新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

今回も軽いと思う話題を:

2024-06-19 04:20:38 | コラム
アメリカで普通に使われている表現:

今回は主に社内で使われているような、如何にもアメリカ風の表現を取り上げてみた次第。

“I don’t need the credit.”:
解説)ここでのcreditは「手柄、功績、評定」という意味で使われている。この時は、初代の技術サービスマネージャーが難しい品質問題を運も手伝って短時間で解決出来たので、急いで帰社して本部にFAXで報告することになった。そこで、彼が“俺の手柄にしないで報告して結構」と言ったのだった。個人の業績が年の終わりの査定の際に重要な要素になるにも拘わらず、辞退してしまった珍しい出来事。“credit“にはこのような使い方がある。

その例をもう一つ挙げておこう。私は1980年代後半から事業部の業績が伸びたこともあり、アメリカ出張の機会が増えたので、頑丈なスーツケースが必要になった。そこで“hartmann“というブランド物を買うことにして、専門店のBiaggioでSueと言う販売員からナイロン・トゥイードのスーツケースを購入した。Sueは熱心な販売員で名刺をしたので、何気なく渡した。すると、セールの案内の葉書を東京まで送って来るようになった。

そこで、同じ素材のブリーフケースもSueから購入した。次にスーツを何着が収納出来るガーメントバッグも欲しくなった。またセールの案内が来た時に出張のタイミングと合った。ホテルにチェックインするやいなや、直ぐにBiaggioに向かった。残念ながらSueは休暇で女性の店長さんが対応してくれた。取引が終わって彼女が言うには「“I will give the credit to Sue.“だからご安心を」だった。

私が見るところでは「アメリカの小売業では販売員たちは歩合制と言うよりも、個人で営業を展開しているのだが、勤務している店から軒先を借りているように感じた。だから、顧客を個人として確保していこうというハッキリした姿勢が見える」のである。ここに例として取り上げたSueのように、積極的に接触してくるのだ。言うなれば、This is America.なのかな。

“He is gone for the day.”:
解説)私が実質的にリタイアした1993年末まではWeyerhaeuser程の会社でも全社にPCが行き渡っておらず、交信手段は未だFAXと電話だった。これは必ずしも電話の用語ではないが、「彼は本日もう帰宅しました」という意味で使われていた。もう理解して頂いていると思うが、ここでは各人が担当する職務を自分だけで処理するのだから、当日の予定が早く消化出来れば、午後一番でも何でも帰ってしまうことがあるという世界。

“She took an early leave.”:
解説)これで「彼女は早退しました」という意味。上記と同じようなことである。因みに、“early leave“はホテル用語でもあるのだ。予約した日よりも早くチェックアウトする場合に“early leave“と呼んでいるようだ。

“They could not make it, today.”:
解説)北海道よりも緯度が高いワシントン州シアトルを含む北西部には、滅多に雪が降らない。故に4WDの車を持っている者は少ない。故に、本当に偶に大雪が降ると、誰も出勤出来ていないことになってしまう。この日も前夜から泊まり込んでいた者がいて、私の電話に出てくれて「誰も来ていない」と答えてくれた次第。尤も、ただ一人だけ内勤の高齢の女性DeEttaが自慢の4WDで副社長以下数名を拾って昼頃出勤したそうだった。

この場合には“make it“で「出勤する」か「到着出来る」という意味になるのだ。そこで、“I am glad you made it.”などと言えば「良く到着してくださいまして、嬉しく存じます」となる。

今回も重たくない話題を

2024-06-18 07:57:06 | コラム
アメリカでの意外な経験談:

もしかして、重たくないと思っているのは私の思い違いかもしれない。重すぎたのならばお許しを。

今回はアメリカで経験した「こういう場合にはこんな事を言うのか、こういう表現になるのか」と興味深く聞いた、如何にもアメリカらしいというか、文化が違うのだなと実感させられた表現を取り上げてみよう。

