初体験シリーズ、きょうとあすは「喧嘩」について。
口ではなく、肉体がぶつかり合うほうの喧嘩。
少し前に知り合ったひとで、両耳が、いわゆるカリフラワー状態になっている年上の男性が居た。
「Aさん、なにかやられていたんですか」
「なにを?」
「柔道とかレスリングとか、それとも、ラグビーとか。耳が、カリフラワーだから」
「なんも、やってないよ」
「えっ、じゃあ、失礼ですけど、それは生まれつき?」
「喧嘩だよ、喧嘩」
「はぁ、喧嘩っすか」
「うん、毎日、喧嘩やってた。埼玉じゃ、けっこう知られていたんだよ」
「へぇ」
「まっき~みたいに柔道やっているひとにいうのは少し照れるけど、授業で柔道があってさ、」
「はい」
「オレ、どんなでかいヤツとやっても勝っていたし、柔道部の連中にも投げられなかったもん」
「すごいじゃないですか」
まぁ、最後のほうは少し合わせた自分が居る。
いや「はったり」は大事なことだから、どうなんかな、、、と思ったわけではない。
というか「はったり」と決めつけちゃあ失礼だろう、それに自分に凄んだところでなんの得もないのだから、ほんとうに喧嘩に明け暮れた青春時代を送ったのだと思われる。
自分がこの世で最も嫌い・苦手なタイプは「いきがっている」アンちゃんで、「オラオラ系」というのか、喧嘩上等だよ! みたいな連中に出くわすと、こっちもスイッチが入り、友人によると「ちょっと目つきが変わる」のだそうだ。
といっても、もちろん「受けて立つぜ」みたいな態度を取るわけじゃあない。
単に機嫌が悪くなるだけで、そりゃそうだろう、いちいち喧嘩を買っていたら、もう死んじゃっているかもしれないし。
たぶん、そういう連中の質の悪い遊び、つまり、いじめの標的に遭っていた過去がそういう反応を起こさせるのだろう。
上京してからナンヤカンヤがあって身体を鍛えたり、それを活かした? 仕事に就いたりと、そこそこの経験を積んできたつもりだが、たとえ殴るほうであったとしても拳が痛くなるわけだし、場合によっては「こころ」も痛くなる。
殴って爽快! なんて、映画『ダイ・ハード』(88)の奥さんくらいなものだと思う。スコセッシがいうように、「暴力は、格好いいものではない」のだ。
そんな自分が、初めて喧嘩をしたエピソードを。
18歳の、秋。
そう、デビューとしては、遅いほうでしょう。それまでは受け手専門? であり、殴られることは痛いことだということを身体は学習していたのだが、殴るほうだって痛いことは知らなかったのである。
場所は、調布市の路上。
新聞奨学生だった自分は、専売所前の路上で、同期Sとプロレスごっこに興じていた。
18歳にもなって・・・と思うが、こういうことで仲良くなっていく幼稚性が男子にはある。
「ごっこ」といっても小学生のそれとはちがう、
そこそこの腕力と(格闘技の)知識を有した成人間近な男子同士のプロレスなわけで、ある程度の見世物としては成り立っていたのだろう、ほかの同期や専業さんたちは観客となって盛り上がっていた。
その同期のひとりに、ちょっと扱いに困るМという男が居て。
そうすれば盛り上がると思ったのか、単に仲間に入りたいと思っただけなのか、
寝技対決を繰り広げる自分とSのリング? に飛び入りをして、自分の背中を(靴を履いたまま)蹴り始めたのである。
最初は笑っていたのだが、けっこう本気で蹴ってくる。
しかも靴のままだから、気分もよくない。
5回、6回、7回、8回と、キックはいっこうにおさまらない。
我慢出来なくなった自分は「ごっこ」であることを忘れ、Sを抑え込んでレフェリー役のCがカウントを取り試合は終了、笑顔で立ち上がろうとしたが、Mはまだ蹴ることをやめない。
こりゃ、怒らなきゃいけないな―そう思った自分は、いきなりMを突き飛ばした、、、のだが、このあと、喧嘩上等な連中でも予想出来ない驚愕の展開が待ち受けているのだった。
つづく。
※でも映画で喧嘩を「浴びる」のは、やっぱり楽しい。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
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明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(5)』
