トランプ次期大統領は「51番目の州になれ」と言われた:
カナダはアメリカ合衆国の北側にある英連邦の「連邦立憲民主国」である。従って国王はチャールス3世なのである。大雑把な認識として「その面積は998.5万㎢でカリフォルニア州の4倍以上、人口は約4千万人でカリフォルニア州の約10分の1程度で、13の州(province)と3準州(territory)で構成されている。公用語は英語だが、ケベック州や他の準州のようにフランス語が公用語の所がある」と理解していて良いと思う。
何時も感じることだが、我が国でもアメリカでも相互に理解と認識が不十分なのだが、我々はカナダというアメリカの隣国で同じだと思い込んでいるのではないか。この英語とフランス語を話す国について何を知っているのかなと思う。
思い返せば、1972年8月に初めて渡ったアメリからカナダの太平洋岸にあるブリティッシュコロンビア州(BC州)のヴァンクーヴァーに入って、何となく古めかしい街で、香港にも似た感があった。
空港で出迎えて貰えたのが、後にウエアーハウザーに転進してくることになったA商社の駐在員FM氏だった。彼と翌日の昼食の約束をして時間に遅れそうになったので、大慌てで走って待ち合わせ場所に到着した。何事でも遠慮なしにズバリというFM氏に「カナダはアメリカとは違うノンビリした国です。街中で息せき切って走っている人などいません。笑われますよ」と言われてしまった。
その後にナイアガラのカナダ滝を見に行こうとパック旅行をしたことと、出張も含めて5回ほどカナダに入った事があった。出張の際は用事を終えた後ではアメリカに入ったのだが、その時の入管と税関の対応が非常に突っ慳貪で意地が悪かったので「なるほど、噂に聞いていたカナダとアメリカの不仲説とはこういう所にまで現れるのか」と痛感させられた。
カナダ人がアメリカン・イングリッシュを嫌うことを取り上げておこう。1998年だったかのナイアガラ行きの際にヴァンクーヴァー空港で乗り継ぎ便を4時間も待った時に土産物の女性店員と雑談をした事があった。彼女が「何処から来たのか」と訊くので「たった今成田から来て、乗り継ぎ便を待っている」と答えた。すると、同じことをまた訊くので「今成田からと言ったじゃないか」と答えた。
その誇り高き英連邦の女性は「だから、カナダの何処のprovinceから来たのかと訊いているのだ」と言うのだった。そこで、改めて「日本人であり、成田から来た」と告げると「貴方の言葉がアメリカン・イングリッシュのアクセントではなかったから、てっきりカナダ人だと思った」と言うのだった。
このBC州ヴァンクーヴァーには香港や広東省から来た中国人が多いので、私もその一人だと見られたようだった。光栄なのか屈辱なのかは判断できなかった。この言葉の問題からも、彼等カナダ人たちがアメリカに好感を持っていないことも再認識できた次第。このアメリカを好ましいとは思っていない傾向は、オーストラリアでも感じた。ここでも「貴方はアメリカ語のアクセントではない点が良い」という風に。
カナダは国土が広大であるにも拘わらず人口が少なく、需要の規模も小さいので、隣国のアメリカ向けの輸出に大きく依存している。今や時代は変わったが、1990年代までのカナダの紙パルプ産業界はアメリカ向けの輸出を頼りにしていた。だが、カナダドルが常にアメリカドルに対して強かったので、利益が出ないどころか赤字が出て困っていた。他の製造業でも事態は変わらないと聞いていた。アメリカだって、カナダからの輸入品に依存していた。
そのカナダに対して51番目の州になれと言われているのだが、トランプ氏は13もあるプロヴィンスをどうやって一纏めにして統治する見込みなのだろうか。同じ国にしてしまったら、10~25%の関税収入も予定できなくなるのではないのか。カナダ側だって為替レートの変動の心配をしないで済むようになるという恩恵(メリットなんて言わない)に浴するじゃないか。
トランプ前政権で国家安全保障問題担当補佐官だったジョン・ボルトン氏は週刊新潮への寄稿で「トランプ氏は輸入品に関税をかけた場合の負の影響や、NATOや日本とアメリカの間であれ何であれ、こういう問題の枠組みや機能に対する深い理解を欠いている」と指摘していた。
私がトランプ次期大統領の打ち出された思い切った政策を就任前に云々する意味はあまりないと思うので、論評は避けて、現実にどのように推移していくかを見守っていこうかと考えている。何分にもトランプ氏の言動と行動はunpredictableなのだから。