“Sir. We don’t carry 38 extra short.”:
解説)これは1973年に2回目にニューヨークに入った時に経験した失礼な言い方。待ち合わせの時刻まで余裕があったので、折角だからと5th Avenueの店を冷やかしていた。その中の既製服屋に入ってぶら下がっているスーツに触れていた時のこと。店員がやってきて見出しのようなことを言ったのだった。この意味は「貴方に合うXSは置いてないのです」なのである。

そして、その店員はその回転するハンガーをかき回していると、何と洒落たチャコールグレーにピンストライプが入ったスーツが出てきてしまったのだ。彼は大慌てで「これは貴方様に良く合うので、是非お買い上げを」と辞を低くして売り込んできた。もともと暇つぶしだったし、失礼な態度も好ましくないので“No thank you .“と言って立ち去った。

ここでも「置いている」という意味で“carry“が使われている。ジーニアス英和には15番目に「“keep in stock“という意味で略式」とあり、Oxford English Dictionaryには17番目に出てくる。私はこれがアメリカ語だと思って使ってきた。

“5-1/2 does not deserve the name of a size.”:
解説)これは「ファイブ・アンド・ハーフはサイズの名に値しない」とでも訳せば良いか。5-1/2はアメリカ式の靴のサイズで、日本式では23半辺りになる。1976年6月にニュージャージー州のアトランティック・シテイーで開催されたFood & Dairy Expoに我が社が出展者として参加した時の、何とも不愉快な経験。

有名なボードウォーク(木製の遊歩道)沿いにあったJohnston & Murphieの靴の店に、「もしかして私の5-1/2の良い靴があるか」と入って見回していた。そこに現れた店主に尋ねてみれば、ジロリと私の足下を見た後の答えが見出しのような、にべもない言い方だった。非常に不愉快だったので物も言わずに出て行ってやった。

「早く買え」:
解説)これは1978年だったかにジョージア州アトランタの商店街での経験。アメリカの商店街では「冷やかしお断り」の所もあるので、買う予定がない時には“Let me take a look around first.”か“May I just look around?“とでも言って断っておくと良い。このアトランタの店では一寸気になった商品があったので歩き回って考えていた。すると、店主が立ち上がって「何時まで見ているのだ。もう好い加減買え」と詰め寄ってきた。買わなかった。

“Gotcha.”:
解説)正式には“(I’ve)got you.“である。「捕まえたぞ」であるとか「つかまえた」とでもすれば良い俗語で、余り上品ではない言い方。これは、何時だったか、我が事業部が出張者の定宿にしていたシアトル市内のFour Seasons Hotelのアーケード内にあったBallyの店舗でのこと。この時も私は当てもなくファイブ・アンド・ハーフの靴を探していた。それが何と、濃紺のスリップオンで5-1/2の靴が棚にあったのだ。

ただ、Ballyは高価なことでもあり逡巡していると、係員が寄ってきてサイズを尋ねるので5-1/2と答えるや否や、嬉しそうな顔をして私の腕を掴んで“Gotcha.“と叫んだのだった。彼は勿論と言うべきか「冗談です」と言って「このサイズは売れなくて困っていたのでセール価格にするから是非お買い上げを」と迫ってきた。濃紺は気に入らなかったし予算超過でもあったが高級ブランドも良いかと思って踏み切った。

すると、彼は「一寸お待ちを」と言って引っ込んだかと思えば、今度は濃い茶色の同じ型の5-1/2を持ってきて「是非、これもお買い上げを」と売り込んできた。「予算超過である」と言って辞退した。だが、後々になって「買っておけば良かった」と反省した。何しろ「サイズの名に値しないサイズを発見したのだから」と。

“I cannot”と言ったじゃありませんか:
解説)これは国内での出来事で番外編である。1993年の出来事だった。当時は未だ余り我が国には普及していなかったREIT(Real Estate Investment Trust=不動産投資信託)の市場を開発しようとアトランタからやってきた金融商品を扱う会社のお手伝いをすることになった。と言っても、何も知らない私は通訳だった。当時はバブルが弾けた後で、アメリカに不良資産というか値下がりした物件を抱えて苦しんでいる企業が多かった。

