Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

をんな三四郎

2012-05-16 00:15:00 | コラム
ロンドン五輪で、個人的に楽しみにしている・期待していること・ヒト。

(1)開会式の演出

疾走感を描写するのが得意な、映画監督ダニー・ボイルが担当するから。
長~~~~い式典を、スピーディに見せて・魅せてほしい。

(2)女子柔道

52kg級の中村美里。(トップ画像・・・後述する)

(3)女子体操

田中理恵。
年齢を考えると、彼女にとっては最初で最後の五輪になるから。

(4)男子陸上

ハンマー投げの室伏広治。
メダルは当確なんじゃないか。

(5)男子柔道

豪快な男子よりもスピード重視の女子のほうが観ていて面白いのだが、もちろん期待していないわけじゃない。

(6)女子レスリング

もちろん吉田沙保里。
ただ時代がちがっていたら、ここに山本姉妹もからんでくるのになぁ、、、と少し残念。

(7)女子バレー

まだ決まったわけじゃないが、出られるっしょ?
狩野舞子が好きだ。

(8)女子サッカー

パスのつなぎでパワーサッカーに対抗、面白い・・・のは確かだが、とりあえず鮫島彩が見たい。

(9)男子サッカー

なでしこ以上のインパクトを残してほしい。

(10)女子卓球

石川佳純。
意外と負けん気が強くて、試合は愛ちゃんよりも面白いと思う。


なんだ、ほとんど女子ばっかりじゃないかって?
しかも格闘技好きを自称するクセして、ボクシングやテコンドーが入ってないじゃないかって?

ボクシングに関しては、メダルよりもベルトこそ相応しいと思うから。
たった1試合のためだけに数ヶ月前から準備する過程、そこにドラマがあるはずなので、数日間でおこなわれるトーナメントには魅力を感じない。
ちなみにテコンドーは、11番目に期待している。(新星の笠原江梨香も居るし!)

女子ばかりなのは助平だから・・・ではなく、いや、完全否定すると嘘になるが、
日本人が上位にからんでくる確率は女子のほうが多いであろうし、
競った試合、拮抗した戦いこそスポーツだと思う自分にとっては、やはり女子に注目してしまうのだよね。

今回、最も期待しているのは女子柔道の中村美里。
別名、女三四郎である。

ずっと応援しているが、機は熟した、前回は銅、こんどこそ金を狙える実力が宿っているはず。

とにかく佇まいが格好いい。
代表を決めた先日の試合―敗れた永遠のライバル・西田優香を気遣う姿を見て、本番はこれからだというのに泣けてしょうがなかった。

ふたりが出場して金銀制覇、、、なんてことも可能なのに、枠はひとつしかない。
過酷な世界だが、それが決まりなのだよね。


けっこう多くのひとが言及することだが、自分もやっぱり、既に頑張っているひとに頑張れ! というのは、なかなかいえない。
だからとりあえず、負けんな! と記しておきたい。


※中途半端ではあるものの、自分だって柔のひとではある。
だから印象に残る試合となれば、このふたつを挙げる。





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明日のコラムは・・・

『master、piece!!』


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シネマしりとり「薀蓄篇」(4)

2012-05-15 00:15:00 | コラム
むせいえい「が」→「が」ーるずむーびー(ガールズムービー)

大雑把に青春映画と括られていたジャンルを性別で分けるようになったのは、ごく最近のこと。

少なくとも20世紀は「ボーイ・ミーツ・ガール な物語」というような表現はあったが、
女子主体の映画であっても、ガールズムービーとは称されていなかった。

女子主体の映画が新しいものかといえば、もちろんそんなことはない。
高峰秀子や久我美子が主演、直球タイトルの『女の園』なんて54年制作であるし。

そうガールズムービーとは、女子のための映画というより、女子キャラクターを中心に物語が展開される映画を指す。
女子のための映画となると、イケメン鑑賞を最重要とした作品も含まれてしまうから。(広義の意味で捉えれば、黒澤による国策映画も、ひめゆりの物語も、ガールズムービーということなのだ)

ソフィア・コッポラの監督デビュー作『ヴァージン・スーサイズ』(99)や、演劇少女がワンサカ出てくる『櫻の園』(90=トップ画像)あたりが、ガールズムービーの王道? だろう。

とくに五人姉妹の自死を描く『ヴァージン・スーサイズ』は、こうした物語を感傷に流されずポップに仕上げたところが「男の監督では、とてもじゃないが、こうは出来ない」と評価され、実際、上映した渋谷シネマライズは「イケてる?」女子で満員となったのであった。
ガールズムービーという括りでメディアが特集を組み始めるのはこのころで、つまりこのことばは今世紀の頭あたりに誕生したと思われる。

