新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

6月23日 その2 イスラエル人宿泊お断り

2024-06-23 14:43:48 | コラム
このような事態になるとまで予測できなかったのか:

マスコミ報道では「ガザにおけるイスラエル対ハマスの争いでは、ガザの無辜に市民を大量に殺傷するイスラエルが宜しくないのであり、パレスチナ人が気の毒である」となっていると感じている。有識者の中には「そのような報道の仕方は偏っているのでは」と指摘する人がいる。即ち、「今回の現象だけを捉えれば、最初にイスラエルに侵入して殺傷し、人質まで取って仕掛けたのはハマスである」という事だ。

嘗て、イラクのフセイン大統領がクエートと争った時に「悪いのは侵略しようとしたフセインであり、クエートは正義でありきの毒だ」と言うような理解と報道がまかり通っていた。その頃に、ある商社の我が社を担当していた部署の中に中近東の駐在経験者が2名いた。彼等に実情の解説を頼んだところ「世界史をまともに理解していれば、そう言う質問は出ないはず」と一蹴された。

食い下がって教えを請えば「彼等の争い事は2,000年前の事に根源があり、我らの聖地を取り返すまでは絶対に止めない。2,000年前に獲られたのであるから、2,000年かかっても取り戻すと言っている。終わる訳はない」と教えてくれた。また、「あの時の争いでも、先にイラクの土地を奪ったのはクエートであり、フセイン率いるイラクは元はと言えば自国の領土だった土地を取り返しに行っただけ」であると言われた。

この解説が正しいかどうかを私は論じているのではない。海外で起きている出来事を如何なる立ち位置で、如何なる確度から見るか、如何なる事前の情報の確認が出来ているか次第で「一つでしかない出来事」の報道が、色々な形に分かれてしまうのではないのかと言いたいのだ。今回のガザの報道のように「パレスチナ人が気の毒」と繰り返し報じられれば、現地に行ける訳ではない京都の人が「イスラエルが怪しからん」となってしまうのではないのか。

報道するマスコミにしても、2,000年の歴史を知らないはずもないし、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教があの地帯でどのように絡み合ってきたかを承知していなければおかしいのだ。一方的にパレスチナ側とハマスの報道を根拠にしていて良いかという事ではないのか。イスラエルには駐在の記者を送り込んでいないのか。ネタニヤフ首相の悪口ばかりで良いのだろうか。

京都の「イスラエル人の宿泊お断り」はマスコミ報道の影響を受けて、起きるべくして起きた事案ではないのかな。

英語の教え方、学び方

2024-06-23 08:20:52 | コラム
どのようにするのが最も効果的か:

このところ、英語またはEnglishの話題を続けたので、今回は少し話題を変えて同じ英語関連でも「教え方」と「学び方」を取り上げていこうと思う。私は教え方としては「会話」などを含めてnative speakerに依存することは推奨していないので、この辺りから入って行こう。

“native speakerを排除する理由:
4~5年程前にこういう事があった。それは、我が家の近所で若いアメリカ人と思われる男女が道に迷っている様子だった。滅多にしないことだが“Any problem?“と声をかけてみた。彼等はこれから滞在するアパートへの道が解らなかったそうだ。直ぐ解るところだった。そこで余計なことだが、と断って「何の目的で日本に来たのか」と突っ込んでみた。

彼等は誇らしげであり嬉しそうでもある顔付きで「会話学校で英語を教えに来た」と言った。「来たな」と思って「貴方たちは大学乃至は然るべき機関で外国人に自国語を教える資格を取ってきたのか」と尋ねた。矢張り「ノー」だった。そこで、さらに「貴方たちは日本の学校教育でどのように英語を教えているか調べてきたか」と追い打ちをかけると、これも「ノー」だった。無責任極まりない。

良く考えなくても解ることで、「ハーバードやプリンストンやスタンフォードでMBAを取ったような精鋭が、我が国までAETになって働こうと思うか」なのではないか。来る訳がない。