その中の1社に狙いを定めてアポイントを取って、担当される部門の課長さんにお目にかかって売り込んだ。課長さんは「英語は解るから通訳は不要」と言われた。主役の社長である弁護士がプリゼンテーションをした。だが、課長さんは不良資産を抱えていることは認められず、さらに「REITは時期尚早と判断するので、御社の提案を上司には上げられない」とやんわりと拒絶された。その時の言い方が問題の“cannot“だった。

すると、社長と補佐役のマネージャーが「出来ないのならば、どうすれば出来るようになるのかお聞かせ願いたい。その出来ないという事情次第で我々が出来るようお手伝いさせて頂く」と粘った。課長さんは不快な表情で“I said I cannot. Did you not hear me.”と切り返された。アメリカ側は「だから、我が方がどのようにお手伝いすれば上司に提案出来るのですか」と重ねて提案。課長さんは「だから、I cannotといったじゃありませんか」と堂々巡り。

ここまで沈黙していた通訳がまかり出て、課長さんに「お時間を頂戴」と願い出て、3人で一時退席して彼等に「時期尚早と判断されたので、彼は“I will not make a proposal to my superior,“と言っているので、ここでは諦めるしかない」と解説した。何とか納得して貰えた。念のために指摘しておくと、“cannot”では「やり方次第で出来る」と解釈されるのだ。

先日もあるところで“You cannot use cellphone in this room.”という掲示があるのを発見した。これの間違いは「ここはスマホの使用禁止」=Don’t use Cellphones here.とだけ簡単に表示すれば良いことを、お客様に遠慮して「使えません」したこと。スマホなどは何処でも操作出来るではないか。英語という言語では「イエスかノーか」、「良いか駄目か」、「白か黒か」を二択でハッキリ表現するのだと承知しておくと良いだろう。

今回も軽めの話題を

2024-06-17 07:53:06 | コラム
今回も軽い話題で英語の四方山話を:

今回も重たくはないと思う話題を心がけたのだが、もしかすると軽いと思っているのは私だけで、そうとは受け止めて頂けないかも知れない。何故かと言えば、英語関連の話なのだから。

「やったー!“abandonment”を見つけたぞ」:
我が国の英語教育の中でも重要な項目に「単語を沢山覚えて知識を付ける」があると思っている。私も中学1年の頃には多くの単語を覚える手段として「単語カードと単語帳を作ること」を教えられた。かく申す私でさえも、重要な単語が数多く載っている単語の本も買ったことや、単語カードを幾つか作った記憶はある。だが、「面倒くさい」とばかりに直ぐに放棄してしまった。

その覚えるべき単語集の中で真っ先に出てくるのが“abandon“という「見捨てる、見放す、放棄する」を意味する単語だった。“abhor“などというのにも出会った。

だが、一番始めではなかったabhorは別として、大学までの間でも、アメリカの会社に移って英語が公用語のような状況になっても、ついぞabandonに出会う機会は訪れなかった。そこで考えたことは「矢張り数多くの単語を覚えることに、実用的な価値は乏しいのではないか。それにも拘わらず、アルファベット順にabandonを置くことの意義は」だった。

ところが、1990年代に入った頃に、Northwest航空(現在はDelta)の機内で読んでいたTIMEの記事に“abandonment“があるのを発見した。その時に場所柄を忘れて小声で叫んだのが、見出しの「やったー!“abandonment“を見つけたぞ」だった。この話の要点は「20年以上も英語を言わば第一言語とする環境に身を置いていても、abandonを発見するまでに20年近くを要した。沢山の単語を覚えておく価値はこの程度か」なのである。

知っていることに価値があるのかと:
我が社の東京事務所に副社長補佐として駐在していた日系人のBJ氏(ワシントン大学のMBA)の日本語の実力は日経新聞を軽く読みこなしている程優れていた。彼は請われて紙パルプ業界の専門商社に英会話の指導にも行っていた。その受講者の一人とは高校の1期下の人であり親しくしていた。彼が言うには「BJさんが何でも質問してくれ」と振ったので」、「鼻くそ、目やに、脇の下、鼻の穴は英語で何と言うのかと尋ねた」と言うのだ。

