新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

12月30日 その2 学校制度変換期の回顧

2024-12-30 09:59:36 | コラム
「キュウセイ中学校」って何の事ですか:

私は回顧談の中で屡々「旧制中学校」という表現を使うのだが、最早現代の人たちにはその「旧制」を理解して貰えず、「キュウセイ中学って何の事ですか」と尋ねられてしまうのだ。答えに窮してしまうと言うよりも、長い説明をしなければならない話なので弱い。その説明の一部になるのが、先日取り上げた昭和23年3月の経験談である。再度取り上げておくと、

>引用開始
あの昭和23年3月のあの日、突然湘南中学3年生全員が講堂に集められたので何事かと思えば、卒業証書が配られて「全員が本日を以て県立湘南高等学校併立湘南中学校を卒業する」と校長先生が宣告。呆気にとられました「何だ。これは」と。4月からは湘南高校1年生となるとも知らされました。文字通り「狐につままれたよう」な感。

ところが、栄えある高等学校の1年生になって渡された教科書は「中学3年に逆戻りかよ」と皆で憤ったほど程度が低くて易しいもの。今思えば「GHQの日本の子供を骨抜きにしてしまえ(アメリカ並みの程度にして)という作戦だった」のでしょう。当時の湘南中学には1年生で微分積分をこなしていた奴がいたくらいですから、怒る訳です。英語だって酷いものでした。尤も、勉強が楽になったと余裕を示す連中もいましたが。
<引用終わる

なのだが、ここまででは説明不足の事態が生じていた。それは、我々は(確か)先生方から「何れ学校制度が変更になるので、県立の湘南中学は我々の1期下までで新規の入学はない」と知らされていたようだった。そして、1年下までで募集が終わり、新制の湘南高校になるまでは1年下の人たちは気の毒にも3年間は最下級生の儘だった。

その結果で、我々のサッカー部に入ってきた下級生たちは、3年間(私が嫌いな言葉の)後輩が入ってこなかったのだ。その意味は1年生が我々から引き継いだ練習前の諸々の課題である「ゴールのネット張り」、「ボールの紐をほどいて?チューブを取り出して洗ってからまた入れて空気入れで空気を入れて、チューブを中に入れて口を紐で締める」、「弱っているボールの皮に油を塗って綺麗に手入れする」、「パンクしていれば糊で貼って塞ぐ」等々の雑務を全部引き受けるのだった。

しかも、23年の国体の予選を圧倒的に勝ち上がっていき、福岡にも派遣されたのは3年生から1年生までで、中学3年生は除外されてしまった。即ち、25年の4月になって漸く待望の下級生が出来たという事。当時はネットを張ると言っても、現在のような形ではなく、使い込んで破れてしまった穴だらけのネットを四角いバーの裏側に打ち込んである金具に、飛び上がってかけるという作業。現在では想像も出来ないだろう事態だ。

他の学校のことなど全く気にかけている余裕もなかったが、我が校では我々が3年生になって初めて新制中学校出身者が入学してきたのだ。しかも、他の県立高校の事情は知らないが、男子校だった湘南高校はこの新入生から男女共学に変わり、勇敢なる女子が何名か入ってきた。そこで3年生の軟派師たちが騒ぎ立てた。だが、2年から上は男子校の儘だった。

恐らく、男女共学(coeducation)が当たり前のアメリカから進駐軍に促されたのだろう。今は昔の物語だ。


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