そこで、「貴方たちが企てていることは非常に宜しくない。何らの予備知識も教職の経験も無しに、どうやって日本人に英語と会話を教えようとするのか。私は貴方たちにこのまま成田に戻って、アメリカに帰ることをお勧めする」と極端な表現で言って聞かせた。最初は少し抵抗していたが、暫くすると私が言っていることの意味が解ってきたようだった。だが、帰るとは言わずに、そのまま目的地に向かって行った。

これだけ話し合っていれば、彼等の出自も見えてくるし、言葉遣いで程度も見えてくる。可もなく不可もないようで、何処かの訛りもない英語を話していたので、放置することにした。ここで指摘しておきたいことは訛りの問題もあるが、どのような階層から来ているのかが肝要であると思う。

という事は、native speakerを採用するに当たっては、雇用する側に「その外国人の英語の程度というか品位等を判定できるのか」が重要なのである。解りやすく言えば「トランプ大統領を熱烈に支持するような階層の出身者は避けた方が無難だという事」なのである。偏見と言われる危険性が残るが、私は“Good day, mate.”を「グッダイ・マイト」と発音する人は避けるのが良いのではないかと思うのだ。

英語の品格:
これまでに何度も取り上げたことがある。それは上智大学の千葉勉教授が厳しく言われた「文法を間違える、書く時に綴りを誤ると無教養であると軽蔑されることがあるから厳重に注意せよ」という点を、あらためて取り上げておく。社内の報告書などであれば、監督する者が直してくれることがあるが、会話の中ではそうはいかないのだし、相手が「貴方、文法が間違えていますよ」と知らせてくれることもない。

要するに、私が常に取り上げている「アメリカの支配階層」に属する人たちの中に入れば、この点は厳重に注意しておかなければならないし、会話の中で“you know“を挟むようなことをしてはならないし、swearwordを使うなどは論外である。人によっては“Me, too.”などを使うと蔑まれる危険性さえ生じる。千葉教授は連結音(liaison)とr-linkingにも気を配れと指摘された。だが、我が国の学校教育では、ここまでの厳しさは教えていないだろう。

“native speaker“たちは我々が何に悩むのかは解らない:
彼等にとってごく日常的で当たり前の表現でも、我々外国人にとって「何故、その場合にそういう言葉を使って表現できるのか」と困惑させられる慣用句や口語体は当たり前のように出てくる。そういう言い方の全部でなければ殆どは(“almost, if not all”)教科書には載っていないようだ。例えば、慣用句では“piece of cake”とは「朝飯前」であり、“It’s all Greek to me.”は「ちんぷんかんぷん」であり、“take a rain check”は「次の機会には応じます」となるのだ。

ここまでひねくれていなくても、私は初めてアメリカに着いた日に、“I’ll buy you a drink.“と言われて「一杯おごるよ」だとは知らずに困惑した。初めてチェックインしたホテルのreceptionで“Are you with Mead?”と尋ねられて、瞬間には理解できなかった。“What’s new today?”が挨拶だと知らなかった頃には、懸命に新しい出来事を説明して彼等を惑わしたものだった。彼等は日本の学校教育ではここまでのことは教えていないとは思っていないのだ。

私が推奨する勉強法:
「私が推薦する勉強法」は「音読・暗記・暗唱」の繰り返しである。教科書を意味が解るようになるまで何度でも声を出して、恥ずかしがらずに大きな声を出すことなのだ。自分の声でも耳に入っていけば記憶されると解ってほしい。「読書百遍意自ずから通ずる」と昔から言われているではないか。正しく覚えておけば、暗唱しても日常的にも間違ったことは口からは出なくなるのである。この方法で成功したのが私だけではないから推薦するのだ。

単語の意味だけを覚えてはならない。だが、その単語を使った例文は覚えておくようにする。また、少し極端な議論に聞こえるかもしれないが、「文法」の勉強は「音読・暗記・暗唱」が滑らかに出来るようになってからで充分なのだ。理由は簡単で「英語とは、先に文法を作ってから言葉を当て嵌めたものではない」のだから、耳から文章を入れ、暗唱できるようになってからで学校の試験でもTOEICにも間に合うのだ。