「BJさんが何故そんな事を訊くのか」と言われたので、「恐らく誰も気にかけたことがない単語だろうから、覚えておけば希少価値が出ると思うから」と答えたとの事。1970代後半の事だった。私もそれらの表現を知ろうと考えたこともなかったので、意表を突かれた。

BJ氏は答えたのだそうで、今でもそれらを英語で言えばどうなるかを覚えているが、それ以来使ったことも、使う必要に迫られたこともなかった。綺麗とは言えない言葉が並ぶので、暫時ご辛抱を願う次第。

私は「鼻くそ」は“nose wax“だと思っていたが”bogey“で良いようで、「目やに」は”eye discharge“で、「脇の下」は“armpit”で、何処となく“cockpit“を思わせてくれる、「鼻の穴」は“nostrils“のように言うのだそうだ。因みに、“pit”とは「穴。くぼみ。立坑」のようなことを言うのだ。

“for good”の意味は:
失敗談である。私は「酒も煙草も嗜まない」と標榜している。だが、仕事の面で必要に迫られれば少量のアルコール飲料は飲んでいたが、煙草は本当の意味で吸ったことはなく、咥えてみてむせてしまったことくらいはあった。ところが、ある時“I don’t drink and have never smoked.“と言ったら,
”Have you quit smoking for good?“と切り替えされて、深く考えずに“Yes.“と答えてしまった。これが大矛盾だと直ぐに解った。

相手は「それはおかしい。君は『吸ったことがない』と言ったばかりだ。今の言い方は『吸っていたのを止めた』なのだ」と突っ込まれた。そこで、何処が間違っているかと教えを請うた。すると“for good”とは「生涯」か「一生」の意味であり、「何か良いことの為」ではないのだった。知らなかった。聞こえた途端に「吸わないのは良いこと」と解釈したのだ。強引に結論を言えば「単語の意味だけを覚えていても、実用性はない」という事。

6月16日 その2 小さな話題を

2024-06-16 12:35:54 | コラム
兎角この世は:

暫く重たい事ばかり論じ続けてきたので、今回は小さな話題をと考えた次第。

電気もガスも値上がりしたので:
高田馬場駅前でバスを待っていると、私の前に並んでいた高齢のご婦人が荷物が一杯入った大きな買い物カートをかき回していたかと思えば「お兄さん。今何時」と私に声をかけてきた。「余り沢山ガスボンベを買いすぎで、スマホが何処に入っているか解らないのよ」と言う。時計を見せてあげた後で勢い良く語り始めた。「また来たか」と思って聞いていた。

「兎に角、電気代もガス代も毎月のように上がるので、一人で僅かな年金で暮らしているのでやって行けない。そこで調理用にボンベを嵌めれば良いだけのコンロに切り替えて対抗することにした。ここのドン・キホーテでボンベを安く売っているので買い溜めに来たのだ」とのこと。その対策で効果が挙がるのかと疑問に思ったが「流石ですね」と賞賛しているとバスが来て終わった。決して「お兄さん」と呼ばれて喜んで対応した訳ではない。

冷麺が1,800円:
新大久保駅と我が家を結ぶ路地に何をやっても、何処の国の者が進出しても長続きしない場所がある。最後になった店はアラビア風の料理とケバブが売りだったが無残に廃業した。その後に先頃から内外装の工事が始まったが、作業しているのは明らかにイスラム教徒風の者たち。ところが、先週になって新規開店したのは何と韓国料理店だった。目と鼻の先に言わば「老舗」の部類に入れても良い韓国料理の店があるのに。

メニューの立て看板を見れば「冷麺 ¥1,800」とあった。丁度その前に立っておられた方が「高いね」と一言。同感だった。「いらっしゃい」と声を上げていたのも一見イスラム教徒風の面構え。近くの老舗では確か¥1,200だったと記憶するし、大久保駅(新大久保駅ではない、念のため)から徒歩3分と表示されている「本場物」と評判が高い「板橋冷麺」という店でも冷麺が¥1,000で、ビビン冷麺が¥1,100だったはずだ。上手く行くのかなと思わせられた。先ほど前を通過したら、立て看板が無かった。

