むせいえい「が」→「が」ーるずむーびー(ガールズムービー)
大雑把に青春映画と括られていたジャンルを性別で分けるようになったのは、ごく最近のこと。
少なくとも20世紀は「ボーイ・ミーツ・ガール な物語」というような表現はあったが、
女子主体の映画であっても、ガールズムービーとは称されていなかった。
女子主体の映画が新しいものかといえば、もちろんそんなことはない。
高峰秀子や久我美子が主演、直球タイトルの『女の園』なんて54年制作であるし。
そうガールズムービーとは、女子のための映画というより、女子キャラクターを中心に物語が展開される映画を指す。
女子のための映画となると、イケメン鑑賞を最重要とした作品も含まれてしまうから。(広義の意味で捉えれば、黒澤による国策映画も、ひめゆりの物語も、ガールズムービーということなのだ)
ソフィア・コッポラの監督デビュー作『ヴァージン・スーサイズ』(99)や、演劇少女がワンサカ出てくる『櫻の園』(90=トップ画像)あたりが、ガールズムービーの王道? だろう。
とくに五人姉妹の自死を描く『ヴァージン・スーサイズ』は、こうした物語を感傷に流されずポップに仕上げたところが「男の監督では、とてもじゃないが、こうは出来ない」と評価され、実際、上映した渋谷シネマライズは「イケてる?」女子で満員となったのであった。
ガールズムービーという括りでメディアが特集を組み始めるのはこのころで、つまりこのことばは今世紀の頭あたりに誕生したと思われる。
では女子しか楽しめないのかというと、そんなこともなく。
だって男子は、女子を眺めているだけで幸福になるイキモノなのだから。
というわけで。
きったねー男子の視点で選出した、珠玉のガールズムービーをいくつか挙げてみる。
面白いといったらいいのか、これらの作品はすべて「きったねー男の監督」の手によって生み出されている、、、ということ。
だから一部の女子から「結局、男の幻想で描かれたもの」というクールな? 感想も聞かれたりするのだが、
それは確かにそうなのだろうな、だからジェーン・カンピオンや西川美和、タナダユキ、キャスリン・ビグローあたりに「ナマ」な女子を描いてほしい・・・とも思ったり。
ちなみに「ガール」だからといって、キャラクターは必ずしもティーンエイジャーというわけではない。
『乙女の祈り』(94)
ニュージーランドで「しこしこ」と映画を撮っていたピーター・ジャクソンが、ハリウッドに注目されるきっかけとなった傑作。
実際に起こった少女たちの「親殺し」の物語を、奇妙奇天烈な演出で描く。
文末の予告編を確認してもらいたいが、このころのケイト・ウィンスレット(=『タイタニック』)、ぜんぜん美人じゃないのがいい。
『フライド・グリーン・トマト』(91)
女子ウケがいい―という意味においては、トップクラスの物語。
老婆と中年女性の友情物語は、きったねー映画小僧のこころをも動かした。
『テルマ&ルイーズ』(91)
遅れてやってきた、女子版のアメリカン・ニューシネマ。
痺れるほどの格好よさ。
『フォクシー・レディ』(80)
ジョディ・フォスターがまだアイドル? だったころに主演。
当時としては最先端な語り口で、少女たちのセックスやドラッグを描いた。
それもそのはず、監督は「あの」エイドリアン・ラインなのだ。
『ゴーストワールド』(2001)
新感覚のガールズムービー。
原作漫画にあったオフビート感をそのまま表現した演出も素晴らしく、キャラクター全員が輝いている。
ただ残念なのは、主演したソーラ・バーチは当時「期待の星」ナンバーワンだったはずだが、
友人役のスカーレット・ヨハンソンだけが躍進して現在に至っている、、、ということ。
次回のしりとりは、がーるずむー「びー」→「ひ」ーろーえいが。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『をんな三四郎』
大雑把に青春映画と括られていたジャンルを性別で分けるようになったのは、ごく最近のこと。
少なくとも20世紀は「ボーイ・ミーツ・ガール な物語」というような表現はあったが、
女子主体の映画であっても、ガールズムービーとは称されていなかった。
女子主体の映画が新しいものかといえば、もちろんそんなことはない。
高峰秀子や久我美子が主演、直球タイトルの『女の園』なんて54年制作であるし。
そうガールズムービーとは、女子のための映画というより、女子キャラクターを中心に物語が展開される映画を指す。
女子のための映画となると、イケメン鑑賞を最重要とした作品も含まれてしまうから。(広義の意味で捉えれば、黒澤による国策映画も、ひめゆりの物語も、ガールズムービーということなのだ)
ソフィア・コッポラの監督デビュー作『ヴァージン・スーサイズ』(99)や、演劇少女がワンサカ出てくる『櫻の園』(90=トップ画像)あたりが、ガールズムービーの王道? だろう。
とくに五人姉妹の自死を描く『ヴァージン・スーサイズ』は、こうした物語を感傷に流されずポップに仕上げたところが「男の監督では、とてもじゃないが、こうは出来ない」と評価され、実際、上映した渋谷シネマライズは「イケてる?」女子で満員となったのであった。
ガールズムービーという括りでメディアが特集を組み始めるのはこのころで、つまりこのことばは今世紀の頭あたりに誕生したと思われる。
では女子しか楽しめないのかというと、そんなこともなく。
だって男子は、女子を眺めているだけで幸福になるイキモノなのだから。
というわけで。
きったねー男子の視点で選出した、珠玉のガールズムービーをいくつか挙げてみる。
面白いといったらいいのか、これらの作品はすべて「きったねー男の監督」の手によって生み出されている、、、ということ。
だから一部の女子から「結局、男の幻想で描かれたもの」というクールな? 感想も聞かれたりするのだが、
それは確かにそうなのだろうな、だからジェーン・カンピオンや西川美和、タナダユキ、キャスリン・ビグローあたりに「ナマ」な女子を描いてほしい・・・とも思ったり。
ちなみに「ガール」だからといって、キャラクターは必ずしもティーンエイジャーというわけではない。
『乙女の祈り』(94)
ニュージーランドで「しこしこ」と映画を撮っていたピーター・ジャクソンが、ハリウッドに注目されるきっかけとなった傑作。
実際に起こった少女たちの「親殺し」の物語を、奇妙奇天烈な演出で描く。
文末の予告編を確認してもらいたいが、このころのケイト・ウィンスレット(=『タイタニック』)、ぜんぜん美人じゃないのがいい。
『フライド・グリーン・トマト』(91)
女子ウケがいい―という意味においては、トップクラスの物語。
老婆と中年女性の友情物語は、きったねー映画小僧のこころをも動かした。
『テルマ&ルイーズ』(91)
遅れてやってきた、女子版のアメリカン・ニューシネマ。
痺れるほどの格好よさ。
『フォクシー・レディ』(80)
ジョディ・フォスターがまだアイドル? だったころに主演。
当時としては最先端な語り口で、少女たちのセックスやドラッグを描いた。
それもそのはず、監督は「あの」エイドリアン・ラインなのだ。
『ゴーストワールド』(2001)
新感覚のガールズムービー。
原作漫画にあったオフビート感をそのまま表現した演出も素晴らしく、キャラクター全員が輝いている。
ただ残念なのは、主演したソーラ・バーチは当時「期待の星」ナンバーワンだったはずだが、
友人役のスカーレット・ヨハンソンだけが躍進して現在に至っている、、、ということ。
次回のしりとりは、がーるずむー「びー」→「ひ」ーろーえいが。
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明日のコラムは・・・
『をんな三四郎』