暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

能・狂言に潜む中世人の精神  花

2011年03月17日 | 歌舞伎・能など
3月6日(日)は横浜能楽堂特別企画
「能・狂言に潜む中世人の精神」の第4回「花」でした。
東北関東大震災が起こり、ブログ掲載が後回しになっていました。
3月6日が遥か遠い日に思えますが、四回に渡るこのシリーズも{花」で終了です。
しばし、お付き合いください。

1月8日から約2か月の間に四回も能を観るのは初めてのことで
「えっ、もう~」でした。
でも、行けば毎回、不思議な能の世界に魅せられて帰ってくるのでした。。
シリーズ最終回でもあり、「花」という華やぎのあるテーマでしたので
はりきって着物で出かけました。会場も着物の方が多かったです。

この日のプログラムは
  講演  池坊由紀 (華道家元池坊次期家元)
  狂言 「真奪」   山本泰太郎(狂言方大蔵流)
  能  「花軍」   金剛永謹(シテ方金剛流)   でした。

池坊由紀さんの講演でとても印象に残っていることがあります。
それは中世という時代と日本文化のことです。一部ご紹介します。
              
   中世とは、一言で語るとしたら「混沌の時代」です。
   天皇を中心とする体系が崩れ、武士が政権を担う鎌倉時代ととなります。
   都が京都と鎌倉に分かれ、鎌倉幕府が潤びると天皇家が南北に分かれる
   南北朝時代を経て、足利氏が室町幕府を開きます。
   室町時代になって京都を中心に貴族と武家の文化が融合していきますが
   幕府の基盤が不安定で、応仁の乱を経て戦国時代へ入っていきます。

   中世という「混沌の時代」に禅、能、立花、茶の湯、建築などが
   生まれ育ちました。「混沌の時代」だからこそ、日本人の本質が
   むき出しになって新しい日本文化が生まれてきたのです。
   「混沌の時代」を逞しくテコにして、能、花を含めいろいろな文化は交流し、
   フィードバックしていったのではないでしょうか。
              
   「立花(りっか)」は季節に咲く美しいものとしてだけでなく、
   花を強く意識し、花をたてることによって
   日本人の心に残る確実な存在になっていきました。

3月11日の東北関東大震災以来、原発事故の拡大、災害地の困窮、
エネルギー不足など、混沌とした事態が続いています。
まさに「混沌の時代」の中世のようです。
中世人が求め好んだ、「茶の湯」が何かのお役にたてたら・・・
と、つい考えてしまいます。

              
   
さて、能「花軍」(はないくさ)は、
江戸から大正にかけて何度か上演されたそうですが
金剛流では大正8年に金剛謹之輔(金剛永謹の曾祖父)が演じて以来、
上演が途絶えていて、約一世紀ぶりの上演だそうです。

「花軍」のあらすじは、
都に住む男が流行の立花の会に使用する草花を求めて
伏見の深草を訪れます。
そこに里の女が現れて、伏見の花は「翁草」と呼ばれる白菊が名草であるが、
花の在り処を案内しようと言います。

そして、先ず女郎花を手折るように勧めますが、
不審に思った男は白菊を手折ろうとします。
女は夢に現れ、花の位を争う花軍の有様を見せようと言い残し、消え失せます。
女郎花、牡丹、杜若、白菊、黄菊の花の精が現れ、華やかに花軍を始めます。

橋掛かりに五人の花の精が並び、やがて舞台で花軍が繰り広げられます。
能面の美女が手に持つ花を打ち合う様はスペクタクル画面のようで、
華麗で迫力がありました。

やがて「翁草」(白菊の精)が現れ、争いを止め、和睦します。
「翁草」が舞(中之舞)を舞ううちに、夜は明け、夢は覚めるのでした。

能「花軍」について記載されている本は(謡本も)ほとんどないそうで、
横浜能楽堂では特別に能「花軍」詞章を印刷して配布してくれました。
そのおかげで、今回は構成、筋書がとてもわかりやすかったのですが、
能は本からではなく五感を通して鑑賞するもの・・・
という思いも強く持ちました。