口ではなく、肉体がぶつかり合うほうの喧嘩。
少し前に知り合ったひとで、両耳が、いわゆるカリフラワー状態になっている年上の男性が居た。
「Aさん、なにかやられていたんですか」
「なにを?」
「柔道とかレスリングとか、それとも、ラグビーとか。耳が、カリフラワーだから」
「なんも、やってないよ」
「えっ、じゃあ、失礼ですけど、それは生まれつき?」
「喧嘩だよ、喧嘩」
「はぁ、喧嘩っすか」
「うん、毎日、喧嘩やってた。埼玉じゃ、けっこう知られていたんだよ」
「へぇ」
「まっき~みたいに柔道やっているひとにいうのは少し照れるけど、授業で柔道があってさ、」
「はい」
「オレ、どんなでかいヤツとやっても勝っていたし、柔道部の連中にも投げられなかったもん」
「すごいじゃないですか」
まぁ、最後のほうは少し合わせた自分が居る。
いや「はったり」は大事なことだから、どうなんかな、、、と思ったわけではない。
というか「はったり」と決めつけちゃあ失礼だろう、それに自分に凄んだところでなんの得もないのだから、ほんとうに喧嘩に明け暮れた青春時代を送ったのだと思われる。
自分がこの世で最も嫌い・苦手なタイプは「いきがっている」アンちゃんで、「オラオラ系」というのか、喧嘩上等だよ! みたいな連中に出くわすと、こっちもスイッチが入り、友人によると「ちょっと目つきが変わる」のだそうだ。
といっても、もちろん「受けて立つぜ」みたいな態度を取るわけじゃあない。
単に機嫌が悪くなるだけで、そりゃそうだろう、いちいち喧嘩を買っていたら、もう死んじゃっているかもしれないし。
たぶん、そういう連中の質の悪い遊び、つまり、いじめの標的に遭っていた過去がそういう反応を起こさせるのだろう。
上京してからナンヤカンヤがあって身体を鍛えたり、それを活かした? 仕事に就いたりと、そこそこの経験を積んできたつもりだが、たとえ殴るほうであったとしても拳が痛くなるわけだし、場合によっては「こころ」も痛くなる。
殴って爽快! なんて、映画『ダイ・ハード』(88)の奥さんくらいなものだと思う。スコセッシがいうように、「暴力は、格好いいものではない」のだ。
そんな自分が、初めて喧嘩をしたエピソードを。
18歳の、秋。
そう、デビューとしては、遅いほうでしょう。それまでは受け手専門? であり、殴られることは痛いことだということを身体は学習していたのだが、殴るほうだって痛いことは知らなかったのである。
場所は、調布市の路上。
新聞奨学生だった自分は、専売所前の路上で、同期Sとプロレスごっこに興じていた。
18歳にもなって・・・と思うが、こういうことで仲良くなっていく幼稚性が男子にはある。
「ごっこ」といっても小学生のそれとはちがう、
そこそこの腕力と(格闘技の)知識を有した成人間近な男子同士のプロレスなわけで、ある程度の見世物としては成り立っていたのだろう、ほかの同期や専業さんたちは観客となって盛り上がっていた。
その同期のひとりに、ちょっと扱いに困るМという男が居て。
そうすれば盛り上がると思ったのか、単に仲間に入りたいと思っただけなのか、
寝技対決を繰り広げる自分とSのリング? に飛び入りをして、自分の背中を(靴を履いたまま)蹴り始めたのである。
最初は笑っていたのだが、けっこう本気で蹴ってくる。
しかも靴のままだから、気分もよくない。
5回、6回、7回、8回と、キックはいっこうにおさまらない。
我慢出来なくなった自分は「ごっこ」であることを忘れ、Sを抑え込んでレフェリー役のCがカウントを取り試合は終了、笑顔で立ち上がろうとしたが、Mはまだ蹴ることをやめない。
こりゃ、怒らなきゃいけないな―そう思った自分は、いきなりMを突き飛ばした、、、のだが、このあと、喧嘩上等な連中でも予想出来ない驚愕の展開が待ち受けているのだった。
つづく。
※でも映画で喧嘩を「浴びる」のは、やっぱり楽しい。
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本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
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明日のコラムは・・・
『初体験 リッジモント・ハイ(5)』