ヒトリシズカのつぶやき特論

起業家などの変革を目指す方々がどう汗をかいているかを時々リポートし、季節の移ろいも時々リポートします

岐阜市の願成寺にある天然記念物「中将姫誓願桜」はもう葉桜でした

2011年04月18日 | 旅行
 岐阜市郊外の願成寺(がんじょうじ)境内に植えられた“一本桜”の「中将姫誓願桜」(ちゅうじょうひめせいがんざくら)は、もう葉桜になり始めていました。散った花びらが地面を一面に覆い、梢(こずえ)には葉が目立つ感じになっていました。花と葉の競演でした。

 願成寺の入り口にそびえ立つ中将姫誓願桜は、樹齢約1200年の古木の一本桜です。数本の支柱に支えられています。直径が約1.5メートルの根元辺りはやはり古木を感じさせます。




 中将姫誓願桜は、花びらの数が20~30枚と多いという特徴を持つヤマザクラ(山桜)の“珍種”です。この特徴によって特別天然記念物に指定されています。木の側に立てられている表札は「サクラの木の根元に落ちている花びらを拾って持ち帰ることが禁じる」と、書かれています。願成寺が、ごく一部の花びらの「押し花」を、「女性の健康祈願のお守り」として別けているそうです。

 中将姫誓願桜に祈願すると「女性を病気や難産から救う」という霊験がある信仰の対象になっています。平安時代初期にいた中将姫と呼ばれる美しい娘は、継母(ままはは)から迫害を受け、逃れるために各地を転々とした後に、願成寺を参詣します。中将姫は心労と長旅の疲れで病に倒れますが、観音様に祈ると、たちまに治ったそうです。そのお礼にと、植えたサクラの木が、現在の中将姫誓願桜になったそうです。その際に、後世の女性の守りになるように“誓願”のだそうです。

 この古木の問題点は種子が小さく、発芽率が非常に低いことだそうです。このため、種を播いたり、挿し木で増やすなどの努力が続けられているそうです。

 中将姫誓願桜は満開の時に、鑑賞会が開催されているそうです。願成寺の境内には、「真言宗智山派の美濃西国三十三観音 第十六番札所」を示す登りがいくつも立てられていました。女性を守る信仰対象として手厚く守られているようです。



 お目当てのサクラの満開の時に、タイミングよく訪れることはやはりかなり難しいと感じました。繊細な花をつける満開の時に、再訪したいものだと思いました。現在は、境内の周囲の山麓ではツツジが満開になり始めていました。

 

 新緑の季節を感じさせる風景になり始めています。

北鎌倉の東慶寺のシダレザクラは盛りを少し過ぎていました

2011年04月17日 | 旅行
 神奈川県鎌倉市のJR北鎌倉駅近くの東慶寺にサクラを見に行きました。鎌倉市の古刹(こさつ)の中で、東慶寺は早春から晩秋まで、いろいろな花が観賞できる“花の寺”として知られているお寺です。特に6月のイワタバコやハナショウブ(花菖蒲)の開花時期は参拝客で賑わいます。


 もちろん、春のサクラの木も有名です。本堂の前の有名なシダレザクラ(枝垂れ桜)の木は、ここ数日間の初夏のような陽気によって、花の盛りを少し過ぎた感じでした。花がいくらか散り始めています。


 本堂の裏山に生えているヤマザクラ(山桜)の花はちょうど見ごろでした。切り立った裏山の芽吹いた新緑の中に白いヤマザクラの花が映えてきれいです。


 モミジの木の芽生えの新緑もきれいです。目がいやされます。東慶寺の奥の杉林に囲まれたお墓の近くのモミジの新緑です。この近くの崖の斜面にイワタバコの葉が芽吹いています。


 花の色が少しピンク色になっている珍しいイカリソウの花がちょうど見ごろでした。


 花の色が白い、よく見かけるイカリソウの花もグランドカバーの野草の中に咲いていました。


 東慶寺の入り口の向かい側には、臨済宗円覚寺の上部の山麓が見えました。山麓全体が芽吹き時で、薄い新緑と薄いピンク色のサクラの木々がぼやけて見えます。春霞のためか、少しかすんで見えます。


