ここまで読んでくると「あたしはダメだぁ~」と思ってしまう人がでてくると思います。
「忍耐」するのも疲れそうだし、「努力」なんてトンデモないし、「根性」はどこで買えますか?って感じだし、「継続」するのとっても苦手。。。だから、実行できそうも無い、なんて思っていませんか?
稚恵子さんは、普通じゃ無いから、そーゆー事を簡単にできる人だと思っていませんか?
実際「努力」も「根性」も「忍耐」も、意識してやる事じゃありません。
そんな事、やる前に考えてしまったら、天性の怠け者で天下の面倒くさがり屋の私は、絶対にやらないでしょう。
あり得ない。
何が嬉しくて、苦労を背負わなくちゃいけないのだろうか?
「人生苦あれば楽あり」と、水戸黄門の歌にもありますが、私の信条は「人生楽あれば楽あり」ですから、始めから苦労があることなど、避けて避けて避けて通っております。
んじゃ、どーして、人様には、私が「努力」しているように見えて「根性」あるように見えて「忍耐」しまくっているように見えて「継続」できているのでしょうか?
大事なポイントは「見えている」という事です。
他人様には、そう見えていても、実行中の私の頭の中は、ぜんぜん別のことを考えています。
第一に、他人の目など、まったくどーでもよろしいです。
第二に、欲しい物を手にするために、できる範囲で何でもします。
第三に、実行している最中は、苦じゃありません。
これ、一種のトランス状態ですよねぇ。瞑想状態とも言うと思いますが、何かをしている時は、自分が二つ(物質的に二つって感じ)あるような感じになります。
何かをしている時は、その後に手にする「何か」を、【軽い私】が小躍りしながら見ている感じです。
その「何か」は、私を今以上に幸せにしてくれて、私の周りも今以上に幸せで、経済的にも精神的にも、間違いなく、グレードアップしてくれるだろう「何か」です。
【軽い私】が毎日、美味しい夢を見て、【重い私】がそれを実現させるために、今、何ができるのか?何をすべきなのか?淡々と考えては実行して、結果を見て、修正して、また実行して。。。ってのをやります。
そして、あれこれ繰り返しているうちに、ちらりちらりと見えてくる「神の教え」とも「宇宙の絶対真理」とも言えるような、法則を知ることになります。
まず、自分の利益のためだけ動いても、引けるエネルギーの量は知れているってことに気づきます。
んで、ちょっと、誰かのために動いてみます。
すると、エネルギーが、ほくほくと上がってくる事に気づきます。
人のために動くと、その人と自分の、二人分のエネルギーによって、望みが実現可能になっていく事に気づきます。
3人、4人と、賛同してくれる人が多ければ多いほど、望みはより現実になっていきます。
これが、宇宙の絶対真理の一つです。
賛同=肯定的な「愛のエネルギー」
これを、多く集めれば集めるほど、現象化は早く進むのです。
逆に言うと、肯定的な愛のエネルギーが、なかなか集まらない望みは、実現が難しくなります。
もし、何かをしながら、きつい、苦しい、と思い、それが耐えられないと思うのなら、きっと、それを実現するためのエネルギー量が少ないのでしょう。
望みを変えるか、賛同してくれる人を集めるかしなくては、解決にならないでしょう。
「努力」も「根性」も「忍耐」も「継続」も気にならないのは、肯定的な愛のエネルギー量が多いために、やっている本人は気づかないからなんですね。
やっている本人が気づかない。。。という事は、ご飯を食べて、トイレに行って、テレビを見て、寝て、息を吸って、などと同様に、努力も忍耐もできてしまうと言うことです。
意識してやっているわけじゃなく、それらは、結果的にできてしまっているんですね。
だから、何か望む前に仕事量を見て凹むのなら、他を探せば良いのです。
一人一人、特性と特技と時期ってありますから、簡単にできそうな事を望めば良いのです。
私は、子供の頃から大学へ行きたいと望んでいますが、仕事量を見て凹みました。
やる前に凹んでるんですから、これは、まだ私の課題じゃないのでしょう。
しかし、望みはまだありますから、いつか、行けたらいいなと思っています。
今は、経済的にも、時間的にも、能力的にも、体力的にも、無理かもしれないって思ってしまいますから、いつか、それらが気にならなくなる時に、行くのだろうと思います。
それまでに、地味に英語を勉強すべく、毎日新聞を読んだり、英語で文章を書いてみたり、子供達の宿題を手伝ったり、地味ですが積み重ねています。
でも、息子をメルボルン大学へ入れるとか、娘をアーティストに仕立て上げて税金を払うとか、あまり苦労や壁を感じません。
なぜか、アイディアが次々とやってきて、毎日やらせなくちゃいけない事でも、ぜんぜん面倒くさく感じません。
きっと、私の子供達の成長は、私だけの楽しみじゃなくて、一族や友達、学校の先生など、たくさんの人々の楽しみでもあるからなのだろうと思います。
では、明日は、落とし穴のお話でもしましょうか。