では女子しか楽しめないのかというと、そんなこともなく。
だって男子は、女子を眺めているだけで幸福になるイキモノなのだから。

というわけで。
きったねー男子の視点で選出した、珠玉のガールズムービーをいくつか挙げてみる。

面白いといったらいいのか、これらの作品はすべて「きったねー男の監督」の手によって生み出されている、、、ということ。
だから一部の女子から「結局、男の幻想で描かれたもの」というクールな? 感想も聞かれたりするのだが、
それは確かにそうなのだろうな、だからジェーン・カンピオンや西川美和、タナダユキ、キャスリン・ビグローあたりに「ナマ」な女子を描いてほしい・・・とも思ったり。


ちなみに「ガール」だからといって、キャラクターは必ずしもティーンエイジャーというわけではない。


『乙女の祈り』(94)

ニュージーランドで「しこしこ」と映画を撮っていたピーター・ジャクソンが、ハリウッドに注目されるきっかけとなった傑作。
実際に起こった少女たちの「親殺し」の物語を、奇妙奇天烈な演出で描く。

文末の予告編を確認してもらいたいが、このころのケイト・ウィンスレット(=『タイタニック』)、ぜんぜん美人じゃないのがいい。

『フライド・グリーン・トマト』(91)

女子ウケがいい―という意味においては、トップクラスの物語。

老婆と中年女性の友情物語は、きったねー映画小僧のこころをも動かした。

『テルマ&ルイーズ』(91)

遅れてやってきた、女子版のアメリカン・ニューシネマ。

痺れるほどの格好よさ。

『フォクシー・レディ』(80)

ジョディ・フォスターがまだアイドル? だったころに主演。
当時としては最先端な語り口で、少女たちのセックスやドラッグを描いた。

それもそのはず、監督は「あの」エイドリアン・ラインなのだ。

『ゴーストワールド』(2001)

新感覚のガールズムービー。
原作漫画にあったオフビート感をそのまま表現した演出も素晴らしく、キャラクター全員が輝いている。

ただ残念なのは、主演したソーラ・バーチは当時「期待の星」ナンバーワンだったはずだが、
友人役のスカーレット・ヨハンソンだけが躍進して現在に至っている、、、ということ。






次回のしりとりは、がーるずむー「びー」→「ひ」ーろーえいが。

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シネマしりとり「薀蓄篇」(3)

2012-05-14 00:15:00 | コラム
ルーカス・フィル「ム」→「む」せいえいが(無声映画)

※村木与四郎のはずだけれど、事情があって変更。


音声、色彩を「獲得」する。
モンタージュを「開発」する。
特撮技術が「進化」する。
CG技術を「導入」する。
デジタル化への「移行」が加速する。

映画「技術」史において「最大の」エポックメイキングとは、おそらくモンタージュ理論の「発見」・・・なのではないかと個人的には思うけれど、
映画が現実を映す鏡と捉えた場合、その定義を補強したのは音声と色彩だった、、、のかもしれない。

部分的にトーキー化された映画はいくつかあったものの、
全編に音声をつけたトーキーの第一号は、27年の『ジャス・シンガー』だった。
「お初」について“のみ”言及されるという、ある意味では不幸な映画で、じつは物語そのものもよく出来ている、、、と思うのだが。


それ以前はサイレント(無声映画)がふつうで、本年度のオスカー受賞作『アーティスト』(2011)によって、このころの映画が再評価というか、再び注目を受けている。

確かに「至れり尽くせり」な過剰演出―でも、決して批判ではない―に慣れてしまった現代の観客からすれば、えらく新鮮に映る。

ただ日本にかぎっていえば、『アーティスト』は興行的な面で成功したとはいい難い入りだった。
初日、5日目、10日目と劇場を覗いてみたけれど、だいたい3割程度の入り。
オスカー受賞作がこれでは、あまりにも寂しい。

年齢層も高めで、自分より下の世代がほとんど居ない。
若いひとが新しいものに触れるというよりか、年配のひとが当時を懐かしんでいるようにも見える・・・というのが、まぁそれでもいいのだけれど、若い監督の映画なのだから、ちょっともったいないなぁと思った。


74年生まれの自分は、もちろん無声映画の時代を生きていない。
いないけれど、映画祭の企画や野心的な監督(メル・ブルックス!!)の実験映画によって、いくつかの無声上映? に触れることが出来た。

そのなかで最も鮮烈だったのが、ソ連制作、映画史的にとても重要とされる作品『戦艦ポチョムキン』(25)である。(トップ画像のポスターが、「異常なほどに」格好いい)

調布市の映画祭の特別企画で、この名作が生オーケストラの演奏つきで上映されたのだ。

モンタージュの生みの親とされるセルゲイ・エイゼンシュテインの代表作であり、勉強のために繰り返しビデオ鑑賞をしていた―はずなのに、オーケストラの効果もあって、まったくのベツモノを観ているようだった。

