Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

にっぽん男優列伝(328)三船敏郎

2016-06-10 00:10:00 | コラム
20年4月1日生まれ・97年12月24日死去、享年77歳。
中国・山東省青島市生まれ。

公式サイト

あくまでも私見ですが、日本映画の黄金期、演技力とはちがうところで勝負し、結果的にそれで一時代を築いた俳優がふたり存在しました。

石原裕次郎と、三船敏郎(みふね・としろう)。

というわけで、いよいよ三船の登場です。
(黒澤・三船に関しては、敢えて敬称略で)

どうしましょう、書きたいこと・書くべきことが多過ぎて、どこから始めていいか分かりません。
まぁでも黒澤信者ですからね自分は、そこに絞って書くべきでしょう。

娘(内縁の妻との子)というだけで三船美佳さえ好きな自分ですが、はっきりいって、達者な演技をするなぁ! と感心したことはありません。
黒澤映画には森雅之や宮口精二のような、真に巧い俳優さんが登場しますから。

じゃあ三船の魅力はなんだったのかというと、あの佇まいだったのではないでしょうか。

ウチの父親は『七人の侍』(54)の菊千代役について、「ただ騒いで、怒鳴っているだけだ」と手厳しいです・・・が、自分も同意見だったりします。

ただ・・・というか、でも・・・というか、あの映画に関しては、それで正解だったような気もして。

自分は時代劇よりも現代劇の黒澤を「より」評価するものですが、『天国と地獄』(63)にしてみても、演技に関していえば、前日取り上げた三橋達也のほうが「はるかに」上手ですもの、だからやっぱり佇まい、表現を変えれば「雰囲気」で勝負した俳優だったと思うのです。




<経歴>

日本の占領下にあった山東省で生を受ける。
父親が写真館を開業したことから、三船自身も幼少の頃よりカメラに興味を抱くようになる。

40年に兵役につき、(航空写真を扱う)司令部偵察機の偵察員に。

終戦後―東宝の撮影助手になるため提出した志願書が「俳優部」に混じってしまったことから、「俳優志望」として面接を受けることになった。(と、されている)

その面接エピソードは映画ファンなら知っていることでしょう、多少「盛っている」気もしますが、このくらいの神話性があったほうが面白いですものねぇ。

「笑ってみてください」
「面白くもないのに笑えません」

あはは!

「態度に問題あり。」とされ、不合格に。

しかし、その場に居た高峰秀子は「ビビビッ!」ときて、黒澤に三船のことを伝えました。

こうしてふたりは出会ったのです。

ジョン・フォードにはジョン・ウェイン。
スコセッシにはデ・ニーロ。

そして黒澤には三船ですものね、高峰グッジョブ!!

映画俳優デビュー作は、47年の『銀嶺の果て』。

翌年、『酔いどれ天使』で黒澤と初タッグを組み、『静かなる決闘』(49)、『野良犬』(49)と立て続けに出演、黒澤映画に「なくてはならない」顔となりました。

それでは、代表作をドドドッと列挙していきましょう。





50年代

50年…『石中先生行状記』『脱獄』『醜聞』『羅生門』
51年…『白痴』『完結 佐々木小次郎 巌流島決闘』
52年…『西鶴一代女』『戦国無頼』『激流』
53年…『抱擁』『太平洋の鷲』
54年…『七人の侍』『宮本武蔵』『潮騒』
55年…『男ありて』『続宮本武蔵 一乗寺の決斗』『生きものの記録』
56年…『宮本武蔵 完結篇 決闘巌流島』『暗黒街』『囚人船』
57年…『蜘蛛巣城』『柳生武芸帳』『どん底』
58年…『東京の休日』『無法松の一生』『人生劇場 青春篇』『隠し砦の三悪人』
59年…『暗黒街の顔役』『独立愚連隊』

60年代

60年…『暗黒街の対決』『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』『悪い奴ほどよく眠る』
61年…『大坂城物語』『用心棒』

※『価値ある男』で、外国映画に初出演

62年…『椿三十郎』『どぶろくの辰』
63年…『天国と地獄』

※三船プロダクションを設立。
『五十万人の遺産』で、映画監督に初挑戦する。

65年…『侍』『血と砂』

※『赤ひげ』が、黒澤との最後のタッグとなる

66年…『大菩薩峠』『奇巌城の冒険』『グラン・プリ』
67年…『上意討ち 拝領妻始末』『日本のいちばん長い日』
68年…『黒部の太陽』『連合艦隊司令長官 山本五十六』
69年…『栄光への5000キロ』『赤毛』『新選組』


70年…『座頭市と用心棒』『幕末』『激動の昭和史 軍閥』
71年…『レッド・サン』
76年…『ミッドウェイ』
77年…『人間の証明』
78年…『柳生一族の陰謀』『お吟さま』『赤穂城断絶』
79年…『金田一耕助の冒険』『1941』

※三船プロから大量の離脱者が出る騒ぎが起き、経営難に陥る。
80年代に特筆すべき活躍が見られないのは、そのことによる・・・と断言していいでしょう。


80年…『二百三高地』
81年…『武士道ブレード』
83年…『日本海大海戦 海ゆかば』
84年…『海燕ジョーの奇跡』
87年…『男はつらいよ 知床慕情』『竹取物語』
89年…『千利休 本覺坊遺文』
91年…『兜 KABUTO』


99年12月24日―。
全機能不全により死去、享年77歳。

遺作は熊井啓の『深い河』でした。


自分は「そーとー」な数の映画を鑑賞していると自負する映画小僧ですが、俳優さんでいえば、デ・ニーロと三船の映画だけで「全体の3割」を占めているような気がするのです。

「気がする」っていうだけの話ですよ。

そのくらいのインパクトを、ひとりの映画小僧に与えたと。

月並みな表現で恐縮ですが、やっぱり、すんごいひとだったと思います。

海の向こうのコメディアンの、芸風にまで影響を与えているし。

ぜんぜん似てないけどね!!笑





次回のにっぽん男優列伝は、宮口精二さんから。

…………………………………………

明日のコラムは・・・

『ふきかえる』
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする