Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

不公平だが人間だもの

2016-06-04 00:10:00 | コラム
「―映画俳優組合には60000人の俳優が所属しており、俳優協会にも100000人ほどが所属しています。これらの俳優のほとんどに、仕事がありません。(中略)売れない俳優は脚本を書くことも、美術にかかわることも出来ません。彼らはタクシーの運転手で日銭を稼ぎながら、アクセントを練習しなければならないのです」

オスカー授賞式にて、ダスティン・ホフマンの発言より。

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映画の話と見せかけて、格闘技の話をふたつほど。

美女ボクサーとしてメディアが盛んに取り上げた、高野人母美。(トップ画像)

彼女は先日の会見で「次の試合で引退する」と発言、ジムにまったく相談していなかったことから金平会長が大激怒、

「次の試合もやらなくていい。やる気のないものをリングに上げるわけにはいかない」

と返され、高野は焦ってすぐに会長に謝罪、

最悪の結果(=追放)は逃れたものの、その「次の試合」はエキシビションに変更されてしまった。

禊が終わるまで、正式な試合はさせないということ。

ここでいう禊とは、ほかのファイター同様に、頻繁にジムに顔を出し、皆と同じように練習をすること。

当たり前のことのように思えるが、じつは彼女は、これをやっていなかった。
そのことを、会長自身も黙認していた。

なぜならジムにとって、特別な存在だったから。

高野ほど名の通った女子ボクサーは、現在の日本に居ない。
メディアに頻繁に登場することによって彼女はもちろん、ジムの宣伝にもなっていた。

彼女は広告塔として、必要な存在だったのだ。

ほかの女子ファイターで、高野を羨んでいたものは居たと思う。
不公平だ、、、と。

しかし実力はともかく、高野にはスター性があった。
不公平にはちがいないが、それもまた才能ということか。


もうひとり、溢れんばかりのスター性によって、首の皮一枚でつながっているファイターが居る。

山本“KID”徳郁。



たしかに彼の登場は、新鮮な驚きに溢れていた。

階級制が整っていないなかで、自分より重い階級の相手をなぎ倒していく。

未来は明るい! そう歓喜した格闘技ファンは多かったはずである。

だがときは経ち、こう評するのはつらいが、かつての輝きを放てなくなっている。

何度も何度も怪我をして、その度に試合が流れていく。

現在、北米のUFCに身を置くKIDは3連敗/無効試合/(怪我により)度重なる試合消滅、、、という、はっきりいって「なんの結果も残せていない」状態がつづいている。

さすがにリリース(=契約解除)か―と噂されているが、代表のダナ・ホワイトは未だ彼に最後通告を出していない。

もっと活躍し、タイトルマッチまで経験した日本人ファイターが、2敗しただけでリリースされた・・・ことに比べて、あまりにヒイキが過ぎないか。

きっとダナはいうだろう、「KIDにはスター性があるから」だと。


皆に公平であること―理想をいえばそうだろうが、そこは人間だもの、なかなかそういうわけにはいくまい。

ゆえに、特別な存在に対してアアダコウダはいいたくなるもの。

アイツはスターなんだもの、しょうがない。
壁にぶつかっているであろうふたりには、そう思わせるくらいの輝きを「もういちど」取り戻してほしい。


格闘技マニアからの、切なる願いなんだ。




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明日のコラムは・・・

『わたしが棄てたおんな 2016年版(前)』
コメント (1)
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