつづけた。
両腕の隙間から「その程度のパンチか、それじゃあKOなんか出来ないぞ!」と、フォアマンを挑発しながら。
フォアマンの、スタミナ切れを待っていたのである。(=ロープ・ア・ドープ)
しかし2ラウンドも3ラウンドも「ロープ・ア・ドープ」をつづける展開に、一部の観客はブーイングを始めた。
「八百長か!?」などということばも聞かれた。
だが冷静にふたりの身体を観察していくと、フォアマンの汗の量が尋常じゃないことに気づく。
オーバーではなく、滝のように流れている。
フォアマンが6ラウンドあたりからガス欠気味になっていくのが誰の目にも明らかで、ここからアリのジャブとストレートが当たりだし、当たるたびに、フォアマンの身体から大量の汗が弾け飛んでいく。
そして8ラウンド―。
アリのワンツーがキレイに決まって、フォアマンの巨体はマットに沈む。
倒れる直前に「もう一発」決めるタイミングはあったが、深追いしないところにも美学が見て取れた美しいフィニッシュである。
アリはこうして、神話を創った。
敗れたフォアマンは、このあと精神を病みボクサーを引退、宣教師となり、長い闇を抜けてカムバック、45歳の最年長チャンピオンとなる。
まさに、酸いも甘いもじゃないか。
自分はMMA(総合格闘技)を専門とするものだが、すべての格闘技のなかでこの試合が最も好きで、機会を作っては観返している。
この競技の原始性が好きだとはいっているが、人生なんてつらいことのほうが多いのに、なんでリングに上がってまでつらいことすんの? と思うときがあるわけよ、さすがに。
それしか出来ないから、なんだよね、やっぱり。
宣教師やりながらリングに戻ってきたフォアマンなんか、まさにそうだろう。
だがアリなんて器用なひとだから、なんだって出来そうな気がする。
たぶん彼は、自分が最も輝ける場所を知っていたんだよ。
それが、リングだったという話で。
敗者フォアマンの人生をも含めて、自分は「キンシャサの奇跡」の物語が好き。
この物語に相応しいことばを、映画『セブン』(95)でモーガン・フリーマンがいっている。
「ヘミングウェイが書いていた。『この世は素晴らしい、戦う価値がある』と。後半の部分は賛成だ」
モハメド・アリ、6月3日死去。
享年74歳、合掌。
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明日のコラムは・・・
『俳優別10傑 海外「た行」篇(2)』