珍しい「花軍」は春爛漫の先駆けでしょうか。

     (第3回 仏教へ)      (第1回 歌へ)
                                    

                

13日の長屋門公園・雛の月茶会

2011年03月15日 | 茶事
               
3月11日の東日本巨大地震から五日たちました。
日が経つにつれて被災状況が明らかになり、辛い思いをしています。
大地震によって福島原発の事故、計画停電、鉄道の運行停止、
食料品やガソリンの不足など、日常生活に影響が出ています。

そんな折ですが、13日(日)に長屋門公園・雛の月茶会が無事終了しました。
密かに心配してくださった方もいらっしゃるのでは・・・と思い、
ご報告させて頂きます。

当日、茶の湯ボランティアに名乗りを上げてくださったPさま、
茶友のIさま、Kさま、Kさま社中のHさま、私の五名が交通の混乱もなく
長屋門へ集合しました。
Pさまとは初対面でしたが、Iさまの言葉を借りると
「水のようにすんなりと溶け込んで、無駄のない見事な動き」
力強い助っ人に感謝です。

             

母屋の囲炉裏にはすぐに赤々と炭火が入れられ、大鍋が掛けられました。
囲炉裏の一角に、五徳を据え、炭を熾し、釜を掛けました。
前回、火力が弱いように感じたので、お茶用の炭を使ってみました。
炭によって火力が違うようで、正解でした。

風炉先屏風で点前座をつくり、徒然棚に雪洞の水指です。
徒然棚から出てくる棗は几帳蒔絵の平大棗にしました。
吊るし雛が飾られている囲炉裏ばたに座ってお点前を見て頂きながら、
お雛さまの練きりの菓子と薄茶一服をお出ししました。

茶券は500円、子ども茶券300円で、前回お手伝い頂いたAkatuki庵さんが
作成して送ってくださったものです。
「地震お見舞い義援金」の募金箱を囲炉裏ばた近くに置きました。

              
                            

前回のひな祭り茶会同様、お客様の顔がわかる茶会でした。

保母さん二人と預かっているお子さんが三人。
薄茶二服を五人で分け合って飲んでいたので、
かわいらしい園児たちに干菓子をサービスです。
病院付属の保育園なので、休日でもお子さんを預かっているとのことでした。

八十代という仲良し女性グループには椅子を用意しました。
お一人がきちんと正座して、Kさんのお点前をじっと見つめています。
「とてもきれいなお点前で、流れるようでした」

お茶を長くなさっていた方だそうです。
お点前を褒められて我がことのようにニコニコです。
お茶を喫んで談笑している皆さんのお顔がお茶を喫む前より
生き生きと素敵でした。

職場が同じだった岸さんに江戸千家流のお点前を所望し、
飛び入りで薄茶二服を点てて頂きました。
袱紗捌き、棗や茶杓の清め方など、お客様と一緒に拝見しました。

「思いがけずお点前の機会を頂戴して、お茶の先生が亡くなってから
 気落ちしていましたが、またお茶をしたくなりました」と岸さん。
・・・よかった! また一緒に何かとお茶を楽しみましょうね。

昨日、茶会の写真を届けてくれた友人は、
「地震のことも、介護のストレスも、しばし忘れて
 ゆったりとした贅沢な一時を過ごせました。
 声を掛けてくださって本当に有難う!」
と言ってくださって、お茶の持つ力を再認識しました。

            
              

今、いろいろなことを思い出しながら
「よくぞ、何事もなく茶会ができたもの・・・」と思っています。
大地震お見舞いの募金箱は引き続き長屋門公園に置かれています。
皆さま、ご協力頂きまして、ありがとうございました。

                             

東日本巨大地震  一夜明けて

2011年03月12日 | 閑話休題
今回の地震で、思いがけず亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに
被災された方々に心からお見舞い申し上げます。

                 

