Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

黙りなさい―と、映画の神はいっている

2012-05-22 01:15:00 | コラム
ウディ・アレンの新作映画『ミッドナイト・イン・パリ』について、批評家ロジャー・エバートはこう評す。

「誰にでも理解できる映画には、もう飽き飽きした。つまりそれは、誰のための映画でもないのだから。この映画はまさに“私のための映画”だった」

感動した。
感心する批評はあっても、感動する批評にはなかなか出会えない。

この「私のための映画」という感覚こそ、究極の映画「偏」愛。
こんな表現で映画批評をやっていいのは選ばれたひとだけ、、、という気もするが、そういや自分だって『タクシードライバー』(76)への偏愛は似たようなもので。

他者に「観たい」と思わせる表現が批評の定義だとすれば、これは禁じ手。
しかし映画を浴びれば浴びるほど・・・いや、もちろん、いっぽうで「沢山の映画を浴びたい」とは思っているのだが、毒にも薬にもならない映画はもういいよ、、、なんて気持ちにも襲われて。


だから―というだけの理由ではないが、映画祭に注目しエッジの効いた新作の出現を待っている。

カンヌ映画祭が開幕した。
CSチャンネル『ムービープラス』で開会式を観たが、総合司会のベレニス・ベジョ(=『アーティスト』のヒロイン役)が、いいことをいっている。

上映前の、観客のざわめき。
遡って、撮影中に飛び交う会話の数々。
もう少し時間を巻き戻せば、脚本家がキーボードを打つカタカタという音が聞こえてくる―。

映画の神は、それらのサウンドに対し「黙りなさい」と優しく諭す・・・という内容だった。

いかにもカンヌ的な、ひねりの効いたスピーチ。

カンヌだけでなくベルリンやベネチア、ほかにもモントリオール、シトヘス、サンダンス、夕張、釜山、東京などなど映画祭は世界中で開催されているが、「うちがいちばん」という自覚はカンヌが最も強い。
それだけの歴史を持つのだからそれは当然のことで、
自分が大好きな『タクシードライバー』も『地獄の黙示録』(79)も『ブリキの太鼓』(79)も『ワイルド・アット・ハート』(90)も『バートン・フィンク』(91)も『ピアノ・レッスン』(93)も『アンダーグラウンド』(95)も、みんなみんな、カンヌが発見した映画なのだった。

最高賞は、パルムドール(黄金のシュロ=トップ画像)と呼ばれる。
それを目指して本年も、世界各国から巨匠名匠鬼才異才奇人変人が大集合。

コンペ出品作→こちら

受賞作を的中させるのは、オスカーの3倍は難しいとされている、、、のは当然のことで、出品条件は「初披露」なのだから、つまり1本も観ていない時点で当てられるか! ってなものである。

であるが、敢えて予想。
というか、自分の希望を。


イランのキアロスタミによる『ライク・サムワン・イン・ラブ』は、日本人が出ている―高梨臨や加瀬亮―ので取ってほしいという気持ちもあるが、
カナダの変人デヴィッド・クローネンバーグは、カンヌでしか評価されない印象があるので、彼の『コズモポリス』に一票。

当たっても当たらなくても、この際、どうでもいい。

そんなことより、自分のための映画が出現してほしい―映画小僧の、切なる想いである。


ん?

なにいっているのか、分からん?

だからいったじゃない、「こんな表現で映画批評をやっていいのは選ばれたひとだけ、、、」って。

さて自分は映画の神に選ばれたのかどうか・・・それはちょっと、分からない。





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明日のコラムは・・・

『(再録)かーちゃんからの手紙』


コメント (3)
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