 いかにも春本番を迎えたという山麓の景色です。鎌倉の山々は急速に木々の緑を濃くして、緑一色の夏の山麓の趣(おもむき)に変わっていきます。ここ数日の初夏のような暖かさによって、ソメイヨシノの木々は桜吹雪になっています。土曜日と日曜日は鎌倉市の古刹巡りに多くの方が来ます。この時期は、落ち着いた古刹の趣(おもむき)とはいくらか異なる“花見見物”のシーズンでした。少し汗ばむぐらいの春本番から初夏に向かう陽春を強く感じさせる気候になっています。

うららかな春本番を迎えたようで、シャガの花がもう咲き始めました

2011年04月13日 | 季節の移ろい
 今日はとても暖かい日になりました。春本番といっていいぐらいの暖かさです。ソメイヨシノの花がサクラ吹雪となって風に派手に舞います。モンシロチョウなども飛んでいます。

 ソメイヨシノの花の開花と満開は、昨年に比べて、今年は約1週間遅かったのですが、暖かい日々が続いたためか、アヤメ科の常緑多年草のシャガ(著莪)の花が近所で咲き始めました。昨年と同じような時期に咲き始めました。




 以前は疏水が流れていた所を暗きょにしてふさいだため、水辺付近に元々生えていた野草が次々と消えました。その中の一つがのシャガです。ある個所では繁殖して、残りました。しかし、繁殖している個所はごく一部で、以前のようにあちこちでシャガの花が咲くわけではありません。

 このシャガは以前は、郊外の雑木林などに群生している個所も珍しく無かった常緑多年草です。ところが最近は見かけることが、郊外の新興住宅地では急激に減りました。雑木林の中で、群生していると、なかなかきれいな花だと思います。白地に少し紫色と黄色の模様が入ります。

 今は咲き始めですが、シャガの茎には蕾が多数ついて、次々と咲きそうです。

 かなり以前に中国から持ち込まれた帰化植物だそうですが、学名は「Iris japonica」と、“日本の”という意味が入っています。このシャガの遺伝子は3倍体であるため、種ができず、どのシャガも原則、同じ遺伝子を持っているのだそうです。シャガは日本から欧州に持ち込まれ、現在のジャーマンアイリスを改良する際の原種になったことがあるとの説を聞いたことがあります。

 昨日から、東北関東大震災の大きな余震が何回も続き、心配が自然と高まります。うららかな春本番を迎える中で、余震がどうなるのか、心配な日々が続きます。仙台市でもソメイヨシノの花が開花したとのニュースが流れました。東松島市の「西行戻しの松公園」はソメイヨシノの木が多数植えられたサクラの名所です。大震災にもかかわらず、今年も満開のサクラを見せることでしょう。淡々と進む季節の移ろいは、ある意味ではつらいものです。

今年も田島ヶ原サクラソウ自生地に行ってきました

2011年04月11日 | 季節の移ろい
 さいたま市桜区の特別天然記念物になっている田島ヶ原サクラソウ自生地のサクラソウの開花具合いを見に行ってきました。

 今年のサクラソウの花はまだ満開の花が少なく、葉の色合いもくすんだ感じで良くありませんでした。


 これも自然の成せる業(わざ)です。「年々歳々花相似たり」ではなく「年々歳々花同じべからず」という現実は、人間の手には負えないことです。

 今年はサクラのソメイヨシノ(染井吉野)の開花が昨年に比べて、1週間遅いため、田島ヶ原サクラソウ自生地のサクラソウも開花が遅いと思いました。田島ヶ原サクラソウ自生地は、荒川沿いにある県営秋ケ瀬公園(あきがせこうえん)の一番下流側にあり、その近くはソメイヨシノの木が多数植えられた、花見の名所です。

 昨年は4月10日に田島ヶ原サクラソウ自生地に行きました(2010年4月10日のブログをご参照ください)。昨年はちょうど見ごろで、サクラソウの花の色合いもきれいでした。ソメイヨシの花の満開をいくらか過ぎた時期にサクラソウの花は見ごろになります。

 今年はソメイヨシノの花の満開が遅い分だけ、サクラソウの花の見ごろも遅いと考えられますが、ノウルシの育ちは例年並みの感じでした。


 サクラソウ自生地に詰めているボランティアの説明員の方によると、今年のサクラソウは昨年の夏の猛暑の影響で、「地面が乾燥し過ぎ、その分サクラソウの成長が遅く、葉の色がくすんでいる」との説明でした。サクラソウが満開を迎えるころに、その周囲に生えたノウルシが成長し、覆い隠すようになります。今年は若緑色のノウルシの茎や葉が伸びて、その先に黄緑色のノウルシの花がよく咲いています。ノウルシが自生地の大部分を占め始めています。


