新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

日本語と英語の違いを語ってみよう

2024-05-09 09:31:32 | コラム
異文化の国の言葉なのだ:

ここに述べていく事柄はある程度は回顧談の範疇に入るかと思う。だが、少しでも英語というかEnglishを真剣に学ぼうという方の役には立つと思う次第。

*英語と日本語では考え方が違う:
1970年代の冬の出来事だった。シアトルの位置は日本よりも北にある(緯度が高いという意味)のだが、暖流が回ってくるので滅多に雪は降らないのだ。そのシアトルで大雪が降って、泊まっていたホテルの屋外に設置されたガラスのエレベーターが凍り付いて動けなくなった。そこでホテル側が「従業員用のサービスエレベーターを使って欲しい」と掲示を出した。だが、その図では何処にあるのかが解りにくかった。

すると、「これでは解らない。何処にあるのか」と清掃中の女性に尋ねた人がいた。答えが“Go down the hall way as far as you can go. Then, you will find the elevator on your left hand side.”だった。訳せば「この廊下を突き当たりまで行けば、左側にあります」なのだが、考え方の違いが出ていて面白かった。それは「突き当たり」を「行けるだけ行く」としたことだったし、「左側」が「左手の側」と何を基準に左というかを明らかにしている点。

この際に別の人は「突き当たりまで」即ち「廊下の端まで歩く」を“walk the length of the hall way“と表現した。 この特徴は「両方とも和文英訳して見よ」という問題を出されれば「結構面倒だな」と思うようなことを、平明な単語だけを使って表現してしまっているのが、日本語とは考え方違う英語の特徴だと思っている。

この辺りの違いを、私が最初に教えられたGHQの秘書のHelen波高言って教えられた。それは「これから言いたい事を先ず日本語で思い浮かべてから、英語に訳そうとしてはいけない。記憶にある表現を思い浮かべてから、それを使って文章にしようと試みなさい」だった。これを身につけてあれば、上記の「如何にも本格的な英語のような」表現が出来て格好が良いと思うのだ。要点は「考え方の違いに慣れておこう」なのである。

*American EnglishとKing’s Englishの違い:
違いは様々あるが、ここでは先ず我が国では滅多に聞こえてこない本当のKing’s Englishがどれ程美しいかを語りたい。だが、書いているだけでは表しきれないので残念だ。美智子上皇后様が英語で語られた音声を何度か聞ける機会があったが、それはウットリする程正確で美しいQueen’s English(当時)だった。我が事業部のニュージーランド人のマネージャーの奥方はオーストラリア人だが、何度聞いても感心する美しいQueen’s Englishだった。

大胆に簡単に英連邦式(UKで良いと思う)の何処がアメリカ語と違うのかを言えば「UK系の方がアメリカ式よりも抑揚が無くアクセントの付け方が明確には聞こえてこない」とでも言えば良いかと思う。私のように、アメリカ語で育った者には、King’s Englishの方が聞き取りにくいこともある程、音の流れが違っていて平板に聞こえて戸惑うこともあった。

上智大学の頃に最も厳しくQueen’s Englishで指導された千葉勉教授の授業では、アメリカ式発音をすると「下品だ」と叱られたものだった。ところが、会話の時間を担当されたアメリカ人のTracy教授の面前で千葉教授式にすると「古い」と言って直されてしまうのだった。私はそれでなくてもアメリカ式の方がとっつきにくかったので、両方の間を取るような発音にしようとしていたので、何とか切り抜けられていた。

*カナダの何処の州から来たのか:
これは自慢話のようなこと。21世紀になってからの経験。ナイアガラの滝を観に行こうと先ずカナダのヴァンクーヴァー空港で乗り継ぎ便を待っていた時だった。構内の売店を冷やかして時間潰しをしていた。その一軒で何となく店頭の女性と語り合った。すると“Where did you come from?“と訊くから「今成田から到着したばかり」と答えると、また同じことを尋ねられた。こちらの答えも同じだった。

すると、彼女は“I’m asking which province of Canada you came from.“と切り返してきた。そこで「私は日本人で成田からやってきて乗り継ぎ便を待っていることころだ、何故そんな事を訊くのか」と言った。彼女は「貴方の英語がアメリカンイングリッシュではなかったから、何処かカナダの州から来たのかと思った」と言うのだった。そこで「貴女はアメリカンイングリッシュが好みではないのか」と言えば「勿論」だった。

余り知られていない気もするが、カナダは英連邦の一国なのだ。アメリカと同じ大陸にあるが、決して仲は良くはないのである。この点はアメリカがUKと必ずしも仲が良いとは言えないというのと同じだろう。故にと言うか何というか、カナダにはアメリカンイングリッシュを毛嫌いする人もまた多いのだ。だから、私の両方の中間を言っていたつもりの発音やアクセントを自分の都合の良いように受け止めたようだった。

この話を往年の同僚にしたら「君の英語の何処がUK式か。アメリカンイングリッシュ以外の何物でもない」と言って大笑いだった。彼も自分が聞きたい方に理解していたのだった。

結び:
英語を生徒や学生を評価する為とか、TOEICやTOEFLや英検のような試験の為に教えるのも結構なことだとは思う。だが、私は試験の成績向上も必要なことだとは理解しているが、上記のような表現の仕方の違いであるとか、発音やイントネーション等が正確であり、native speakerたちに理解されやすくなうように教えることも重要ではないのかと考えている。何時かは「カタカナ式でローマ字式の発音から脱却して欲しい」と期待している。



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