単語の意味だけを覚えて例文を知っておかないと「会話」の能力など備わっては来ない。例えば“main“という単語は形容詞では「主に」という意味であり「必ず名詞の前に使う」という点を覚えていないから「当店では蕎麦をメインにしております」などというカタカナ語にしてしまう。この「メイン」は名詞扱いだ。だが、名詞としてのmainは「ガスや水道の本管」という意味しかない。この辺りがカタカナ語化して犯した誤りだ。

英文解釈、英作文、文法、単語の知識等々は勿論試験対策としては重要である。だが、事実用性となると、バラバラに覚えてあっても効果を発揮しない恨みがある。私は「音読・暗記・暗唱」の指導法で中学生から社会人まで育てた実績があるし、自分自身でアメリカ人の中で22年以上も仕事が出来ていた。信じるか信じないかは、私は関知しない。ここまででは説明不足だと言われれば、次回に補足します。

Englishを国と地域に分けてみれば

2024-06-22 08:21:20 | コラム
Englishにもお国訛りがあると解る:

今回取り上げたいことは「同じEnglishであっても、国別と同じ国の中でも地域別でアクセントも何も違ってくる」という事なのである。

今朝のニュースでUNICEFのアフリカの所長の女性が語るところが流されていた。聞こえてきた英語がKing’s Englishではなかったので「意外だな」と思った。調べてみればアフリカ事務所長のようだった。

何故意外に感じたかと言えば、この種の国際的な機関で言わば管理職の地位にある方々の多くは(ヨーロッパの方が多いので)King’s Englishのアクセントで語られるのだ。だが、今朝程のアデル・ホドルさんがそうではなかったのは一寸意外だった。私の理解では、ヨーロッパの方は圧倒的に正調のイギリス語系(King’s English系)なのである。それは歴史的にも地域的にも理解できる現象だ。

English(英語でも良い)を教えるにしても学ぶにしても、このような違いがあることを知らないと、おかしな事になってしまう。嘗てテレビに数多く登場されたダニエル・カール(ドイツ系アメリカ人、Daniel Kahl)のように「山形訛り」を正調の日本語だと思って覚えてしまうことになるのだ。

そこで、先ず国別にどのような違いがあるかと言えば、大別して「英連合王国系の諸国に普及しているKing’s Englishとその系統」と「アメリカン・イングリッシュ」があると認識して良いと思う。

イギリス語(UK系)の特徴:
ここでは便宜的に「イギリス語」としてある。だが、我が国には最初に入ってきたのが世界の至る所に植民地を有していたイギリス(当初は英連合王国=UKとは言わなかった)だったこともあり、イギリス語即ちKing’s Englishが支配していたようだった。この言葉は私が屡々例に挙げるようにローマ字が近い発音で“o“は飽くまでも「オ」と発音し、アメリカ式のように「ア」とはならないような例があるのだ。

それだけではなく、UKのEnglishでも首都のロンドンの中で地区によってはLondon Cockneyという訛りがある。解りやすい例を挙げれば“a”を「アイ」と発音するのだ。その手っ取り早い例に「サッカー界の貴公子(何処が?)」と呼ばれるDavid Bechamは自らを「ダイヴィッド・ベッカム」と名乗っていた。こういう訛りがあることは出自を告白しているのと同じになってしまう。

Cockneyはこれだけに止まらず、オーストラリアやニュージーランドというUK系の諸国に引き継がれている。オーストラリアの歴代の首相の中にはAustraliaを躊躇なく「オーストライリア」と発音する人がいたのは紛れもない事実。オーストラリアの日常的な挨拶“Good day, mate.”は「グッタイ・マイト」となっている。

また、“I came here, today.“は私の好む訛りの例で「アイ・カイム・ヒア・トゥダイ」と発音する人は多い。「今日ここに死ぬ為に(to die)来た」と聞こえかねないのだ。