こういう企画はどんどんやるべきだが、このときもやっぱり、劇場を埋めたのは年配のひとだった。

ほんとうは若いひとが「浴びるべき」なのだけれど、なかなかそういうわけにはいかないのか。

しかしフリッツ・ラングの『メトロポリス』(27)特別上映時は、どういうわけか若者がいっぱい居た。
SFというジャンル、
しかも音声監修がジョルジオ・モロダーという「ディスコ・サウンド」の先駆者だったから、、、なのかもしれない。


現在―劇場で触れる機会は稀ではあるものの、
チャップリンや小津映画のファンであれば、初期作品はすべて無声映画なのだから、DVD鑑賞で「その味わい深さ」を堪能した若い映画好きも居ることだろう。

お薦めは小津の『生まれてはみたけれど』(32)だが、
爆音映画祭があって『アーティスト』もあって、
個人的な好みをいえば「ひたすら、くっちゃべっている」スコセッシ映画のような饒舌系、あるいは女優が「あんあん喘ぐ」絶叫系が大好きではあるものの、
この幅広さが持続しているかぎり、映画は死なないんだ―と、なんだか前向きになれる? のであった。


※メトロポリスの予告編




次回のしりとりは、むせいえい「が」→「が」ーるずむーびー、へとつづく。

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アカルイハダカ

2012-05-13 00:15:00 | コラム
でっか!

形、よすぎ!!

しかもピンク、ついでにいえば、ちゃんと勃っているのが素晴らしい!!!


男子だけに起こる現象かもしれないが、
ときどき、女優のハダカやパンツに目がくらみ、ちゃんと映画の評価が出来ない場合がある。

懐かしいことをいえば、アトム・エゴヤンの『エキゾチカ』(94)に登場する女子高生とか、
『21グラム』(2003)も傑作ではあるが、ナオミ・ワッツの乳首が拝めなかったら、あるいは評価を下げていたかもしれない。

映画はエロスと暴力なんだから、それでいいじゃないか―と自分に優しく解釈し、話を進めることにする。

日本映画『ヘルタースケルター』の試写を観てきた。
7月14日公開だから、そろそろ芸能ニュースで取り上げられることだろう。

岡崎京子の原作漫画が大好きで、繰り返し読んでいる。
自分、もちろん論じる際の比較対象として原作/映画を比べる場合はあるが、原作の精神に反するものでないかぎり、どこを変更しようが削ろうが増やそうが「監督の自由」だと思っている。だからあんまり、「ここがちがう!」だの「誰それが出てこない!」だの怒ったことはない。

蜷川実花の演出は『さくらん』(2007)のころに比べて数段上達していて、描写の意図するところも分かり易く、あぁなるほどなと感心して最後まで観ることが出来た。

まぁそれよか注目は、なんといっても主演の沢尻エリカだろう。
人間性はどうだか知らんが、個人的にあの身体が大好きなのだった。

「これに出る以上、脱がなきゃ始まらないのだが、その勇気あるんか?」―原作を知るものは、誰もが思ったはずである。
デブ専の風俗嬢が全身整形する話、、、なのだから。

背中で誤魔化す程度だったら、映画にまでする必要性は感じられない。
さぁどうするね? と思ってスクリーンに臨んだら、始まってすぐにおっぱいが飛び込んできた。

なんかもうそれだけで、得した気分。

その感想が、冒頭3行の無意味なことばたちである。


彼女の独特なキャリアを考えれば、まぁ悪くない選択だと思う、この時点で脱いだのは。
CMでもセルフパロディみたいなことをやっているが、自分で芸域を狭めた感があるのだから覚悟のうえだろう、むしろ自分は格闘映画で女戦士みたいなキャラを演じてほしいが、どちらにせよ堕ちた印象は抱かない。
抱かないのだが、世間はどうやらそうでもないらしい。

実際に脱いでいることが報じられた、数日前の芸能ニュースのコメント欄には

「おせーよ、もうちょい若いころに脱いでほしかった」
「いよいよ堕ちるところまで堕ちたか」
「観たくもない」
「はーい、AV決定」
とか、いろいろ否定的なことが書かれている。

同じような女のハダカでヌいているクセして、よくいうぜ、、、と思うが、まぁ書き手は女子である可能性もあるよね。

この手の批判的な書き込みの「使いまわし」感に、腹が立ってくる。
悪口書いてもいいんだが、もっとハッとさせる内容のが読みたいというかね、
10年前の「脱いだ女優」に対するコメントと、沢尻に対するコメントが「ほぼ一緒」であることに気づいてゾッとし、
なにが「現代は双方向の時代」だよ、その程度の感想をいちいち発信することに意味なんかないじゃないかって思うのだ。