3月11日午後2時46分頃、三陸沖を震源とするマグニチュード8.8、
国内観測史上最大の地震が起こりました。

その時私は、横浜市にある自宅で手紙を書いていました。
最初の軽い揺れが来た時に
「あれっ・・・これは大きいかな?」
と思っていると電気が消えました。
それで、食堂のテーブルの下へ入ろうとすると次の大きな揺れが来ました。
テーブルの下より玄関近くの廊下が柱や壁が多く、より安全に思えたので
そちらへ行きました。
すると、本格的な揺れが来ました。
壁に手をかけて踏ん張っていましたら、家全体がミシミシブルブルと
きしみながら横に揺れました。
揺れがおさまらず、とても長かったです。
このままでは家がバラバラになるのでは・・・と怖かったです。
「早く止まって!」
とひたすら祈りました。

地震がおさまってホッとして家の点検をしだすと余震が来ました。
これだけ大きな地震のあとなので、余震はまだ続くだろうと思い、
電気、ガスは止まっていましたが、水道は出ていたので
薬缶、ペットボトル、大鍋に水をいっぱい汲んでから裏の公園へ出ました。

ご近所の方々と無事を喜びながら話していると、車で帰ってきた方から
震源地や津波注意のことを聞きました。
その間も大きな余震が続いていたので、1時間位外にいたでしょうか?
電気が復旧したので家へ戻り、テレビに釘付けでした。
重いタンスがずれたり、小物が少し落ちたりしましたが、
大きな被害はなく安堵しました。

6時過ぎに長男から電話、主人からメールが入り、お互いの無事がわかりました。
長男は次男とは連絡がつかない・・・と言っていましたが、
8時過ぎに次男からメールが入り、連絡してくれたみたいです。
電話はつながりませんが、メールが役に立ちました・・但し、電気があればですが。

東京から歩いて帰る・・・と主人からメールが来ました。
・・・そして、途中でメールが来たので車で迎えに行ったのですが
結局会えずに、1時過ぎに家へ帰ったら主人が先に帰っていました・・・。
東京から5時間以上歩いて帰宅しましたが、今朝また出かけました。
男の方の頭の構造と帰巣本能がいまだに不可解ですが、とにかく無事でよかった・・・。

今日の新聞で改めて、巨大地震の各地の様子がわかり、驚いています。
横浜の震度は「5強」とありました。

明日3月13日(日)の長屋門公園・雛の月茶会ですが、
地震お見舞いのチャリティーを兼ねて予定通り行いたいと思っています。
どうぞ宜しくお願いいたします。

                          



散華  大炉の茶事 (2)

2011年03月11日 | 思い出の茶事
後座の迎えつけは銅鑼でした。
穏やかな銅鑼の響きに心洗われる思いがしました。

床を拝見して
「あっ」・・・息を呑みました。
散華盆が吊るされ、盆上の椿は「糊こぼし」でしょうか?
散華の椿(紙)がようやくと薄暗い床に浮かび上がって見えました。
一瞬、二月堂お水取りの声明が聞こえたようでした。
そして、法然院の椿の散華を思い出していました。

点前座には根来塗水次の水指。
東大寺の什器だそうで、お香水を入れるものでしょうか?
座が静まりかえり、いよいよ濃茶です。
志野の茶碗に映る艶やかな緑を楽しみながら頂きました。
時代を経た織の古帛紗は驚くほど柔らかく、拝見だけさせて頂きました。

替茶碗は金海です。
添えられた古帛紗は、故N先生の立礼の茶事の折
私が密かに「玉虫の厨司」と名付けた、あの煌めくモールです。
N先生のことを想い出して目頭が熱くなりました。
茶友のNさんは丁度茶事が佳境に入ったこの頃に光るものが見えたとか・・・。
「きっとN先生がいらしてたのよ」と言ってましたが・・・。

大海茶入と片身代りの仕覆は母上さまの遺愛のお品でした。
槍梅の趣向の茶杓は、認得斎手づくりの銘「ムメノ朝風」です。

            

大炉で一番風情のある後炭になりました。
大樋焼飴釉の雪輪瓦の向こうに炭が組まれています。
釜を上げると、炭が流れていて、時の移ろいを教えていました。
つい歌などを口走り、見せ場のお手元を狂わしてしまったかしら・・・。

福は内、鬼は外の焙烙は素焼きではなく、
又妙斎在判のしっかりした作りです。
軽々と扱っているように見えましたが、
「焙烙は重かったら上ではなく下で回せばよい」そうです。