この傾向はニュージーランドにもある。我が社の中央研究所にいた博士号を持つ研究者と話し合った時に“basis weight”を「バイシス・ウワイト」と言われて一瞬「何の事」という表情になったらしく、これを見た彼は「ベイシス・ウエイト」と言い直したのだった。話を飛躍させるが、私は「このような訛りがあるオーストラリアやニュージーランドに英語を学習に行くのは如何なものか」と唱えている。いや、UK系と言っても良いのかも。

アメリカ語の南部訛り:
あの広い国土を考えて見て欲しい。地域で違いがあってもおかしくはないだろう。私は1972年8月に初めてアメリカに入り、目的地ジョージア州アトランタの空港に降り立った。ホテルへのシャトルバスがあると聞かされていたので、地上勤務の若い女性に訊いた。すると何と理解して良いのか途方に暮れるようなゆったりと歌うかのような言葉が返ってきた。でも何とか聞き返さずにバスには乗れた。初めての南部訛りだった。

このアトランタの事務所で担当の課長級の現地人(と敢えて言う)と約1時間話し合った。内容は理解できたと思った。そこに、ニューヨークから着任したばかりという若手のBertがやってきて「君はあの南部訛りと会談して話が通じたのか。素晴らしい。私は未だに彼等の南部訛りは殆ど聞き取れない」と言って嘆いて見せたのだった。南部訛り(Southern accent)とNYの訛りはそれほど違うという事。

実は、南部訛りには尊敬されない恨みがある。ビル・クリントン大統領は出身地のアーカンソー州の訛りが消えていなかった。1995年に香港に行った帰りの機内で隣に座ったビジネスマンは某大手の香港支社長でスタンフォード大学のMBAであると自己紹介した。彼に何気なく「クリントン大統領の南部訛りを聞く度に、何とかならないのかと思わざるを得ない」と言ってしまったのだった。

するとどうだろう。彼は私に握手を求めて「外国人の貴方が良く言ってくれた。我々はもう少しまともな英語を話す者を大統領に選ぶべきだったと反省している」とまで言うのだった。この例は些か極端で偏見的だが、南部訛りがどのように見られているかの例にはなると思う。

アメリカ東海岸:
基本的には南部のような極端なアクセントも訛りもない。だが、一般論としては「早口」で喋る傾向がある。我が事業部のニューヨーク州の名家の出身者がいた。彼の語り方を揶揄して「彼は今話している単語が終わらないうちに、もう次の言葉を話しているので困る」と社内で言われていた。大坂なおみさんはNY育ちではないはずだが、あの速さはNY出身者であるかのようだ。

アメリカ中西部:
何処かと言えばシカゴを思い浮かべて頂きたい。ヒラリー・クリントン(HI rally Clinton)はシカゴ出身で言わば言語明瞭のようである。この地区の出身者は「我らこそが正調のアメリカ語である」と胸を張る傾向。確かにその通りだとは思うが、クリントンさんは“r“を必要以上に響かせる発音をするので、品格がない。それはthirdやunderstandのような単語では“r“を強く発音するのは上品ではないとされているから。

アメリカ西海岸:
ロッキー山脈の西側で、大雑把に言えばカリフォルニア州、オレゴン州と我がワシントン州である。ここに生まれ育った人たちは「我らこそが正統のアメリカン・イングリッシュである」と公言する。私も同感である。それは早口ではないし、クリントンさんのようでもなく、我々にも真似しやすい発音であるから。私自身のことを言えば「これと英連合王国系の間を取るよう」にして明快に聞こえるように努力した。

その他:
例えば、フィリピンに行けば明らかなスペイン語訛りが聞こえて、植民地だった頃の影響が感じられる事がある。だが、フィリピンの人たちの英語の質は高いのである。

結び:
要するに「訛りがあるからと言って、他国や他の地域のEnglishを批判するのはfairではない」と言って良いと思うのだ。

アメリカでの思いがけない経験

2024-06-21 07:15:52 | コラム
意外なことが起きる国だった:

