~秋山成勲の巻~
第一夜:秋山成勲のキャリアを我流紹介
第二夜:秋山成勲への手紙
きょうは、その第一夜。
インタビュアー「―試合は観ましたか」
桜庭和志「いや、観てません」
インタビュアー「なぜ?」
桜庭和志「…いや、観たいと思わなかったから」
※秋山VS三崎について
…………………………………………
秋山成勲(あきやま・よしひろ)は元柔道家であり、現役の格闘家。
格闘家としては世界の視点で捉えると評価は高い。
しかし、ある一件(後述する)により日本ではA級戦犯的な扱いを受けており、どう挽回しようが正当な評価は得られないと思われる。
妻はモデルのSHIHO。
在日韓国人四世。
柔道家時代、代表選出を狙って韓国に渡るが叶わず。
それでも代表の夢を諦めきれず、日本国籍を取得する。
秋山「韓国でも日本でも認められず、だから結果に飢えていたのかもしれません」
なんとしてでも認められたい、結果がほしい―その思いからの発想か、
「道着を滑り易くして有利に試合を進めるために、母親が柔軟剤のハミングを使って洗っている」と発言(=フジテレビ『ジャンクスポーツ』)、
実際に世界選手権において、秋山と対戦した選手が口々に「柔道衣が滑る」と抗議した。
つまり秋山には、本人が認めるとおり「前科」(=柔軟剤を使ってはいけない、、、という規則はないけれど)があった。
2004年―それでも柔道の世界でトップにはいけないことを悟った秋山は、総合格闘技に参戦する。
階級無視の対決などでは敗北するも、ずば抜けた身体能力でHERO’Sライトヘビー級トーナメントで優勝を飾る。
「―チャンピオンになってしまいました。桜庭さん、じっくり治して、大晦日!」
2006年、大晦日。
桜庭和志との対戦が実現、TKO勝ちをおさめるも、桜庭側が「足がすべる」と猛抗議。
(VTRで検証すると、桜庭は試合中から中断を要求していることが確認出来る)
「汗とオイルの滑りのちがいくらい分かりますよ!」
1月11日、試合結果はノーコンテストに覆される。
元日には「自分はひどい多汗症で、ウォームアップをすると握った手から汗が滴り落ちるほど汗が出る」とコメントしていた秋山だったが、
11日の会見では「全身にアメリカ製のスキンクリームを塗っていた」ことを認めている。
「無期限出場停止」の身となったものの、翌年10月に韓国で復帰戦をおこなう。
同年大晦日、「禊マッチ」と位置づけられるであろう三崎和雄戦がおこなわれ、顔面を蹴られてマットに沈む。
20数年間の格闘技観戦史において、あれほど一体感を覚えた試合はなかった。
それ以降も日本で試合をつづけるが、やまぬブーイングと(意に反する)マッチメイクに不満を抱き、2009年に米団体「UFC」に参戦。
いくつものファイト・オブ・ザ・ナイト(=最高試合)に輝き評価を受けるも、2018年にリリースされ現在にいたる。
それではあす、秋山への手紙をつづってみよう。。。
※一体感! 秋山を応援していたのは、セコンド以外に存在しないかのようで・・・。
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『『拝啓、〇〇様』(20)』
第一夜:秋山成勲のキャリアを我流紹介
第二夜:秋山成勲への手紙
きょうは、その第一夜。
インタビュアー「―試合は観ましたか」
桜庭和志「いや、観てません」
インタビュアー「なぜ?」
桜庭和志「…いや、観たいと思わなかったから」
※秋山VS三崎について
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秋山成勲(あきやま・よしひろ)は元柔道家であり、現役の格闘家。
格闘家としては世界の視点で捉えると評価は高い。
しかし、ある一件(後述する)により日本ではA級戦犯的な扱いを受けており、どう挽回しようが正当な評価は得られないと思われる。
妻はモデルのSHIHO。
在日韓国人四世。
柔道家時代、代表選出を狙って韓国に渡るが叶わず。
それでも代表の夢を諦めきれず、日本国籍を取得する。
秋山「韓国でも日本でも認められず、だから結果に飢えていたのかもしれません」
なんとしてでも認められたい、結果がほしい―その思いからの発想か、
「道着を滑り易くして有利に試合を進めるために、母親が柔軟剤のハミングを使って洗っている」と発言(=フジテレビ『ジャンクスポーツ』)、
実際に世界選手権において、秋山と対戦した選手が口々に「柔道衣が滑る」と抗議した。
つまり秋山には、本人が認めるとおり「前科」(=柔軟剤を使ってはいけない、、、という規則はないけれど)があった。
2004年―それでも柔道の世界でトップにはいけないことを悟った秋山は、総合格闘技に参戦する。
階級無視の対決などでは敗北するも、ずば抜けた身体能力でHERO’Sライトヘビー級トーナメントで優勝を飾る。
「―チャンピオンになってしまいました。桜庭さん、じっくり治して、大晦日!」
2006年、大晦日。
桜庭和志との対戦が実現、TKO勝ちをおさめるも、桜庭側が「足がすべる」と猛抗議。
(VTRで検証すると、桜庭は試合中から中断を要求していることが確認出来る)
「汗とオイルの滑りのちがいくらい分かりますよ!」
1月11日、試合結果はノーコンテストに覆される。
元日には「自分はひどい多汗症で、ウォームアップをすると握った手から汗が滴り落ちるほど汗が出る」とコメントしていた秋山だったが、
11日の会見では「全身にアメリカ製のスキンクリームを塗っていた」ことを認めている。
「無期限出場停止」の身となったものの、翌年10月に韓国で復帰戦をおこなう。
同年大晦日、「禊マッチ」と位置づけられるであろう三崎和雄戦がおこなわれ、顔面を蹴られてマットに沈む。
20数年間の格闘技観戦史において、あれほど一体感を覚えた試合はなかった。
それ以降も日本で試合をつづけるが、やまぬブーイングと(意に反する)マッチメイクに不満を抱き、2009年に米団体「UFC」に参戦。
いくつものファイト・オブ・ザ・ナイト(=最高試合)に輝き評価を受けるも、2018年にリリースされ現在にいたる。
それではあす、秋山への手紙をつづってみよう。。。
※一体感! 秋山を応援していたのは、セコンド以外に存在しないかのようで・・・。
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明日のコラムは・・・
『『拝啓、〇〇様』(20)』