個人的に数字にして振り返れば:
37年が過ぎていた:
1988年(昭和63年)に、ここ東京都新宿区の片隅に建つ25階建てコンクリート住宅に住み着いてから37年目に入った。これまでの人生で一カ所に最も長く住んできた記録である。既に一度大修繕を経ている。3.11にはこの近所でも大揺れだったが、このコンクリート住宅は無事だった。凄いものだと感嘆して感謝した。
80年:
1945年(昭和20年4月)に旧制の中学(くどくなるが、当時は5年制)に入ってから、何と80年も経っていたのだった。この年の8月に1941年(昭和16年12月)から始まり、4年続いた戦争が終わっていたのだった。当時の小学生の認識では「アメリカに負けて戦争が終わる」とは全く夢にも考えてもいなかった。
その中学が1948年(昭和23年)に突如として新制の3年間の高等学校に変えられた。1951年(昭和26年)その新制高校を卒業してから4年制に変えられていた大学に入学した。未曾有の就職難の時代だと言われていた1955年に無事に大学を卒業して就職できたのだった。中学に入ってから10年経っていたのだが、旧制度の11年から1年短縮される事には気が付いていた。
この過ぎし10年間に我が国は目まぐるしく変化した。大本営発表では勝っていたはずの戦争が無条件降伏で終わり、国土(と我が家も)はアメリカの空襲で東京を中心に焼き払われてしまった。終戦とほぼ同時に、突然聞いたこともなかった「民主主義」の国に変わり、軍国主義とは決別したと聞かされた。そして東京裁判となり、中学生には何のことか解らぬままに東条英機他が処刑されていった。
しかし、そこから先の我が国の復興の速度は本当に目覚ましく、恰もそうなる為の諸々の制度が設計されていたかのようだった。私の世代は戦時中の食べる物がなかった生活から「貧乏人は麦を食え」と暴言を吐いた総理大臣が「所得倍増」を目指して経済の復旧・復興を見てきた。その成長の原動力に朝鮮動乱の特需のお陰があったという説は聞いたが、「当然の進路を進んでいるだけ」と受け止めていた。
あの頃までには「お米」は切符制だったし、財産税や新円の発行等々があって、戦前の富裕層が資産の大半を失っていったのだった。食糧を確保する為に農村に「買い出し」に行かざるを得なかったし、「物々交換」などと言って、着物や家財を食糧と取り替えっこをしていたのだった。この物がない時代を乗り越えられたのは、戦時中の「欲しがりません、勝つまでは」に耐えてきたからだという気がする。
1955年(昭和30年)に就職した頃の大学新卒者の初任給が1万円前後だった。それが、あれから70年を経た21世紀の現在で20万円辺り止まっているとは、他の物価水準の上昇と比較すれば、余りにも低くはないかと批判が集中するのは尤もだと思う。私には経営者側の手腕と責任の問題だという気がするのだが。
70年:
個人的な回顧に戻ろう。2025年で大学を終えてから何と70年も経っていたのだった。そうだったと気がついてみれば、遠い昔のことだったと解る。
17年は日本の会社で:
その日本の会社に採用して頂けて、17年間お世話になった後の1972年(昭和47年)に、アメリカの紙パルプ産業界の大手であるMeadに転進してから53年経っていたのだった。さらに1975年(昭和50年)に思いもかけなかったアメリカで第2位のWeyerhaeuserに移ってから、丁度50年(=半世紀)も過ぎていたとは、今更ながら驚いている。
22年半もアメリカの会社に:
振り返れば、このように日本の企業に17年半、アメリカの2社に19年強と、合計で22年半ほど勤務していた。この22有余年もそれこそ我が国の激変の時代だったと思う。あの目覚ましい急成長で世界の経済大国に名を連ね、日本式の「和」を尊ぶ経営方式が世界に広まっていくかの感すらあった。「wa」がアメリカやUKの辞書に採用されたという話すらも聞いた。
確かに、アメリカを始めとする先進の諸国が沈滞し、我が国が追い越したかの感があった。その沈みつつあるアメリカの製造業界の紙パルプ産業界の大手2社に勤務して「何故あれほど停滞したのか」は良く解った。
私には先ず「目指しただけの利益が挙がらなければ、合理化や拡大再生産の為の設備投資は実行しない」という古き良き資本主義の原則を貫いたことで、世界最新鋭の設備を備えざるを得なかった中国等の新興勢力の後塵を拝する結果になったこと」が大きな原因として指摘できると思う。時代遅れの設備で低質の労働力で生産する製品には世界の市場での競合能力がなかったのは当然。
次は「職能別労働組合の存在」と「労働力に質の低さ」である。この点は、繰り返して指摘してきたことで、1994年にUSTRのカーラ・ヒルズ大使が公開の席で認めておられた。こう指摘しても、容易に認識されないのが残念である。アメリカの労働組合と組合員たちと繰り返してつきあってきた、アメリカの大手製造業の会社の社員だった私が、我が国の組合と比較して言うのだから、紛れもない事実だ。
31年も前にリタイア:
そのアメリカの製造業を代表する一社だったWeyerhaeuserから1994年にリタイアしてから、2025年の今年で31年も経ってしまった。その31年間でアメリカ合衆国は大きく変わっていた。1994年には2億6千万人程度だった人口が今や3億3千人に達している。一寸考えても解ることは、トランプ次期大統領が「送り返す(deportationと言うようだ)」と言明された移民が多くなったのは明らかだ。
製造業が不振を極め、トランプ氏が嫌われる貿易赤字は一向に減らない。だが、一方ではGAFAMが世界を席巻している。オバマ元大統領は世界の警察官を辞めると宣言された。その結果かどうか、世界中の方々で動乱というか騒乱というか戦争というか知らないが、揉め事ばかりだ。トランプ次期大統領は瞬時に鎮めてみせると豪語しておられるので期待するしかない。
でも、バイデン大統領は世界の鉄鋼産業界が過剰設備を抱えてしまった中国の安値攻勢で混乱しているとご承知なのかどうか、悩めるUSステイールを日本製鉄が買収すると申し出ているのは退けられた。アメリカの製造業の地位が世界全体で何処まで下がっているかの認識が本当に無かったのであれば、問題は深刻だと思う。ボーイング社の混乱をご存じないのかと疑う。
1994年にリタイアしてからの31年間に我が国と世界とアメリカと新興勢力の事情は非常に激しく変化していたのである。過去のことしか知らない92歳の私には、簡単に理解できる状態にはないと思う。間もなく80歳になろうという製造業の世界を経験しておられないトランプ氏が君臨して、どのようにして支配していこうと計画しておられるのだろう。
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