“wrong way”って?:
解説)これで「一方通行出口」の事なのだそうだ。車の運転の仕方を知らず、免許を取ろうとも思わなかった私だが、シアトルの市内で出会ったのがこの“wrong way“の標識だった。一瞬「何の事?」と理解できなかったが、良く考えれば「進入禁止」と解釈できた。このように表現して「道を間違えているぞ」と警告する辺りに、アメリカ人たちの我々とは違う物の考え方が見えて面白かった。

“Please wait to be seated.”:
解説)アメリカに行かれ、ホテルのダイニングルームや市中のレストランに入られると、先ずこの立て看板というか標識に出くわされるはずだ。これは「係員がお席に案内するまでお待ちを」とでも訳せば良いと思う。即ち、我が国のように自分からどんどん入って行って、好きな席に座らせてはくれないのである。不思議なことに案内係(matre d’かusher)が空いている席を通過してわざわざ遠く離れた席に案内することもある。

「これは如何なる事か」とヴァンクーヴァーで有名な日本料理店を経営するShigに訊いてみた。それは「案内係(給仕長)がウエイター/ウエイトレスたち全員が公平にチップを貰えるように考えて席に案内している。彼等はチップだけが収入源となっているのが普通だから」と教えてくれた。Shigは「うちの店では全員が貰ったチップを一旦店が集めてから均等に割り当てている」とも教えてくれた。

“Table for two, please.”:
解説)実は、私は本社の近くのレストランで、このmatre d’と間違われた笑えない経験がある。それは秘書さんたちと3人で昼食に出かけた時のこと。終わってから私は何気なく上記の看板の脇に立って、女性たちの化粧直しが終わるのを待っていた。するとそこに現れた立派な服装の年輩の夫婦が私に向かって“Table for two, please.“と言ったのだ。丁度その時に彼女らが出てきて、”Matre d’と間違えられた“と大爆笑というか大受け。

それもあり得ることで、その日は金曜日で寛いだ服装(なり)で、濃紺のダブルブレストのジャケットにチャコールグレイのズボンという如何にも案内係と間違われそうな格好をしていたのだから。そのご夫婦も間違ったと気が付かれて平謝りだった。この件は本部に戻っても皆に語られて遺憾ながら大受けだった。

“Make it two, please.”:
解説)これはレストランなどで「前の人と同じ物」の注文をする時に使える言い方。3人目が入れ“Make it three.“だろう。経験された方も多いかと思うが、そのテーブルの係のウエイターが“today’s special”と言って3品か5品辺りのメニューを早口で延々と語り始めて辟易となる。余程英語に耳が慣れて入れも食材の説明までには付いていけない。

これは某商社の腕利きの課長が大口の特別仕様の新製品を受注して本部と工場にスペック等の説明に来られた時のこと。彼は勉強の為にと子会社の若手を連れてきて「勉強するのだから、一切通訳はしてやらない」と言うきつい条件を付けていた。それでも話し合いは無事に終わって、副社長主催のディナーが市外のイタリアンレストランで開催された。

アメリカ慣れしていた課長さんはtoday’s specialから私と同じ物を注文されたのだが、それを“Make it two.“と表現した。若手は何のことか解らずに「それはどう意味ですか」と尋ねて教えて貰えた。食事が終わって仕上げのカクテルとなった。課長さんは確か「ウォッカマティーニ」を選んだ。それを聞いていた若手は、この時とばかりに“Two.“と一言。課長さんは折り悪く副社長と談笑中。

すると、そこに持ってこられたのは、何とウオッカマテイーニが2杯ずつ両者の前に置かれたのだった。課長さんは驚いて「お前何を言ったのか」と詰問。若手は「課長の真似をしてtwoと言いました」と釈明。課長は怒って「それなら“Make it two.“と俺が言ったのを聞いていなかったのか」と叱責。折角良いところを見せようとした若手はとんだ勉強をしてしまった。

軽めかもしれないが一寸残念な話題を

2024-06-20 08:05:12 | コラム
時代とは何かを変えていくものなのか:

