新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

我が国の報道機関を信じていて良いのか

2024-12-30 08:02:10 | コラム
「裏金」として扱うのは付和雷同ではないか:

彼等、即ちテレビも新聞も朝日新聞に倣って(イヤ、国会議員も一般人も)「政治資金収支報告書不記載問題」を「裏金」乃至は「裏金問題」と呼んで憚らない。私にはとても正常な日本語の理解力を備えているとは思えないし、言葉を誤用していると決めつけたい。

そこで、本日の産経新聞は原英史に「月曜コラム」で「裏金というレッテル」と題して否定する一文を掲載している。敢えて遠慮して言えば“Better late than never.“である。と言うのは、私は去る9月16日のブログで朝日新聞の言葉の意図的な誤用を指摘してあったのだから。岸田前総理も国会で「収支報告書不記載問題、所謂裏金」という表現を使っておられたのだったが。

それから後になれば、情けないことに、他の報道機関が朝日新聞に追随して「裏金」扱いに転じてしまった。これを「付和雷同」と言わずして他に何と言うか。

以下に私のブログの要点を掲載するが、私は3ヶ月も前に広辞苑の定義を引用していたし、検索の結果も載せていたのだ。彼等マスコミは視聴者も購読者も欺いていたのではないのか。その行為をカタカナ語にすれば「ミスリード」辺りになるか。

>引用開始
収支報告書不記載問題を「裏金問題」に変えてしまった:

記憶違いでなければ、我が親愛なるマスコミは当初「政治資金収支報告書不記載」と報じて批判してきた。だが、朝日新聞が独特の批判精神を発揮して「裏金作り」とするや否や、各局・各紙が一斉に「裏金問題」にしてしまったのだと認識している。それどころか、当事者である自由民主党の議員の中には「裏金」と表現する者までが出てきた。「朝日の威力絶大なり」とウンザリさせられた。
私は「裏金」と「収支報告書不記載とは質が違うのにねー」と思っていたので、あらためて「裏金とは」と調べてみた。広辞苑には「取引を有利に運ぶ為に、正式の取引金額とは別に陰で相手につかませる金銭」とあって、朝日新聞は何か見当違いな言葉を遣ったのではないかなと感じた。

だが、Wikipediaに複数の項目があったが、その中からこの問題に関係すると思う項目を取り出してみると、
  • 賄賂(わいろ)などによって動いている金銭。
  • 経理(けいり)上、正式な出入金記録に記載せずに蓄財された金銭。
とあって、定義の後者は「朝日新聞の主張に準えたのかな」のように受け止めた。理屈を言えば、広辞苑とWikipediaの定義の前者から考えると、朝日新聞ともあろう大新聞が言葉を誤用したと思えてならないのだ。

そこで、私なりにこの収支報告書不記載の問題を考えて見た。これは「政治資金パーティ」という名目で「法的に禁じられていたはずの企業団体からの寄付を、形を変えて募ったものであり、金がかかって仕方ない政治を何とか滑らかに運ばせようと意図して資金を集めたのである」と解釈していた。そういう性質の収入であるから、報告書に記載されるべきだったのだろう。

だが、派閥では「貰った資金だから、恣意的に使っても良いのではないのか」と勝手に解釈し、割り当て(何故に思い出すだけでも忌まわしいロシアの「ノルマ」などを使うのか)以上に集めた分の資金を各議員に払い戻しなどしていたのであり、Wikipediaの後者には該当する点があるものの、必ずしも蓄財するのではなく政治活動の資金にしていたのではないのかと思う。(以下略)

産経新聞が原氏の主張を借りて「裏金」が朝日新聞の意図的な言葉の誤用であると指摘したのは良いとするが、それならば当方が9月に朝日新聞を批判してあったのはどうなのだろうかと思う次第だ。まさか、朝日新聞が正しくて、当方は誤解しているとでも認識していたのだろうか。

私は報道機関とは「事態を正確に把握して、正しく視聴者読者に伝えるべき存在だ」と思っている。だが、今日までに彼等は繰り返し「人が犬を噛んだ」かのような形にして切り取り報道するとか、自分らの意図に沿わない話は無視した例があったのではなかったか。そこに、今回の付和雷同である。良く気を付けて貰いたい。


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