ハラルフード店にて:
カレー粉の在庫が切れたというので、イスラム横町で最古の店に入って買うことにした。ここで買う分には値段はかなり経済的なのだが、彼等がカレー粉を使って調理するのだろうか。この手の店に入って困る事がある。それは誰が店員で、誰が客なのか見分けが付かないことなのだ。この時はレジのそばの立っていた髭面に英語で話しかけて、店番のバングラデシュ人と判明した。

バングラデシュは嘗て英国の植民地だったはずだから、ある程度は英語が解ると決めている。そこで、「日本に来て暮らしやすいか。物価高に悩まされていないか」と振ってみた。すると、予期した通りで「良い国だ」と言った後で話題を切り替えて「物が高くなって困っている。そこに積んである10lkgの袋入りの米などは入荷する度に値上がりするので、買い手たちが困っている」と言うのだった。

「彼等イスラム教徒たちを仕切っているボスがいて、そのボスが纏めて何処かからか仕入れた商品を一括して、横町にある彼等専用の倉庫に纏めて保管している」と、以前に一週間だけ貸し出す店舗にいたインド人が教えてくれたので、その説を信じている。彼等イスラム教徒たちがどのような手段で生活費を稼ぎ出しているのか不明だが、矢張り我が国の物価上昇には悩まされていると知った次第。

我が国とアメリカの会社を比較してみれば

2024-06-16 07:39:55 | コラム
アメリカの会社と会社員は何処か違うのか:

*事業部長(general manager)は全権を持っている:
解説)これまでに何度も説明してきたことで「彼(または彼女)は製造・販売・営業・人事・総務・経理・福利厚生等の全ての権限を与えられている。我が国との顕著な違いは、アメリカには我が国のような権限を持つ人事部が無くGMが時と場合によってその判断で人員の採用と整理を行っていくのだ。我が国の会社では事業部の本部長と雖も、ここまでの権限を得ていないと思う。

また、部門内や社内で年功序列と経験と実績に応じて、段階を踏んで課長、部長、本部長、取締役のように承認していく世界ではない。取締役は社員から選ばれるのではなく、他社の社長や同じ地域の銀行の頭取、弁護士が選ばれていく。副社長という地位は我が国の取締役辺りと同等かと思う。

*個人の能力が基本になっている:
解説)事業部の人員は必要に応じてGMが採用した即戦力となる中途入社した者たちで構成されている。私が勤務した大手製造業の会社では4年制大学の新卒者の採用なしないのが一般的である。新人を育てて使おうという考えは無い。各人には部内の誰とも重複しないような業務が「職務内容記述書」によって割り当てられており、彼等は自己の能力と責任の下に課された任務を全うしていく。我が国のように「皆でやろう」とか「チームワーク」のような考え方はせずに、飽くまでも個人の力が基調にある。

重ねて言うが「個人が単位」であり、相互に助け合うとか援助しあうことなどないのが普通である。そうである以上、各人の下には部下などいないのが一般的であり、援助か補助をして、不在中を補ってくれるのは秘書だけである。

*遅刻/早退という観念は無い:
解説)近年我が国でも「Job型雇用」などと言われ始めたが、当方には何を言いたいのかサッパリ解らないし、これに相当する英語の表現もないと思う。個人の能力が基調になっていて、各自に夫々の仕事が割り当てられている以上、各人が自己の責任において業務を消化していかなければならない。だから、その日のうちに仕上げるべき仕事を消化出来なければ翌日の仕事に差し支えるので、何時になろうとやり終えておかねばならない。

また、その日の仕事量が膨大だと解っていれば、早朝何時であろうとも出勤して取りかかるのだ。反対に、余裕がある日であるとか取引先との約束が遅い時刻に設定されているような場合には、悠々と9時過ぎに出社する者もいる。また、仕事が早く終われば午後3時にサッサと帰っていくこともある。要するに、各自の仕事の都合で出勤・退勤を決めているので「遅刻」や「早退」という考え方が無いのだ。

