今年鈴虫は玄関の隣の部屋に置いてあります。それでも鳴声は離れたここまで聞こえてきます。
夜、鈴虫の鳴声を聴くと、高校生のとき好きな科目の宿題は終えたのに、苦手なものはもうちょっともうちょっとと取りかかるのを先延ばしにして、この時期がくるといよいよタイムリミットがきたと机に向かわざるをえなかったことを思い出します。鳴声を聴くとそのときの気分までよみがえってくるのです。
この時期、昼は暑くても夜は涼しくなるので、机に向かって宿題をやったり、本を読んだりに集中できるようになるのです。でも酷暑の今年の夏の夜はまだ涼しくなりませんね。
あと鈴虫の鳴声を聴いて思い出すのは、30年くらい前になるでしょうか、母と父は毎年毎年熱心に松虫を孵化させて育てていました。母は研究熱心で鳴く虫の育て方の本を書いた方が講師の邯鄲(カンタン)の声を聴く集まりに出かけたり、その方の書かれた本を読んだりして、親しくなって、父を連れてお宅に出かけて行ったことも数回あります。
まだ小さな鈴虫もいます。
松虫とくらべ、鈴虫は飼い方がかんたんなので父母はたしか別々に飼っていました。
父はかめ(甕)で飼っていて、鳴く時期になるとかめの中で鳴声が共鳴しあって、爆発せんばかりでした。
それを父は枕元にくるよう布団を敷いて寝るのでした。「うるさくないの?」ときくと、いつも「全然うるさくない」との答え。ちなみに父は90歳で亡くなるまで、耳は遠くありませんでした。
私も、枕元には置きませんが、同じ部屋でもうるさいって感じたことはないです。夫や子供たちからも一度もうるさいって、言われたことないです。不思議といえば不思議。初めて飼う人は大抵うるさいって感じるみたいですね。
きっと、毎年数十年間晩夏から初秋に聞きつづけていると季節の音として聴こうとするときは聞こえて、そうでないときは季節の日常の音として耳がスルーしているのかもしれませんね。
今も沢山の鈴虫が盛んに鳴いている声がここまで聞こえてきます。
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