新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月26日 その2 51対47とは

2022-07-26 14:34:48 | コラム
安倍晋三元総理の国葬について言いたいこと:

25日夜には、野党議員が出席と番組欄にあったPrime Newsでの国葬についての論議を、「好ましい展開にはなるまい」と承知で聞いてみた。

司会の反町理でさえも「国論を二分した」と切り出したのにも恐れ入ったが、彼が産経新聞社とFNNが行った世論調査の結果では賛成が51%、反対が47%と拮抗していたと紹介したのには、驚く前に呆れてしまった。この両者がやる世論調査では、朝日や毎日が実施するものとは自ずと質問の設定が違うだろうとは考えていたが、51対47には恐れ入らざるを得なかった。率直に言えば「国民の良識は何処に」と感じたという意味だ。

私は安倍元総理が亡くなったとの報道を聞いた瞬間に「これは国葬になるのではないか」と直感していた。不勉強というか法律の知識に欠けているので、国葬扱いになるのが当然の事のように閃いたのだった。吉田茂元総理の先例があった事は、昭和一桁の生まれである以上、当然のことで知っていた。だが、その後に「国葬令」が廃止されていたなどという報道もなかったと思う。

従って、岸田文雄総理が閣議で決定され、9月27日に行われると発表されたときにも、自然な流れであると受け止めていた。朝日新聞が失礼千万な川柳を流したという、如何にも朝日らしい行為も「未だそういう挙に出るのか」と呆れるだけだった。まさか、此の世には野党だけではなく、朝日的な物の見方をして国葬反対のデモをする輩が出てきたのにも、寧ろその執拗さには感心させられていた。

そこで、昨晩のPrime Newsである。日本共産党の小池晃書記局長(だったか?)は未だに桜や加計等の説明不足がどうのと言い始めて、国葬には参列しないと明言した。驚きはしなかったが、フジテレビはそこまで共産党に気を遣って、公共の電波を使わせて、あのようなことを言わせるのはご苦労様だなと同情したくなっていた。

立憲民主党の小川淳也は政治ジャーナリスト田崎史郎に一寸突っ込まれ、反町に泉健太ら三役で意見集約が出てきていないのではと指摘されたせいか、日頃の歯切れの良さを出せずに「何となく、反対せねば立場がない」と聞こえかねない曖昧な姿勢だったのも面白かった。

番組の中では立憲民主党国対委員長・馬淵澄夫が「来たるべき国会で十分に議論してから決定すべきだ」と威勢が良いことを言っていた。私は衰退の一途を辿っているこの党は、如何にしてその存在価値をもう一度際立たせるかの方策が見当たらずに、相変わらずの「何でも反対」の黴が生えたような陳腐なことしか言えていないのだと見ていた。泉健太は代表になったときに「何でも反対の姿勢は捨てて」と言明したのではなかったのか。

立憲民主党の態度などはどうでも良いので、私は産経新聞社とFNNという健全で保守的であると看做していた報道機関が調査をしても、47%もの反対が出たという事実に「イヤだな」と思わせられていた。民主主義なる制度では、仮令51対49という結果であっても、多数決になるのが原則だったはずだ。

安倍晋三元総理が狂弾に倒れられた後では、与党内だけではなく野党の中にも「暴力は民主主義の冒涜」と言っていた者たちがいた。彼らはやや見当違いなことを言い募ってまで、民主主義を守ると言ったのだ。そうならば、多数決の原則を守って国葬には反対はしないか、素直に参列するのが国会議員の務めではないのか。



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