サルトル―1905-80藤原書店このアイテムの詳細を見る |
まずはこの本の最初の章、石崎晴己氏と澤田直氏による対談を参考にしながらサルトルが受け入れられ、全盛期になり、忘れ去られた過程というものを概観してみよう。
まず、サルトルが1970年くらいまで大きく日本、フランスなどで大きく関心を持たれた理由としては、
「文学の世界の中でもっともたぶん優れていると日本人が考えていて、詩化も知識人たちの力で圧制から、自ら解放したという国のイメージ」がフランスにあったこと。(17ページ石崎氏の発言より)
ということが大きいようだ。
また、その文学者としての表現力の多才さも大きかったとのこと。
次に、サルトルが忘れ去られた大きな原因としては、
その共産主義への加担が大きい。
そのことにより、サルトルがいわば、ひとつのイメージに人間を理想付け方向付けようとするヒューマニズムとして捉えられたことがあるからのようだ。
しかし、このことは「実存は本質に先立つ」という言葉でも有名なサルトルの実存主義的な「倫理」観からも分かることだが、不当な批判というべきである。
この批評はさておくにしても、2つのサルトルにても触れたことだが、その後の政治的急進化も世間からサルトルを避けることの一因であっただろう。
続いては、この本を元にサルトルとアンガージュマンという概念について概観してみよう。