だったら「あざーーーーっす。今晩のおかずにします」と露骨に性的表現をしている連中のほうが、可愛げがあるってもんだ。


まぁ極端な話をすると、堕ちてなにが悪いかって思うけれどね。
面白いじゃない、小向美奈子のイキザマとか。

そういう意味で―というと語弊があるかもしれないが、まもなくAKBを辞めるセンター前田あっちゃんの女優キャリアが気になる。

お世辞にも巧いとはいえないが、とりあえずオファーは殺到らしい。
最初に選んだのが『苦役列車』というのは、意外性があって面白いじゃないか。

この映画では(もちろん?)脱いでいないが、
この先の数年で脱いでくれれば、あるいは、ガガの登場で居場所をなくしたブリトニーのように、
完全に沢尻を喰ってしまう展開だって期待出来る、、、かもしれない。


※『苦役列車』予告編
ほんとうは『8マイル』や『タクシードライバー』のような空気を創ってほしかったんだが、
まぁでも、山下監督だから「けっこうちゃんとしている」映画になっている、、、ような気がする。




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そんなにウチが、好きなんかい?

2012-05-12 03:50:50 | コラム
きのうのオチはウンチだったが、きょうはメインテーマのほうがウンチである。

書き手の人間性がクソなのだもの、文中に過剰なほどザーメンやウンチが出てきても、それはしょうがないと思ってほしい。


香港で活躍していたころのほうが「のびのび」していた感があるが、
ジョン・ウーという映画作家が好きである。

ウーのスタイル「二丁拳銃」も「スローモーション」も好き、
彼の映画に必ず登場する「鳩」だって好きだが、
あくまでもウーの映画の鳩が好きなのであって、実際の鳩は大嫌いである。

キラワレモノとされるカラスのほうが好き。
頭もいいし、真っ黒な見た目も美しい。

ついでにいえば、最も嫌いな、唾棄すべきとさえ思う政治家は鳩山由紀夫だ。
名前の時点でアウトだし、あんな顔したひとは日本から外に出ないでほしい。恥ずかしいから。
(逆に最も好きなのは、橋本龍太郎。好きなほうも嫌いなほうも、政策や実績は無関係なんだけど)

いまの団地に住むまでは、それほど嫌いではなかったのだが。

両隣が空き部屋のままだからだろうか、自分の部屋を含めた3つの部屋のベランダが、彼ら彼女らの憩いの場? となっている。

来るぶんには構わないんだ、クソさえしなければ。

いや分かっている、ベランダをネットで覆えばいいのだろう。
実際、そういう住人は多いし。
ただそれでは、最上階に住む開放感がなくなってしまう。
平屋住まいがつづき、二階以上、とくに最上階に憧れてきたんだ、思いっきり高層(というほどの高さではないけれど)の感慨に浸りたいじゃないか。
鳩のクソごときで、そこまでしたくないという気持ちがあるのだ。

そこまでしたくない―とは記したものの、もう我慢ならんと、ン千円もするスプレーを買った。
権威主義に弱い? 自分、大学が開発したという宣伝文句を信じ切っての購入であったが、確かに100%の効き目があった。

へぇ、鳩はこの臭いがダメなんだ。

そう、初めて嗅ぐ臭いではない。
なんの臭いかは表現出来ないのだが、これまでに「けっこうな頻度で」嗅いできた臭いなのである。

繰り返す。
100%の効き目があった。

あった。
のだが、撒いたところしか効果がない―ということが判明。

当たり前じゃないか、って?

いや、だから、撒けば「その周辺」も効果があると思うのがふつうでしょう、しかし、そこから10cm離れると、もう効果がないんだ。
ということは、ベランダにくまなくスプレーを撒きつけなければならない。

で、撒いてみたのだが、鳩のクソヤロウどもは「臭いのないところ」を探し、意地でもウチのベランダでクソをしようとしやがる。
どこかというと、洗濯機やエアコン室外機の上部なのだ。

え、ここにまで撒かなければダメなの?

こりゃたいへんだ、と思った。

人体には無害、というけれど。
布団も干したいわけでね。

ベランダ全体となると、2日に1度撒いたとして、スプレー1缶は一月ももたないだろうし。

鳩のクソごときで、、、と、結局思うわけだ。


ただ鳩にも学習能力があるようで、これを数ヶ月繰り返せば、寄りつかなくなってくるそうである。

いまは、それを信じるほかないだろう。
なんつったって、大学様? が開発したのだから。


というわけで。
鶏もカラスも好きだが、鳩は嫌いだ。大嫌いだ、殺意を抱くほどに。


ただし鳩胸は、愛嬌があって? 好きだ。


※これが、ジョン・ウーの世界である。
この創りこみは極めて映画的、素晴らしい。あぁ素晴らしい。
鳩は、最後の最後で登場。
それまではもう、撃ちっ放し爆発しっ放し。




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