私は「時代が進歩し発展すると現在のように方々で大手企業が多額の投資をして都市等を再開発する効用が何処にあるのだろうか」と疑問に思う事がある。

昨19日は縁あって藤沢市鵠沼の懐かしき母校である湘南学園を訪問した。但し、私が昭和20年に卒業したのは小学校の部で、現在のように華麗に設備が整った校舎を擁する幼稚園から立派な高校にまで発展した学園ではなかったが。

それはそれとして、往路は新宿から小田急線、復路は藤沢からJRの湘南新宿ラインを利用した。小田急は通い慣れたる道であるので確たる変化は感じられなかったが、復路は変化に富んでいて「果たして無事に新宿駅で降ろして貰えるのか」と不安に感じた瞬間もあった程、再開発に驚かされていた。という事は、単に老化して出不精になっただけかとも痛感したという事。

「アレッ」と思ったのは帰路の出来事。横浜駅を出るや車内のディジタルの掲示に「次は武蔵小杉」と出たのだった。「まさか藤沢から東横線に乗った訳ではあるまい」と不安になった。しかも、到着した武蔵小杉駅の周辺を無数の高層アパートが取り囲んでいて本当に谷底に沈んでしまったかのよう。「これは東横線の武蔵小杉駅とは何かが違うな。これは何処か」とまた不安にさせられた。(この点は昨夜二男から「貨物線を走っているだけ」と教えられて解決済み)

それでも、順調に大崎、恵比寿、渋谷と通過して新宿駅の1番線に到着。ここから山手線外回りの15番線までにはしこたま歩かせられるとは承知してエスカレーターを上がると、そこはどうやら南口の感なのだった。だが、見えてきた景色は成城石井を始めとする商店街だった。また「何か間違えたのか」と疑心暗鬼にとらわれた。何とか15番線を探すと、最も遠いところにあると判明した。

ところが再開発の無情な所は、内回りのプラットフォームに降りるにはエスカレーターがあっても、外回りは長い階段だけしかなかった。仕方なくおっかなびっくり、一段毎に足を踏みしめて降りていった。疲れた。我が家の新大久保駅から内回りを降りた後に小田急百貨店の改築でスッカリ不便になって、地下のJRの改札口から地上に出る為に階段しか残されなかった再開発を恨んでいれば、南口でもこの無情さだった。

渋谷駅内部とその周辺の再開発の凄まじさなどは、最早諦めるしかないので、久しくあの駅を利用してこなかった。だが、3月にYM氏と彼のアパートの前で落ち合う約束をした時には「えいやっ」とばかりに渋谷で降りて循環バス・トランセの乗り場を探した。改札口から出て見えるところにはあったが、諸々の障害物と信号に遮られて到着するのに10分もかかったかのような気がする不便さだった。“This is再開発.“かと、そのメリット(カタカナ語だ)が解った。

10年以上も前のことになったが、横浜駅の東口で高校の旧友と待ち合わせした時には意気揚々と湘南電車から降りて、階段を下った先の通路では上に見えるはずの東横線の駅がなくなっていたし、どの方角に行けば東口かも解らず途方に暮れた。そこで改札口まで行って係員に尋ねて何とか東口の待ち合わせの時計の前に辿り着いた経験があった。

5年程前になったか、小田急線の中央林間駅で降りて、その僅かの変貌振りでも方向が全く解らずに改札口まで戻って、駅員に目的地を告げて道案内をして貰って弟が入院している病院まで何とか辿り着いたこともあった。鉄道会社に言わせれば、一々事細かに日本全体に「再開発しますからご用心をと触れ回る必要があるか」と反論するかもしれないが、30年前の感覚では都内はおろか近県でも「今浦島」状態を強いられてしまう。

昨日などは帰宅して万歩計を見れば6,000歩を超える運動になっていた。時代は高齢者を取り残す再開発を進め、河野太郎大臣はマイナンバーカードの健康保険証化を強硬に(意地悪く?)推進して我々を悩ます気らしい。やれやれ。