特別企画の最後は、自分が表現で突き詰めていきたい「孤独」をテーマにしてみよう。
何度か取り上げている気もするけれど、個人的に、映画における最大のテーマがこれなので。
♪ ひとりじゃ孤独を感じられない ♪
と歌ったのは宇多田ヒッキーだが、ほんとうにそうで、その空間に他者が存在して初めて「あぁ自分、いま孤独かも・・・」などと思う。
たとえば。
かーちゃんが死んで数日を田舎で過ごし、東京に戻ってきた夜―。
ひとりで居るのが辛くなって息苦しくなって、金でもありゃ風俗にでも行くのだろうが、そんな余裕もない。
とりあえず、最寄りの多摩センター駅に向かう。
デパートで買い物をする家族。
弾き語りをするアンちゃん。
キャッキャいっているカップル。
彼ら彼女らを見て、一瞬だけこころ安らいだのだけれど、その直後、
なんというか、もう、抗いようのない孤独感で押し潰されそうになった。
でも絶望というものとは少しちがっていて、哀しいというよりは、この感情/状態とうまく付き合っていかなければいけないんだな、今後も・・・なんていう風に思ったりもしたのである。
(1)『タクシードライバー』(76)
トラビスは観るものに微笑み、そうして、突き放す。
「俺も、同じだから」とはいうけれど、慰めることはしないのだ。
そこが、この映画のいいところで、極端なことをいえば、この映画のすべて。
(2)『エレファント』(2003…トップ画像)
少年少女に寄り添い続けるガス・ヴァン・サントの、現時点における最高傑作。
登場人物のほとんどが孤独で、とくに犯人ふたりが「キスしたこともない」といってキスをするシーンは切なかった。
(3)『鬼火』(63)
アル中の男が自死するまでの48時間を描いた、ルイ・マルの代表作。
このために存在するかのような、サティの音楽が孤独を強調していて見事。
(4)『十九歳の地図』(79)
希少となりつつある新聞奨学生、すべてに捧ぐ。
無力を実感することと孤独を実感することは、ほとんど同じ―ということを、この映画で教わった。
(5)『ジョニーは戦場へ行った』(71)
最後の「help、me」が胸を打つ。
究極の孤独とは、こういうことをいうのかもしれない。
(6)『永遠と一日』(98)
詩人の最期の1日を映像美で描く、アンゲロプロス後期の代表作。
いつもそうだが、このひとの映像美の根っこには、寂寥感みたいなものがあってガツンとやられる。
(7)『ロング・グッドバイ』(73)
レイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』を、アルトマンが映像化。
トレンチコートを羽織らず、ヒトリゴトを連発する「新解釈の」マーロウ像が素晴らしい。
結末も原作とはまるで異なる印象だが、大都会の孤独を強調して秀逸。
さすがは、アルトマン。
(8)『真夜中のカーボーイ』(69)
相棒が居たって、孤独は孤独。
いや相棒がああなってしまうからこそ、ラストの孤独と絶望は強烈で。
(9)『カノン』(98)
「精一杯」開き直ったジジイの、アナーキーな日常。
ただ「精一杯」なので、最後の最後で臨界点に達する。
(10)『マッチ工場の少女』(90)
カウリスマキ、初期の傑作。
振り切った救いのなさ、孤独の深さ。
それをコメディとして提示する、チャレンジ精神に一票。
…………………………………………
本館『「はったり」で、いこうぜ!!』
前ブログのコラムを完全保存『macky’s hole』
…………………………………………
明日のコラムは・・・
『「かおり」より、「かほり」と記したほうが情緒がある。』
何度か取り上げている気もするけれど、個人的に、映画における最大のテーマがこれなので。
♪ ひとりじゃ孤独を感じられない ♪
と歌ったのは宇多田ヒッキーだが、ほんとうにそうで、その空間に他者が存在して初めて「あぁ自分、いま孤独かも・・・」などと思う。
たとえば。
かーちゃんが死んで数日を田舎で過ごし、東京に戻ってきた夜―。
ひとりで居るのが辛くなって息苦しくなって、金でもありゃ風俗にでも行くのだろうが、そんな余裕もない。
とりあえず、最寄りの多摩センター駅に向かう。
デパートで買い物をする家族。
弾き語りをするアンちゃん。
キャッキャいっているカップル。
彼ら彼女らを見て、一瞬だけこころ安らいだのだけれど、その直後、
なんというか、もう、抗いようのない孤独感で押し潰されそうになった。
でも絶望というものとは少しちがっていて、哀しいというよりは、この感情/状態とうまく付き合っていかなければいけないんだな、今後も・・・なんていう風に思ったりもしたのである。
(1)『タクシードライバー』(76)
トラビスは観るものに微笑み、そうして、突き放す。
「俺も、同じだから」とはいうけれど、慰めることはしないのだ。
そこが、この映画のいいところで、極端なことをいえば、この映画のすべて。
(2)『エレファント』(2003…トップ画像)
少年少女に寄り添い続けるガス・ヴァン・サントの、現時点における最高傑作。
登場人物のほとんどが孤独で、とくに犯人ふたりが「キスしたこともない」といってキスをするシーンは切なかった。
(3)『鬼火』(63)
アル中の男が自死するまでの48時間を描いた、ルイ・マルの代表作。
このために存在するかのような、サティの音楽が孤独を強調していて見事。
(4)『十九歳の地図』(79)
希少となりつつある新聞奨学生、すべてに捧ぐ。
無力を実感することと孤独を実感することは、ほとんど同じ―ということを、この映画で教わった。
(5)『ジョニーは戦場へ行った』(71)
最後の「help、me」が胸を打つ。
究極の孤独とは、こういうことをいうのかもしれない。
(6)『永遠と一日』(98)
詩人の最期の1日を映像美で描く、アンゲロプロス後期の代表作。
いつもそうだが、このひとの映像美の根っこには、寂寥感みたいなものがあってガツンとやられる。
(7)『ロング・グッドバイ』(73)
レイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』を、アルトマンが映像化。
トレンチコートを羽織らず、ヒトリゴトを連発する「新解釈の」マーロウ像が素晴らしい。
結末も原作とはまるで異なる印象だが、大都会の孤独を強調して秀逸。
さすがは、アルトマン。
(8)『真夜中のカーボーイ』(69)
相棒が居たって、孤独は孤独。
いや相棒がああなってしまうからこそ、ラストの孤独と絶望は強烈で。
(9)『カノン』(98)
「精一杯」開き直ったジジイの、アナーキーな日常。
ただ「精一杯」なので、最後の最後で臨界点に達する。
(10)『マッチ工場の少女』(90)
カウリスマキ、初期の傑作。
振り切った救いのなさ、孤独の深さ。
それをコメディとして提示する、チャレンジ精神に一票。
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明日のコラムは・・・
『「かおり」より、「かほり」と記したほうが情緒がある。』