因みに、本社では8時~17時と設定されている。我が事業部の副社長の車は何時も駐車場に朝7時には停められていた、それも誰よりも早く来たと解る位置に。また5階建ての本社ビルの最上階はCEO以下executive vice presidentとsenior vice presidentのofficeがあり、その階の電気はどの階よりも早く点灯し、最も遅くまで消えることがない。ところが、事業部内の誰もが「そんな事は当たり前。年俸が最も高いのだから」と言うのだ。

*福利厚生の観念は乏しいのでは:
解説)本社ビルは市街地から40km以上も離れている為か、ビル内に広大なbuffetも、ジムも、理髪室も、売店も完備しているし、本社ビルの周辺にはジョギングのコースまで準備されていて、ジムと共に何時でも「気分転換」に業務中でも利用して良いとなっていた。だが、地方都市にある工場ではそうはいかず、組合員用のロッカールームもシャワーも食堂もリクリエーションの設備も無いのが一般的だと思う。

何故そうなのかを尋ねたことも無かった。だが、思うに我々(彼等組合員たちも)は会社に生活の糧を稼ぎに来ているのであり、その場に福利厚生というか、温かい取り扱いを期待してはいないのでは。それに、組合員を除けば、いつ何時他に良い条件の仕事が辞めて知れない者たちを優遇して引き留めて置くことなど考えていないと思っていた。故にと言うか何と言うべきか、アメリカの会社員たちの会社に対する忠誠心は我が国と比較すれば乏しいし、帰属意識もまた希薄であると思う。

*Rank and title:
解説)取りあえず「地位と肩書き」とでも訳しておこう。これは「年俸制」と関連する話である。アメリカの会社では「日本式に新卒者が入社してから年功と共に段階的に地位が上昇して管理職の肩書きが与えられる仕組み」はない。だが、アメリカの会社組織では専門職に中途入社の(と言うか随時適材を採用して)人材を当てていくので、その者が日本式に段階を踏んで課長や部長に昇進する仕組みにはなっていない。業績次第で年俸は増えても地位は上がらない仕組みなのだ。

要するに「専門職」として営業担当に採用された者が、華々し実績を挙げて副社長に任じられたなどという話は聞いたことがない。彼等にはmanagerのtitleは与えられるが、これはtitle即ち肩書きであっても、管理職という地位ではなないのだ。また、年俸制の世界では職務手当も通勤手当も何も、一切の手当は無いと思っていて良いだろう。

現に私はWeyerhaeuserに入社した際には「専門職である以上、東京事務所における地位は上がらない」と言い渡された。これは事業部長のような管理職には通常はMBAで、社内または他社で十分な経験を経た精鋭が任命されるのがアメリカ式の経営の体系であるという意味だ。換言すれば「地位の垂直上昇は無い」という世界。

*経営者と管理職には工場等の現場の経験者はいない:
解説)この点は余り論じられた事はないと思う。それは「会社とは別個の組織である労働組合に所属する組合員が、会社側に転じていくことは例外的にしかない」のだから当然である。そして、即戦力として採用される4年制の大学の出身者も、ビジネススクールMBAを取得した者たちも、組合に所属して生産の現場を経験してあることもまた例外を除いてはあり得ないからである。

言いたくはないが、製造の現場を見たか視察しただけの経験しかない人たちが、工場を管理・監督し指揮命令する地位に就いて運営していくのである。私は22年間に現場の勤務を経験した本社内の管理職に出会ったことはなかった。こういうことまで承知してアメリカ経済を論じている人が、我が国にどれ程おられるのだろうか。

*結び:
アメリカの会社は我が国の会社とこれほど違うのだと認識出来ていた専門家や有識者の方がどれ程おられるだろうか。ここまで述べてきたこと以外にも相違点はあると思うが、それはまた機会があれば論じてみようと思う。