Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

シネマしりとり「薀蓄篇」(439)

2022-12-12 00:10:00 | コラム
く「つ」→「つ」ま

ヒロインというわけでなく。
かといって、もちろん「おかざり」ではない。

子どもが居るので「おかあさん」「ママ」ともいえるが、おかあさん「である前に」妻である、、、という。

描きかたによって、その役割が微妙にちがってくる。
これが物語を物語る面白さ。

以下、「妻」として印象に残る映画のなかのおんなたち。


『フィールド・オブ・ドリームス』(89)

「―いいえ、あなたは50年代を2度生きて、70年代に来てしまったのよ」


こういう啖呵を切ることが出来るひとで、旦那も観客も救われた。


『HANA-BI』(98)

「おしゃべり」のイメージが強い岸本加世子に台詞を与えず、最後の最後に、二言だけ喋らせる―北野武の計算は大正解で、抜群の効果をあげている。



『エイジ・オブ・イノセンス』(93)

じつは主人公の精神的不貞を知っていた???

♪可愛い顔して、あの娘 割とやるもんだねと♪ という歌があったが、そのすべてを理解したうえで結婚を守り切った妻ウィノナ・ライダーの、一見あどけないが「その実」おっそろしい裏工作?をクールに種明かしして、観客もゾッとする思いがした。



『わらの犬』(71)

バカにされコケにされても怒ることが出来ぬ主人公ダスティン・ホフマンは、妻を守ることも出来ず、とうとう犯されてしまう。

暴力の発火点とその余波を描いたサム・ペキンパーの佳作だが、妻役スーザン・ジョージが可憐であればあるほど悲劇性が浮かび上がるので、ペキンパーの映画にしては珍しく(というと語弊があるのか)女優の撮りかたに異様に気を使っている―ように見えた。


『蜘蛛巣城』(57)

黒澤流マクベス。
先日、午前十時の映画祭で久しぶりに鑑賞。

いやー、デジタル修復ありがたい。
黒澤映画のなかでも「ワースト」といえるほどに音声の状態が悪く、台詞の約半分(大袈裟でなく!)が聞き取れず、みな雰囲気で「分かったふり」をしていたはず。

今回、8割強が聞き取れるようになっていてストレスが「かなり」軽減された。

・・・と、感謝しつつ、でも山田五十鈴の怖さって、台詞の聞き取りづらさ「をも」含めたものかもしれない、、、などと自分勝手なことを思ったりもしちゃった(^^;)



あすのしりとりは・・・
つ「ま」→「ま」ーく。

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明日のコラムは・・・

『シネマしりとり「薀蓄篇」(440)』
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