薄茶は代点で、風趣溢れるうぐいす点てでした。
大炉を順勝手に使いますので、詰が正客になり、しばし正客交代です。
ご亭主もすぐに席に出てこられ、一同談笑しながら薄茶を頂きました。

最後に、K先生のご健康とまたの御目文字を願って、
めでたく茶事終了、正客終了となりました。
緊張感の中にもとても愉しく充実した一会でした。

帰りの待合でご同席の方々から
「こんなに楽しいK先生の茶事は初めてです」
「・・・う~ん?」
どう解釈してよいかわかりませんが、とにかく良かった!好かった!

K先生、ご同席の皆様、有難うございました。
茶友のNさんが風邪気味で辛そうなのが気がかりでしたが、
またいつかご一緒しましょうね。

      散華 大炉の茶事(1)へ           




散華  大炉の茶事 (1)

2011年03月09日 | 思い出の茶事
東大寺二月堂のお水取り(修二会)の時期になりました。
2月下旬、茶友のNさんに誘われて、大炉の茶事へまいりました。

茶飯釜の茶事以来、一年ぶりのK先生の茶事です。
それはそれは楽しみに伺いましたが
一つだけ心配の種が・・・正客あらそいのことです
K先生の正客として、申し分ないように見受けられる方がいらしたので
内心ほっとしていると、
虫の居所がわるかったのでしょうか?
「皆さまが私に正客を・・・とおっしゃるのは年をとっているからでしょうか。
 正客を卒業したいので、どなたかお若い方がお勉強してください」

スタートがこじれると茶事の印象が悪くなるので覚悟を決めました。
「未熟でございますが正客のお勉強をさせて頂きます。
 皆さまのお力添えをどうぞお願いいたします」

待合に大きな火鉢がおかれ、黒々とした藁灰が炭の赤さを引き立てていました。
床には大綱和尚の埋火の歌がかけられています。
生姜の効いた葛湯でほんのりあたたまり、腰掛待合へ。
板木が打たれ、枝折り戸のはじとみを開けてご亭主の迎え付けです。

床は、淡々斎のお筆で「黄鶴楼中吹玉管」。
「黄鶴楼中吹玉笛 江城五月落梅花」
(黄鶴楼中、玉笛を吹けば  江城 五月 梅花落つ)
という李白の詩があるそうで、
笛の調べ、梅の花が静かに散る場面が脳裏に広がりました。

昨年の立礼の茶事で亭主を務められたN先生が最近お亡くなりになり、
待合の埋火の和歌は、N先生を想いだし、語り合えたら・・という、
ご亭主のお気持ちが込められていたのでした。
N先生には水屋で茶事の一からお教えいただきましたので
感謝の気持ちや思い出話を少しは語り合うことが出来て好かったです・・・。

               

玄々斎が北国の囲炉裏から考案されたという大炉にまつわる、
さまざまなお話を興味深く伺いました。
まだ消化不良でして、きちんと調べてから大炉について書きたい
・・と思っています。

春とはいえ、如月はまだ寒く、火や温かさが一番のごちそうです。
一尺八寸四方の大炉に炭が置かれました。
大炉の炭点前は火を最大限に生かしたごちそうと思いながら
炉中の灰、羽箒の動き、湿し灰を撒く様子に見とれました。
大きな野溝釜を掛ける瞬間は客一同、ご亭主の所作に息を合せました。

炭斗は円能斎手づくりのはまぐり篭、
東大寺古材で作られた炉縁がしっくりと大炉に合い、
香合は玄々斎在判のはまぐり香合、香銘は梅ヶ香でした。

懐石の頃にやっと正客の緊張感もほぐれ、
K先生との掛け合い(?)もはずみ、愉しくなってきました。
いつもはお道具より懐石の献立を覚えているのですが、
この時はご亭主のお気持ちに添うことに一生懸命で、
懐石は?・・・うーん 思い出せません。

   散華 大炉の茶事(2)へつづく              

    写真は、「東大寺二月堂の修二会」
          「囲炉裏で点前」 (横浜市長屋門公園にて)