 ここには、ノウルシは多数生えていますが、絶滅危惧種の一つに指定されています。ノウルシ以外のいろいろな野草も育ち、サクラソウはいずれ草陰になって見えなくなります。自然界の厳しい掟です。

 野草がまだあまり芽生えていない地面が見える場所では、ユリ科のアマナが花を咲かせていました。少し遠くにはアマナの群生地があるのですが、柵から距離があり過ぎてうまく撮影できませんでした。


 サクラソウ自生地にはタンポポも点在して咲いています。関東タンポポと呼ばれる日本の在来種です。


 関東タンポポは、最近はあまり見かけることが少なくなっています。

 サクラソウ自生地のサクラソウの開花を、毎春楽しめる幸せをしみじみ感じました。

「今後はどんな社会システムが必要か」などを漠然と考えています

2011年04月10日 | 日記
 ここ数カ月間にわたる、いろいろな経緯から、ソニーの研究機関である株式会社「ソニーコンピューターサイエンス研究所」(SCL、東京都品川区)の存在が気になっています。

 その経緯というか、きっかけの一つは、悪夢の“311”東北関東大震災と、その直後に起こった福島原発事故が起こってから、「私たちに何ができるのか」「今後はどんな社会システムが必要か」などが問われているからです。ソニーコンピューターサイエンス研究所の取締役所長である北野宏明さんは、同研究所の使命は「人類の未来のためになる研究成果だ」と語ります。この同研究所の「人類の未来のためになる」という壮大で本質的な使命は、「今後はどんな社会システムが必要か」などの、今問われていることにつながるために、かなり気になっています。

 ソニーコンピューターサイエンス研究所は、知る人ぞ知る玄人向けの研究機関です。企業の一般的な目的基礎研究や応用研究を手がける研究所とは、異なる存在です。ソニーからは独立した組織で、研究員は1年契約の雇用を続けるという“非終身雇用”の人事制度を採っています。日本では珍しい人事制度です。

 同研究所の名前は、コンピューター関係の大学教員や、公的研究機関・企業の研究機関の研究者には知られていますが、一般的の方にとっては、NHK(日本放送協会)などのテレビ番組の司会者でお馴染みの茂木健一郎さんが所属する研究機関として、知られているのではないでしょうか。茂木さんは同研究所のシニアリサーチャーです。
 
 元々、ソニーコンピューターサイエンス研究所に興味を持ったのは、2010年12月6日に独立行政法人科学技術振興機構(JST)が開催した、戦略的創造研究推進事業 特別シンポジウム「世界を魅せる 日本の課題解決型基礎研究 JST目利き制度とその可能性」のパネルディスカッションに、取締役所長である北野さんが登場し、とても興味深い、面白い講演をされたからです。かなり独自の見解を話されましたが、北野さんにとっては当たり前のことを話したことに過ぎません。

 その後、超多忙な北野さんに時間をいただき、お話を伺いました。主に研究開発プロジェクトの運営法に話を絞って伺いました。その際に、2009年6月に発行された単行本「天才・異才が飛び出すソニーの不思議な研究所」(発行は日経BP)をいただきました。


 著者は、同研究所の代表取締役社長の所真理雄さんと、サイエンスライターの由利伸子さんのお二人です。由利さんは、編集・制作会社のサイテック・コミュニケーションズ(東京都千代田区)の代表取締役を務めています。

 “311”東北関東大震災と、その直後に起こった福島原発事故が起こってから1カ月経過し、「私たちに何ができるのか」「今後はどんな社会システムが必要か」などが問われています。3月11日以降、事実上の自宅待機が2週間ほど続き、資料整理と積ん読だった単行本の整理をいくらかしました。いくつか読んだ単行本の中で、単行本「天才・異才が飛び出すソニーの不思議な研究所」をパラパラめくる日が続いています。難問への解答を見いだすということよりも、考え続けることで何かがつかめると伝える内容になっている点が気になっているからです。

 実は、部屋の中に、いい加減に適当にあちこちに積み上げた単行本などを整理することも、重要な目的になりつつあります。こちらはかなりの難問です。