特別企画の第四夜は、音楽との関係性について。
誰が最初にいったのか、井上ひさしだった気もするけれど、ごく稀に「映像と音楽の幸福な結婚」が起こることがある。
ことばなんか要らない、絵と音だけで充分。
ソコを目指す監督も多いが、たとえばそれが5分以上つづく映像表現となると、そこには「おおいなる勇気」が必要になってくるわけで。
スピルバーグとスコセッシは偶然にも97年に、同じような志で映画表現と対峙している。
前者は、船上での黒人たちの扱いのむごさを「ほぼ台詞なし」で表現した『アミスタッド』、
後者は、ダライ・ラマのインド亡命をフィリップ・グラスの音楽にあわせて表現した『クンドゥン』。

ともに名場面だが、原作ではわずか数行に過ぎぬ遍路の描写をクライマックスに持ってきた『砂の器』(74)の、確信と野心のほうが上回っている気がするのよね^^
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『年末特別企画 この技術がすごい!(5)』
誰が最初にいったのか、井上ひさしだった気もするけれど、ごく稀に「映像と音楽の幸福な結婚」が起こることがある。
ことばなんか要らない、絵と音だけで充分。
ソコを目指す監督も多いが、たとえばそれが5分以上つづく映像表現となると、そこには「おおいなる勇気」が必要になってくるわけで。
スピルバーグとスコセッシは偶然にも97年に、同じような志で映画表現と対峙している。
前者は、船上での黒人たちの扱いのむごさを「ほぼ台詞なし」で表現した『アミスタッド』、
後者は、ダライ・ラマのインド亡命をフィリップ・グラスの音楽にあわせて表現した『クンドゥン』。

ともに名場面だが、原作ではわずか数行に過ぎぬ遍路の描写をクライマックスに持ってきた『砂の器』(74)の、確信と野心のほうが上回っている気がするのよね^^
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明日のコラムは・・・
『年末特別企画 この技術がすごい!(5)』